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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

精霊船(しょうろうぶね)、花火、爆竹。長崎精霊流しを生まれて初めて見ました

「ドーイ、ドーイ」 爆竹鳴り響く長崎のお盆。精霊流し(しょうろうながし)は故人を極楽浄土へ送る大切な行事で、長崎の夏の風物詩です。

湊公園に停まっていた精霊船(供養船)
※みよし(舳先部分)にはメモリードグループ長崎供養船と書かれています


精霊船の盆提灯
令和2年(2020年) 8月15日 村内伸弘撮影



8月14日の長崎新聞 コロナ禍「もやい船」縮小も。精霊流し 
自治会対応 「こも」ワゴン車で / 人数最小限 / 中止 / 例年通り


竹などで伝統の「もやい船」を例年通り造る西山2丁目自治会の関係者


精霊流しは故人を極楽浄土へ送る大切な行事。新盆の家からは「船で流してほしい」との声や残念がる声もあった。心苦しいがコロナは先が読めない。(下西山町自治会 町会長)


自治会それぞれの決定は長崎の多様性の表れで、自分の町に愛情があるからこそ。形は変わっても、根底にある、み霊を送るという気持ちは変わらない(長崎市長崎学研究所 元所長)

長崎新聞より引用



あす「精霊流し」 大切な "故人との思い出"胸に花火店にぎわう コロナで変化

8月14日の長崎のテレビニュース



令和2年(2020年) 8月15日 午前10時半過ぎ。長崎精霊流しを見学するため、街へ出ます。

宿泊している中華街のホテルJALシティ長崎の近くにあった花火屋さん


店内すべて花火!このお店、以前にも何度か入ったことがありますが、多少は別の品物も売ってたんですが、今回は 8月15日(お盆真っ最中)ということもあり、店内の商品すべて花火でした!!



湊公園(みなとこうえん)

精霊船(しょうろうぶね)


感動~☆ 大きな精霊船(しょうろうぶね)が停まっていました


大きな精霊船(もやい船)


この船は僕が生まれて初めてナマでみた精霊船(もやい船)です。


この後、女神大橋の上を歩いて渡ってきて、一度ホテルに戻りました。



そして、夕方午後5時半頃、ホテルJALシティから外に出て見学します。精霊流しはお祭りではなく、長崎の人々にとって大切なお盆の伝統行事ということなので、節度を持って見学し、僕自身も御霊(みたま)を一緒に送る気持ちで空間を共にするつもりです。


長崎・新地中華街 東門(青龍門)


写真左下、精霊船が通っています。ホテルの中にいる時に爆竹の音が断続的に響き始めていたので、午後5時ぐらいから精霊流しは始まるようです。


鉦(カネ)を鳴らし、爆竹を鳴らしながら精霊船が目の前を通っていきます。


心の中で合掌しながら、僕も一緒にお見送りします。



再び湊公園

JALシティ前からすぐ近くの湊公園まで歩いてみました。


お揃いのハッピを着た人たちがたくさん集結していました。


午前中見たこの大きな精霊船をみんなで曳くようです


この舳先部分はみよしと呼ばれます


長崎の葬儀屋さんの精霊船のようです


ご家族でしょうか?精霊船の写真を撮る方がとても多かったです。



精霊船の盆提灯



手前は湊公園の中華門、奥は長崎新地中華街の朱雀門(南門)


精霊供養と書かれた纏(まとい)


すでに湊公園周辺では爆竹の音がけたたましく鳴り響いています

爆竹のカス


オランダ通り 九州電力新地変電所前


煉瓦張りの変電所の前を精霊船が通っていきます


「ドーイ、ドーイ」いろいろな道から次々に精霊船が現れます


家族・親族・友人が心一つに、故人を極楽浄土に送ります。


テレビ局(テレビ長崎)のお兄さんが精霊船を呼び止めて、インタビューをしています



泡たっぷりのビールと枝豆の纏(まとい)

娘さんでしょうか?「おじいちゃんはやさしくて、お酒が大好きで」などと答えていました。亡くなった方を思う長崎の人たちのやさしい心根に僕は感動しました。


長崎の人々にとってたくさんの方に思われ、船を作ってもらって送られることはとても幸せなことなんだそうです。心に沁みることなんだそうです。


「西方丸」の西方とは仏教の「西方浄土」のことです。僕は前から知ってましたが仏教では「極楽浄土」は西にあるんです。ですので「西方浄土」まで故人が無事にたどり着くようにと「西方丸」と描かれた帆を掲げているんだと思います。


