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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

旧唐人屋敷跡 土神堂と蔵の資料館 - 中国人たちの長崎<前編>

鎖国時代、唐人さん(中国人)が暮らした長崎の居留地。修復改築され残されている四つのお堂をめぐります。

旧唐人屋敷跡 土神堂
令和元年(2019年)7月25日 村内伸弘撮影



梅香崎神社(天満宮)を上に上りました

梅ヶ崎神社の境内社 若杉稲荷神社


しばらく歩くとこんな景色が目の前に広がりました!

斜面や高台に家々がビッシリと広がっています。斜面都市(坂の街)・長崎ならではの光景です


凸凹してどうなってるのか?ちょっと普通はわかんないですよね、この写真。


工事中の土地へ上る扇型の階段
この階段はすごく風情があります。将来こういうシャレた階段をどこかに作ってみたいですよ!でも一体、この階段は何の階段だったんだろう?


ネットで調べたら、江戸時代にあのポンペ先生が作った小島養生所という建物があったみたいです。この階段はその時からの名残なのでしょうか?


これは唐人屋敷跡みたいです
知らず知らずのうちに唐人屋敷のエリアに入ってきてしまったようです


唐人屋敷がいかにすごい史跡なのか?
皆さん、ぜひ最初にこの文章を読んでみてください。

出島と同等の価値を持つ唐人屋敷

唐人屋敷と出島。どちらも日本で唯一長崎に存在する貴重な歴史遺産です。出島は、西欧の文化・学術の交流拠点として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。しかし、鎖国時代の長崎や日本に与えた影響は、出島と同様に唐人屋敷も大きく、漢詩文・絵画・書など、唐人屋敷の唐人に学ぶために多くの遊学者が長崎を訪れました。その数は出島を目指した人々よりも多かったのです。また、中国貿易は、オランダ貿易よりも量・利益ともに上回っており、長崎景気を大きく左右していました。このように、唐人屋敷は、出島と同等の価値を持っているのです。

唐人屋敷探訪マップより引用


長崎に溶け込んでいる中国文化は全部唐人屋敷から伝わったってことなんですよ!!


唐人屋敷跡 北東隅


この辺りの住宅も乙な感じです


住宅で埋め尽くされた山の斜面が芸術的!


規則性がぜんぜんないです!不規則な長崎、実にうつくしい!!!!


長崎の斜面に佇む家々はホントステキ。


左側の白いドアもいいな!


みんなできずこう明るい町を 防犯モデル地区
佐古地区防犯協会


唐人屋敷の入口の門「唐人屋敷象徴門(大門)」


熱烈歓迎 唐人屋敷跡

唐人屋敷のご案内

江戸時代、鎖国政策をとっていた江戸幕府は、密貿易やキリスト教浸透を防止する目的で、貿易のために来航する中国人(唐人)たちの居留地として、1689年(元禄2年)に唐人屋敷を建設しました。


唐人屋敷の周囲は練塀や塀などで囲まれ、出入口には大門と二の門が設置され、この二重の門により人の出入りが激しく制限されていました。


二の門より中は、遊女のほかは役人であってもみだりに入ることは許されませんでした。


1859年(安政6年)、日本が開国すると、来航した唐人たちは、大浦の外国人居留地や新地・広馬場などへ住むようになりました。1868年(明治元年)に唐人屋敷は解体され、現在、跡地は市街地になっています。

丸山遊女は入れたんですか!唐人さんたち丸山遊女と遊べたってことですよね。うらやましすぎる!!


唐人屋敷の地図


唐人屋敷の位置
寛政4年(1792年)に描かれたこの円山応挙筆の「長崎港図」を見ると唐人屋敷の位置がすごくよくわかります


唐人屋敷 Former Chinese Settlement


唐人屋敷通り 整備イメージ


土神堂前の様子もこれからずいぶん変わっていきそうです。今のうちに現状の様子を写真に収めておくのは大切だと僕は思いました。


こういう地図も現在、または将来誰かの役に立つ可能性があるので写真に残します


旧唐人屋敷跡 土神堂

もう整備が始まったのでしょうか?土神堂の真横が工事中でした


旧唐人屋敷

江戸幕府は、一般の日本人と外国人との交流を避けるため、オランダ人(当初はボルトガル人)の住居は出島、唐人の住居は唐人屋敷と定めました。唐人屋敷は現在の館内町のほぼ全域にあたり、元禄2年(1689年)完成しました。これ以降、唐人の市内居住が禁止されました。

旧唐人屋敷に現存する四堂(上の写真)のうち、土神堂、観音堂及び天后堂の三堂は唐人屋数の中に建てられていたものですが、福建会館は唐人屋数廃止後の明治期に建てられました。


それでは土神堂の中に入ります

市指定史跡 旧唐人屋敷内 土神堂(どじんどう)


土神堂(どじんどう)


土神堂は去年の 4月に来たのですが、せっかくなのでもう一度じっくり参拝します。


反り返った屋根があまりにも中国~♪♪


お堂の中も中国っぽいですよね、やっぱり♪♪


土神堂、石橋も独特な感じです





長崎のお墓の横に「土神」と書かれた小さな石碑がよく建っています。それは中国の土神が長崎の風習として根付いたもので、土神さまは長崎の生活の中にも溶け込んでいると言えるのです。



土神堂の横の商店街、さっき見た地図だと館内市場ってなってました。

土神堂の真横の路地。ステキです!ステキすぎます!!


