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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

長崎・若宮稲荷神社の坂本龍馬之像(風頭山頂の坂本龍馬像の原型)

別名: 勤王稲荷神社!竹ん芸でも知られる、「伊良林くんち/若宮くんち」でも知られる若宮稲荷神社。朱色の鳥居が連なる若宮稲荷神社参道(若宮通り)もステキ♪♪

若宮稲荷神社の坂本龍馬之像


風頭山頂の坂本龍馬像の原型


若宮稲荷神社参道(若宮通り)


扁額「伊良林稲荷神社」


扁額「伊良林稲荷神社」
平成31年(2019年)3月2日 村内伸弘撮影



風頭と伊良林、まだまだ龍馬関連のものがありますよ!
何だと思いますか!?


ハイ!風頭山頂の坂本龍馬像の原型となった若宮稲荷神社の坂本龍馬之像です。
若宮稲荷神社へレッツゴー!


若宮稲荷神社に向かって歩いてます

写真右下「坂本龍馬の銅像へ」という赤い矢印の看板が目に入りました


方形の鳥居 ※方形(ほうけい)=四角形、正方形


鳥居の柱が方形で作られていて確かに珍しいです


角張ってます


四角いです!鳥居っぽくな~い 笑



亀山焼

(左)亀山焼窯跡について (右)亀山焼登窯復元想像図


亀山焼の説明


亀山焼窯跡

亀山焼

この地は幕末の名陶・亀山焼の窯があった場所としても知られています。亀山焼は、文化4年(1807年)頃から長崎の伊良林郷で焼かれた陶磁器亀山焼で、最初はオランダ船向けの水がめ(陶器)を焼いていましたが、のちに中国産呉須を用いた格調高い白磁染付を数多く製作しました。田能村竹田、木下逸雲ら文人による絵付け作品でも有名です。慶応元年(1865年)頃に廃窯となり、龍馬たちはその亀山焼関連の家屋を借り受けて結社をおこしたとされています。

亀山社中記念館パンフレットより引用


亀山焼は 50年ぐらいしか焼かれなかったので「幻のやきもの」とも言われているそうです。


それにしても長崎は坂が多いので、こういう景色がどこからでも拝めます!


美しい街を見ながら界隈を歩き回ります


若宮稲荷神社が近づいてきました


可愛らしい太鼓橋がありました♪♪


こういうところにも旅情を感じます。長崎、最高!



若宮稲荷神社

若宮稲荷神社本殿に到着しました


なんだぁ~ このおみくじは~!!


日本史上.... 100%不可能と言われたびつけた若宮稲荷神社の薩長同盟おみくじ


薩長同盟おみくじ 1枚100円


これはひくしかないな!と思いましたが、去年の 11月に孔子廟で最高のおみくじが出ているので、その効果を持続させる(打ち消さない)ようにと思って、今回はやめときました。次回は "薩長同盟おみくじ"ひいてみます(^^)/


事業(商売)    幸運な巡り合わせで必ず成功するでしょう。

事業/商売 - 幸運な巡り合わせで必ず成功するでしょう。


ジャジャーン!龍馬いた~!!


若宮稲荷神社の坂本龍馬之像

若宮稲荷神社の坂本龍馬之像は風頭公園の像に比べて、かなり小ぶりです。


それもそのはず、風頭山頂の坂本龍馬像の原型なんだそうです!


あと、この若宮稲荷の龍馬像は風頭公園に較べて、顔がちょっとふっくらしてますね 笑

▼風頭公園版と較べてみてください

風頭公園の坂本龍馬像


ちょっと太った印象の龍馬が逆にかわいいです!


