沖縄哀歌に涙。天底節(あみすくぶし) 大城美佐子の名演!名唱!
ミサーの沖縄民謡の名曲 今帰仁天底節(なちじんあみすくぶし)
大城美佐子(おおしろ みさこ)
天底節 7分20秒
人生で最も哀しい唄、最も美しい唄と出会いました
天底節は沖縄本島北部やんばる・今帰仁(なきじん)に伝わる沖縄民謡です
"絹糸声"と言われた大城美佐子さんの唄声が実に切ないです
運命に弄ばれながら転落していった沖縄女性の悲しみが三線(さんしん)の音色となって、胸に苦しくそして静かに響いてきます
シンプルに唄と三線一本で奏でられる曲
だからこそ余韻が残り、心締め付けられます
自宅のCDでも、スマホでも、毎日聴きまくっています(^^)/
天底節、たまらないぐらいすばらしい名曲です!!!!
三線の音って澄んでいて味わい深くってとっても風情があるんです
沖縄民謡の場合、唄がメイン。三線はあくまでも伴奏楽器なんですが、でもこの大城美佐子さんの三線はとにかく余韻がハンパない。こんなにも哀しい余韻が残る演奏はないと思います。三線の魅力がギュッと凝縮された歴史的名演です!!間違いないです!!!!
沖縄民謡界のレジェンドだった大城さんはすでにお亡くなりになっています。この録音が未来永劫、永遠に残ることを祈ってます。僕の心の中では美佐子さんが唄声に込めた情感と天底節の哀調を帯びた旋律がいつまでもいつまでも響き続けています。このブログ記事をご覧のあなたの心にも響くことを信じています
ちなみに、大城美佐子さんの天底節の録音はいくつかあるみたいですが、圧倒的にすばらしいのが「片思い」という CDに収録されているビクターのバージョンです
※記事上部の YouTubeがそのバージョンです
歌詞が沖縄の方言なので、下記の概略で意味をよく理解した上で聴いてみてください
天底節(あみすくぶし)の概略
天底節は沖縄やんばる(山原)に伝わる琉球民謡で 1930年頃の実際の出来事をもとに生まれた新民謡です。今帰仁の天底で生まれ、7歳で両親を亡くし孤児となり、大阪へ渡り沖縄の男性と結婚、出産を経てその後故郷に戻るも、姑からの激しい仕打ちを受け、身一つで家を追われ行き場を失い、やがて花の島(遊郭)へ身を落とす女性の哀しい人生を、本人の独白のように歌い上げます。実在の悲話に基づくため、その内容はあまりにも生々しく哀しいのです。
私にとって想い出の 1曲は今帰仁天底節(なちじんあみすくぶし)です。
16歳の時に働いていた普天間の食堂で、お客さんが店に置いてあった三線で歌っていたのを聴いたのが最初です。思わず魅せられて近づいていったら「覚えなさい」と 2回歌ってくれました。結局その 2回で覚えてしまった。でもその当時は女が民謡をやるというのはなかなか許されない時代で、まさか民謡歌手になるなんて夢にも思いませんでしたね。
今帰仁の女性が大阪の北恩加島へ働きに出て結婚、出産、沖縄に戻って来るのですが、姑と折り合いが悪くて家を出て、最後は苦界に身を沈めていくという悲しい物語です。10番まである長い唄ですが、物語唄なので歌詞をとても大切にして歌っています。これを私自身の実話と思っている人もいるのですが、もちろんそうではありません。
ずいぶん後になって、松田永忠さんと『楽しき朝』をレコーディングしたときに初めてB面に入れました。その後も何度もレコーディングしていますし、ライブでもよくリクエストされる、とても思い出深い唄です。
大城美佐子
JJazz.Net ブログより引用
天底節のCD
天底節が収録されている大城美佐子のCD「片思い」
7曲目が「天底節」、7分20秒でこのCDの中で圧倒的に長いです
12曲目の「ナークニー~山原汀間当」もとても美しい旋律で、心に残るステキな曲です
1994年9月21日という日付が印刷されています
今から約30年前のCDです
片思い/大城美佐子
決定盤!沖縄島唄の深淵を唄う、円熟のウタサー大城美佐子、入魂のアルバム
全曲現地沖縄、デジタル新録音
たぶん 57、58歳頃の写真です。今の僕と同じ年ですね。今の僕と同じ年にこの天底節は収録されたわけです。美佐子さんはこの世にこの曲を残しました。僕は一体何を残せているのだろう!?
このCDを故知名定繁先生へ捧げる。
1994年4月21日~23日 那覇市サザンカーニヴァルスタジオにて収録
このアルバムは、大城美佐子が唄で綴った自叙伝である。
昭和11年(1936年)、大阪市大正区北恩加島に生まれ、沖縄で育つ。天才民謡歌手として知られていた。
もう一枚のCD「絹糸声(いーちゅぐぃ)」と並べてパチリ♪♪
僕のミサーコレクション
絹糸声(いーちゅぐぃ)/大城美佐子
絹糸声(いーちゅぐぃ)、絹糸(きぬいと)のような美しい唄声という意味です
大城美佐子プロフィール
1936年、大阪天王区北恩加島に生まれる。沖縄に引き上げ、山原は辺野古小(現名護市)にて幼少期を過ごす。昼休みに大人が置いてある三絃を自己流で弾く。村芝居と踊りが好きで叱られても覗きに行っていた。二十歳頃、中部は宜野湾、普天間で過ごす。そのころ古典音楽や舞踊を習う。小浜守栄や嘉手苅林昌のオッカケもその頃。普天間の料亭で働いている頃、普久原恒勇や上原直彦らに本格的に民謡に取り組むよう勧められる。知人の紹介で知名定繁のもとへ弟子入り。1962年「片思い」でレコー ドデビュー。以来シングルレコード多数。73年、東京公演(嘉手苅林昌らとジアン・ジアンなどで) 75年、琉球フェスティバル(東京、大阪、京都など) 76年、独演会を催す。(引退公演?) アメリカ、 ハワイ南米などで演奏。88年、島唄リサイタルを催す。92年、那覇へ居を移す。96年、琉球フェスティバル(東京、大阪) 現在、琉球民謡協会宜野湾支部長を勤める傍ら大城美佐子民謡研究所にて後進の指導。今年(1997)11月にリサイタル (那覇市民会館)の予定。
「昼休みに大人が置いてある三絃を自己流で弾く。村芝居と踊りが好きで叱られても覗きに行っていた。」なんて、根っからの音楽好きなんですね!
このCDは1997年に録音され、同年発売されています
沖縄哀歌 天底節(あみすくぶし)
故・大城美佐子さんの心に沁みる名演、名唱をぜひあなたも味わってみてください
こんなにも情(なさけ)がある唄はないですよ!!
(おまけ)
イタリアで買った幸せの木のキーホルダー
▼あわせて読みたい関連記事
「ヒヤミカチ節」田福真美さんの唄声と三線が世界を明るく平和にする♪♪
「私は体で法を説く」華厳経 善財童子の旅。肉体は聖、肉体的快楽は聖。
【音楽 決定版!】おすすめ音楽ブログ記事一覧 聴いた音楽のレビューたくさん有♪♪