銭湯(丸金温泉)がありました
女湯の入口に「萬年善徳為良範」という言葉がありました。


外観も独特です、というか異国ですw


入口の上には「出入平安事事成 求財順景方方利」って書いてあります。
もはやここは日本ではありません。中国です。正真正銘中国です。


ドンドン歩いていきましょう


長崎独特!出島型のご当地ナンバープレート
ナンバーの輪郭が出島の形状になっている長崎市の扇形プレート。
長崎情緒が大爆発って感じで、最高の気分になっちゃいます!


なんだろう?何て言えばいいんだろう?
とにもかくにも長崎は長崎です。他の街とは全然違うんです。


振り返るとまたまたすばらしい光景
長崎万歳~☆☆☆


曙美茶通 意味不明です 笑


この建築ヤバイ!特に屋根の上がw
台風で一発で吹き飛びそう(笑)



蔵の資料館

蔵の資料館という資料館があったので入ってみます


「1670年代、長崎の人口約6万人の内の 6分の1 約1万人は中国人であった」って書いてあります。令和ニッポンが外人さんが増えた増えたって騒いでるのがおかしいぐらいの割合ですね!6人に 1人かあ~


唐館遊女遊興図

唐人屋敷の二ノ門からなかに入ることができるのは遊女に限られていた。唐人屋敷に出入りする遊女は、唐館行と呼ばれた。これら遊女の長期滞在は禁止されていたが、後には大目に見られ、その出帆まで居続ける遊女も少なくなかった。


唐館行遊女(丸山遊女)
タイプスリップしてこの頃の唐人屋敷に潜り込んでみたいなー
丸山遊女かぁ、いいなー 何度でも書きます(笑)


唐船の航路図(17世紀~19世紀)


今も昔も日本と中国っていうのはやはり密接な関係だったんですね。この航路図を見るとそれがよくわかります。


遊女出替り之躰


どうしても丸山遊女に目が行ってしまう僕・・・ 笑


蔵の資料館の正面入口



これたぶん「卍 (まんじ)くずし」では?

とんでもないデザインが無造作に存在しているこの不思議。。。


▼4月2日、京都萬福寺(万福寺)で見ました

京都宇治・萬福寺法堂正面の卍くずし勾欄

京都宇治・萬福寺法堂正面の 卍くずし勾欄



「ざぼん漬・口砂香(こうさこ)」ってどんな味なんだろう?興味津々ですw


あー
すごい!すごい!
長崎、すごいよ!!!!すごい!すごい!すごい!!



▼今回の長崎旅行


新宿バスタから都庁経由で羽田空港国内線旅客ターミナルへ


空の上から東京スカイツリーが見えた!ビッグエッグが見えた!美しい佐世保の海が見えた!


長崎・思案橋宝雲亭の一口ギョーザと豚ニラトジがめちゃウマ!!


bar nagare(バー ナガレ)の長崎産スイカのカクテルと長崎くんち


長崎くんち踊町 籠町の龍踊(じゃおどり)の練習風景


長崎夜さるく!ぶらぶら歩く長崎市内の夜の街


大徳寺の大クスとクマゼミの鳴き声の大合唱 - 長崎市梅香崎神社(大徳寺公園)


旧唐人屋敷跡 土神堂と蔵の資料館 - 中国人たちの長崎<前編>


旧唐人屋敷跡 天后堂、観音堂、福建会館 - 中国人たちの長崎<後編>


島原まぜ飯。おばあちゃんの愛情タップリの島原の味に感動!


長崎カステラデー!白水堂の桃カステラ「こもも」 → 松翁軒のチョコラーテカステラ


福山雅治行きつけの店 長崎・思案橋ラーメンでバクダンチャンポン


令和元年度 長崎ペーロン大会 開会式&海上パレード


令和元年度 長崎ペーロン大会 レース写真とレース動画


大量の長崎浴衣美人!長崎水辺の森公園でながさきみなとまつりを満喫


ながさきみなとまつりの花火大会 DJ ROCKETMAN(DJロケットマン)と!


青い羽根募金とナガサキピースミュージアム / NAGASAKI PEACE MUSEUM


長崎・浜町 カフェオリンピックの龍馬パフェと長崎ビビンバ


長崎新地バスターミナル!長崎のバスの旅ならここが起点です


長崎ローカルバスの旅: 新地バスターミナルから桜の里ターミナル、道の駅(文学館入口)へ


道の駅夕陽が丘そとめから見た外海の風景が美しい美しい美しい


長崎市遠藤周作文学館 -「沈黙」の舞台となった隠れキリシタンの里に佇む記念館


遠藤周作文学碑 沈黙の碑「人間が こんなに 哀しいのに 主よ 海があまりに 碧いのです」


野道共同墓地にド・ロ神父のお墓を訪ねて - 外海のためにすべてを捧げた人生


石積みの人間的なお墓、潜伏キリシタンの墓群との衝撃的な出会い。野道共同墓地(出津共同墓地)にて


さいかい交通バス&長崎バス - 出津~桜の里ターミナル~長崎市内へ 




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