坂本龍馬って、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」あたりから神格化されてる感があるので、こういうどこにでもいそうな感じの銅像も親近感があってステキです♪♪


そこらにいる兄ちゃんって感じがいいな~


偉人感がないです、この銅像。
僕はそれがいいな~~


坂本龍馬之像


坂本龍馬之像

慶応元年(1865年)幕末の風雲児坂本龍馬は、伊良林・亀山に日本最初のカンパニー「亀山社中」を創設した。亀山社中は、商業活動のかたわら倒幕運動にかかわり維新回天の事業を推しすすめ、日本の近代化に大きな役割を果たした。


この銅像は、風頭山頂に立つ坂本龍馬之像の原型であり、龍馬ゆかりの地・亀山社中の一層の発展を願って制作者山崎和國氏から寄贈されたものである。


題字は、山崎和國氏書。


平成3年11月吉日

亀山社中ば活かす会



坂本龍馬と若宮稲荷神社


若宮稲荷神社は「勤皇稲荷」とも呼ばれています。

これは、当稲荷が南北朝の武将・楠木正成(1336年没)の守護神であったことにちなみ、幕末に来崎した諸藩の志士が多く参詣したためと言われています。


幕末当時、頼山陽の「日本外史」等の影響により、楠木正成の人気が高まり、勤皇の志士たちの厚い尊敬を集めていました。


坂本龍馬(1835年~1867年)も正成を崇拝していたらしく、正成の最期の地である神戸・湊川では「月と日の むかしをしのぶ みなと川 流れて清き 菊の下水」という歌を詠んでいます。また、今も残る写真には、正成所持の刀を模して作らせたと言われる脇差を、腰に差した姿でおさまっています。


若宮稲荷神社は、龍馬の創設した亀山社中や、盟友・佐々木三四郎と会飲した料亭・藤屋にも近いことから、たびたび参詣して、日本の維新回天が一日も早く成就する事を祈っていたのではないでしょうか。


(亀山社中ば活かす会)


このお稲荷さんは亀山社中始め諸藩の勤王の志士たちが参拝した"勤王稲荷神社"という別名があるそうです!


"勤王"というとやはり京都のイメージがあるんですが、長崎も幕末の激動の中心地だったんですね!!


それとこの看板にも「亀山社中ば活かす会」という名前がありました。「亀山社中ば活かす会」の情熱にはただただ脱帽です。



若宮稲荷神社の境内


たぶん、長崎観光の際にこの若宮稲荷神社を訪れる方はあまりいないと思うんです。


でも、とても魅力的な場所なのであなたもぜひ訪ねてみて下さい。

長崎11社 スタンプラリーとかも楽しそうですしね


竹ン芸
毎年10月14日、15日に、キツネ面を付けた白装束の若者二人が命綱なしで高い竹の上に登って、三味線などに合わせて芸を披露するそうです。「竹ン芸」見てみたいですね♪♪


龍馬のお守り(夢叶う志守)


勤皇の志士達が 抱いた如く志は高く 夢叶いますように


竜馬絵馬!もしかすると日本で一番カッコイイ絵馬かも!?


 龍
絵馬


ってなってます 笑


やっぱりかっこいいです!


境内、独特の雰囲気です


大きな石の上に社(階段)が乗っています!


神秘的な感じです!!


境内から階段で下に下りました。これは振り返ってみた様子です


どんどん下へ下りていきます。下界へ戻る感じですw


赤い鳥居が続く参道をひたすら下りていきます。


ホント上りじゃなくって良かった。
風頭は"上から攻める"が鉄則ですねw


もう一度振り返って見た若宮稲荷神社の参道


すごーい!
ここまだ外国人に知られてませんね!
伏見稲荷が外人でごったがえしているのに比べてとても静かです。
日本人すらいません 笑


若宮稲荷神社参道(若宮通り)すばらしいです!!このすばらしい風景を僕は独り占めしています!!!!!!


ワンダフル!お稲荷さんムードあふれる朱色の鳥居が幾重にも連なります。


参道脇道の石垣や階段


またまた振り返ります。


つづら折りの参道の石段があまりにもすばらしいです!!


朱色の鳥居が列をなして立つ壮観!


下から上っていく場合はこういう光景なんですが、これ上まで行くのかなりキツイですよ、マジで!夏はヤバイと思います 笑


途中、休石がおいてあるのはわかります。



どうですか!荘厳で神秘的な雰囲気すら漂っています。僕は本数数えませんでしたが延々と約70本もあるそうです!