※昔、大阪の四天王寺で西方浄土信仰のシンボルの鳥居(日本浄土思想発祥の地)を見たことがあります


日本浄土思想の発祥の地

大日本佛法最初四天王寺  石ノ鳥居

大日本佛法最初四天王寺 四天王寺・石ノ鳥居

鳥居越しに西の海(西方)に沈む夕陽を拝む信仰が今日まで続いている


精霊流し

今回は長崎のお盆の伝統行事「精霊流し」を紹介します。


「ドーイ、ドーイ」の掛け声に合わせて精霊船で賑やかになります。盆の八月十五日夜に各家で造られた大小の精霊船が県庁坂を登り大波止に向かっておりていきます。


精霊流し(しょうろうながし)は、亡くなった人の霊を船に乗せ、極楽浄土へ送り出す日本の伝統行事です。

この行事は各地で行われていますが、長崎の精霊流しは他の地域風習とはかけ離れて独特の発展を遂げています。

流す船のことを精霊船(しょうろうぶね)と呼び、長崎県内各地でお盆に行われています。

初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花などで飾られた精霊船と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、流し場と呼ばれる終着点まで運びます。

夕方から開催され、爆竹の爆発音・鉦の音・掛け声が交錯する喧騒のなかで行われます。


精霊船の種類は大きく 2つあります。初盆の家族から出る「個人船」と自治会などが合同で出す「もやい船」と呼ばれる船です。


流し場までの列は家紋入りの提灯を持った喪主や、町の提灯を持った責任者を先頭に、長い竿の先に趣向を凝らした灯篭をつけた「印灯篭」と呼ばれる目印を持った若者、鉦、その後に、揃いの白の法被で決めた大人が数人がかりで担ぐ精霊船が続きます。近年では「担ぐ」といっても船の下に車輪をつけたものが多く、実際には「曳く」ことが多いのです。


印灯篭は船ごとに異なります。もやい船の場合はその町のシンボルになるものがデザインされています。個人船の場合は家紋や故人の人柄を示すものが描かれています。

精霊船の基本形は前述の通りですが、近年では印灯篭の「遊び心」が船本体にも影響を及ぼし、船の形をなしていない、いわゆる「変わり精霊船」も数多く見られます。(例:クルマ好きの故人→クルマ型など)


由来は諸説ありますが、中国の彩船流しの影響が色濃くでているものとされています。また、流し場までの道行で鳴らされる爆竹は、中国が起源であるなら「魔よけ」の意味であり、精霊船が通る道を清める為とされています。

昔の船は竹や藁を縄で結い、実際に海へ流していましたので、浮かぶようにつくられていました。精霊流しの灯りの行列は、江戸時代でも夢のように壮観であったという記録が残っています。海面に映し出される灯の美しい風景に、江戸時代の人々は魅了されたに違いありません。しかし、海に入った担ぎ手が亡くなったり、海上で船が燃えるなどの事故も多く、明治4年には船を海に流すことは禁止となりました。

長崎しにせ会ホームページより引用



花火をし、爆竹や鉦などを鳴らすことで邪気を追い払うみたいです。




湊公園に停まっていたあの大きく立派な精霊船がそろそろスタートのようです。



4連の大きな精霊船が動き始めます!


この湊公園は冬の長崎ランタンフェスティバルのメイン会場なのですが、夏はこうやって精霊船が出発するわけです。長崎文化の豊かさを思わずにはいられません。


精霊船は銅座を通って、春雨通り方面に向かいます。



▼動画をご覧ください

動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)





"日本三大中華街" 新地中華街の一角にあるホテルJALシティ長崎前を通過する長崎供養船


続々と精霊船が集まってきます。目の前を通過します。


女の子が花火でおじいちゃんを極楽浄土へ送っています。


長崎に生まれた女の子にとって、お盆に花火をするのは当たり前のことなんでしょう。八王子に生まれ、育ち、暮らす僕にとってお盆の花火は新鮮です。


でも、この瞬間、花火で送られる故人は間違いなく幸せなんだろうなと感じました。心がこもっています。やさしいです。長崎の風習、素晴らしいです。



渋滞中。


亡くなった家族や親族を偲び、思い出とともに精霊船を送る。長崎の人々の心根はあまりにも美しい。あまりにも優しい。あまりにも気高いです。



▼あわせて見たい精霊流し動画

動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



動画撮影&制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)



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昭和の家。小さな子供だった僕が暮らしていた木造の家

昭和40年代の昔の家(昔住んでいた家)

今のムラウチエコ村(旧ムラウチ電気)の場所にあった僕の家



昭和44年(1969年)7月15日 村内のぶひろ 1才
(たぶん自宅または自宅近く)水遊び中の僕


昭和45年(1970年) 6月6日 村内のぶひろ 2才
(たぶん自宅)妹と一緒に


昭和46年(1971年) 5月15日 村内のぶひろ 3才
(たぶん自宅)カブトをかぶった僕


昭和46年(1971年) 11月29日 村内のぶひろ 3才
自宅玄関前、松下電器のダンボールに入った僕




僕が生まれた頃、父と母はお店の中に住んでいたという話を聞いたことがあります。


ゆりかごの中の僕はレジの横に置かれていたので、僕・村内伸弘はレジの音を聞きながら育ったそうです。


聞こえてくる音がピアノの音だったら大ピアニストになれたのですが。。。
聞こえてくる音が読経だったら大宗教家になれたのですが。。。


僕が赤ん坊の頃に聞いていた音は残念ながら "レジスターの音"だったようです 笑



(たぶん)その後、店の外に引っ越して、その時に住んでいた家がこの家です。東京都八王子市大和田町。今のムラウチエコ村(旧ムラウチ電気)の場所にあったこの家です。幼稚園ぐらいまで暮らしていた記憶があります。



すごい雑然としてますね。。。


お世辞にもステキな家には見えません
奥の建物がムラウチ電気ですから、お店の真裏に住んでいたってことです


ブログのフッター(画面下)に貼り付けている真下の写真はちょうどこの場所で撮られていますよね、間違いなく!金網や石でゴツゴツしている地面が完全に一致しています!!


