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龍馬が歩いた道!龍馬入港の地モニュメント 島原湊(長崎県島原市湊新地町)

幕末、坂本龍馬の長崎初上陸の地はここ島原だった

龍馬入港の地モニュメント(長崎県島原市)


坂本龍馬の長崎初上陸の地は島原だった
令和2年(2020年) 6月29日 村内伸弘撮影



長崎と龍馬。島原と龍馬。
そうです!幕末の英雄・坂本龍馬は長崎や島原で青春したのです!!


宿泊する宿から近いので、龍馬の初上陸を記念したモニュメントを見に行きました。


龍馬入港の地モニュメント(長崎県島原市)


島原街道 1864年 島原湊 海舟・龍馬入港


龍馬が歩いた島原・長崎街道


元治元年(1864年)2月22日 払暁、島原へ着船。


(左)勝海舟 1823~1899 (右)坂本龍馬 1836~1867


坂本龍馬 1836~1867


勝海舟 1823~1899


幕末の英雄 2人が、ここ島原湊に着船し、長崎に向かっていったという物語。すばらしいですね!わくわくします!!


僕はてっきり龍馬は長崎港から長崎に入ったと思ってました。上の九州の地図のように、九州を横断して、長崎入りしていたんですね!



島原街道の千々石道(ちぢわみち)を一行は歩いたようです


長崎龍馬の道 活用広域観光推進協議会



島原湊(しまばらみなと)


九十九島と島原湊

眉山崩壊で発生した地形がそのまま島や港に


寛政4年(1792年)の島原大変で眉山が崩壊したことで、4億4千万立方メートルの土砂が人家や田畑を飲み込み有明海に流れ込みました。

その時に出来た島々が「九十九島」と呼ばれています。

当時は 59島あったそうですが、今では崩壊したり陸続きになったりして島数も少なくなっています。また、このとき海岸線が約8百メートルも押し広げられて、77万平方メートルの土地が生れました。

陸には多くの丘や小山、池沼、海には島影やいくつもの入り江が出来て、「島原湊」が形成されました。島原湊は有明海沿岸唯一の良港となって、島原の町は急速に発展していきました。

鉄工所、船具屋、水産乾物問屋が立ち並び、いつの間にか遊女の館まで軒を並べて、多くの庶民がいききするようになりました。

やがて島原湊の将来の発展を見込んで、遠くから移住する商人達も増えていき、沢山の帆船が潮待ち風待ちのために縁を並べ大変賑わっていたそうです。

島原市ホームページより引用


升金の倉(旧升金商会事務所兼倉庫)
港町島原の繁栄の様相を物語る明治10年頃の建築で湊新地で荷揚船積場に最も近い場所に立地していたそうです。


殿さん稲荷


川田水産 魚市場と書かれています


お父さんとお母さんが漁へ出る準備をしてました


エンジンをブルブルブルブル音立てて、この漁船は島原湊を出航していきました。


殿さん稲荷の境内から僕はこのほのぼのとした、そして情緒ある光景を一人眺めていました。


八王子にいると絶対に見られない風景です!島原はホントすばらしいですね!!


赤いゆり



僕が見たモニュメントの場所と実際に海舟や龍馬が上陸した場所は若干違うみたいです。次回、島原を訪れた時には下記の場所を訪れようと思います。

島原湊(龍馬上陸の地) 坂本龍馬が上陸した階段



(参考)龍馬が歩いた道 島原街道 千々石道

千々石道(ちぢわみち)

島原城下から雲仙岳北山麓を横切る約22kmの街道です。標高600mの田代原を超える険しい山道ですが、長崎へ急ぐ際には島原藩主もこの道を利用していました。

龍馬之道 絵図より引用

坂本龍馬像島原上陸!

龍馬が、勝海舟の供として熊本から有明海を渡り、長崎の地に初めて足を踏み入れたのが、ここ島原であった。龍馬らは、島原に上陸して休息の後、長崎へ向かい、帰り道、島原に投宿し、熊本に渡った、という記述が残っている。

平成22年10月吉日  島原市長 横田 修一郎



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