なきじゃくる昭和40年代の僕



後ろ(店舗側)から見た僕の家




古い写真
それはワンダーランド


昔の写真
それは美しい思い出の国


うん、素敵です!すっごい素敵です!涙が出てくるぐらい素敵な家です!!



ムラウチ電気の建物から撮影した写真

昔の甲州街道(国道20号) 大和田坂下
交通量少な~い!車が古~い!!
※左に多田製粉さんの看板が写ってます=今の甲州街道と16号バイパスの交差点です
※写真がカラーになっているので、上の家の写真のちょっと後ぐらいの写真だと思います



(おまけ)

昭和47年(1972年) 1月5日 村内家の集合写真 ※八王子子安神社写真部謹製


村内のぶひろ 3才
村雄おじいちゃんと歌子おばあちゃんに挟まれて



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香港マカオ記念写真集!昭和の女性セブン香港ツアー オドロキの写真の数々

1960年代 昭和人たちは香港やマカオでフィーバーしていた。老いも若きも  笑

大量の女性セブン美女が香港とマカオへ大挙押し寄せた!!


マカオ(澳門) 聖ポール天主堂跡



とんでもない美人が写ってます!!
堂々のセンターです 笑


マカオ(澳門)の聖ポール天主堂跡前で大勢の日本人女性を引き連れて、このミニスカの女神は君臨しています!!!!w


その他大勢とは存在感がまるで違います!! → その他大勢の方々スミマセン(^^)


マカオのミニスカ女神

マカオのミニスカ女神♪♪


この女神は日本人でしょうか?それとも香港人なんでしょうか?(謎)


おじいちゃんとおばあちゃんの写真整理(遺品整理)をしていたら、この香港・マカオ旅行の写真が出てきました。なぜか、2人で女性セブン主催の香港マカオ旅行に参加してました。その記念写真の中にこの女神が写っていたのです!


当然僕はこのブログ記事のトップにこの美女を持ってきます。当たり前でしょw



他にもいろいろ女性セブンツアーの香港やマカオの写真があるので、ぜひぜひご覧下さーい♪♪


PICTURES OF HONG KONG


「香港記念写真 愛活旅遊撮影公司」と袋には書かれています
"愛活"って社名が気に入りました♪♪


歓迎来香!女性セブン 香港マカオ御一行様 太平洋旅運有限公司


香港の空港に大挙として女性セブンがらみの日本女性が降り立ちました。1960年代、昭和の香港・マカオ観光ツアーの始まり始まり~


バックに香港のうつくしい海が写っています!どの辺りでしょうか?


少数民族?の人たちと記念撮影しています。香港でしょうか?マカオでしょうか?


1960年代 香港の街角。村雄おじいちゃんと歌子おばあちゃんの二人


おばあちゃんの笑顔や表情がとびっきりステキです!!


DRAGON INNと書かれた建物(ホテル?レストラン?)の前の階段を下りる歌子おばあちゃんと村雄おじいちゃん


どうやら業者がスナップ写真を撮って、旅行者に売るスタイルの写真っぽいですね
昔こういうスタイルの写真販売がけっこうありましたよね


ここはどこでしょうか?門には PAKと言う文字が見えています


おじいちゃんがおばあちゃんの背中に手を回してエスコートしています。おばあちゃんも装いがステキです。


マカオ(澳門) 聖ポール天主堂跡


1960年代の日本女性、いいですねー
明るくて健康的ですよね、昭和の女性たちって!!


でもやっぱりミニスカの女神がいいな~(爆笑)



ここもどこだろう?わかんないーー
右端にご注目。高齢の着物の女性も参加していらっしゃいます!


右上、女性セブンの旗がなびいています!
眼鏡を頭にかけた真ん中の女性は女優さんなんでしょうか!?
この女性も他の人たちとは違う空気を放出しているのを感じます


左に写ってた一般人さんもめっちゃキュートですよー(^^)/

ペンダントが十字架です♪♪
顔も美智子さまに似ているような似ていないような・・・



1960年代の香港いいなー
1960年代のマカオいいなー



最後にもう一度、香港が人々をこんな笑顔にしてくれるという実例

香港の街角の歌子おばあちゃん、最高のスマイルうううぅぅ♪♪


ああ、僕も
香港とマカオを久々に旅したいなー



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