ちかん特別警戒地域


龍馬大活躍(笑)

収集後は、ごみを出したらいかんぜよ。

坂本龍馬


下界へ下りてきました

扁額には「伊良林稲荷神社」と書いてあります。


同じく扁額には「伊良林稲荷神社」と書いてあります。




次回は下から若宮稲荷神社の本殿まで上ってみようかな~
もちろん冬にね~w



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幕末のスーパーヒーロー坂本龍馬、日本最初の商社を幕末の長崎に創設す!長崎伊良林・龍馬がゆく道の亀山社中資料展示場

亀山社中資料展示場で坂本龍馬の刀とピストルを持つ村内伸弘


亀山社中資料展示場


坂本龍馬の肖像写真


「龍馬伝」 大泉洋(近藤長次郎)、要潤(沢村惣之丞)、平岡祐太(陸奥陽之助)、川岡大次郎(高松太郎)
平成31年(2019年)3月2日 村内伸弘撮影



龍馬のぶーつ像から「亀山社中資料展示場」へ歩いて向かいます。亀山社中記念館にいる時に「今日は資料展示場が開いてると」という話を聞いたので、見に行きます。


良林亭跡



亀山社中資料展示場ありました!

亀山社中資料展示場

この一帯の小径は "龍馬がゆく道"と呼ばれているそうです。


亀山社中資料展示場 及び 亀山社中ば活かす会について

当資料展示場は、「亀山社中ば活かす会」という地元住民・有志による任意の団体で運営しております。この会は、亀山社中跡をはじめここ長崎伊良林の地に点在する、幕末ゆかりの施設の歴史的価値を見出し表すことによって、地域の活性化をはかろうという趣旨で平成元年(1989年)に結成されました。


この資料展示場では、会員が蒐集した幕末期の古写真などを展示・公開しており、我々会員一同は、全国からお見えになる龍馬ファン・歴史ファンの皆様方との出会いを楽しみ・喜びとして、ご案内しております。


どうぞ、お気軽にお立ち寄りいただき、ごゆっくりご鑑賞ください。


伊良林名所案内

亀山社中資料展示場


こがん坂段ばっかいのきつかとこば、よお、おいでました。
どうぞ上がって、ゆっくい見て行きなさらんですか。


良かったら、また、来んねね~。待っとるば~い!


坂本龍馬、日本最初ノ商社ヲ此処ニ創設ス。

幕末のスーパーヒーロー坂本龍馬は、1865年(慶応元年)薩摩藩の援助を受け、長崎の伊良林に日本最初の商社・亀山社中を創設した。当時この小高い丘一帯を亀山と呼び、亀山焼の古窯跡もある。龍馬と社中はこの場所を拠点に、貿易や人脈づくりに奔走し、明治維新への足掛かりを築いた。ブーツを履いた龍馬や社中の制服の白袴で街を闊歩する姿はかっこよく、街の人々の噂の的でした。


龍馬・日本最初ノ商社ヲ此処ニ創設ス。長崎伊良林(いらばやし)・亀山社中
亀山社中ば活かす会

龍馬の銅像がある風頭山から中島川東岸に広がる街並は、古くから発展してきた街です。その斜面に広がる街が伊良林(いらばやし)です。伊良林は最も長崎らしい坂の街のひとつであり、若宮稲荷の竹ん芸などのお祭りや様々な庶民文化が今も受け継がれています。 "龍馬がゆく道"は亀山社中を中心に龍馬が歩いた道と伊良林の文化を紹介する新しい散策のコースです。


亀山社中と幕末の長崎・伊良林


中に入ってみます!


いわゆる博物館とか資料館としがって、全部手作り!龍馬愛や幕末愛が溢れていて実にすばらしい空間です!!


壁面に所狭しと飾られている古い写真!幕末や歴史が好きな僕にとって最高の場所ですよ!!


「龍馬伝 / RYOMADEN」 福山、大河、龍馬。


やっぱり福山龍馬はカッコイイな~☆


座ってる龍馬の写真


坂本龍馬の妻・お龍(おりょう)


幕末の志士!村内伸弘!!笑


亀山社中資料展示場の中にいらっしゃる亀山社中ば活かす会の皆さんはホント親切です。僕にやさしく声をかけてくれて、この写真を撮ってくれました。他の人たちにもどんどん積極的に声掛けして、写真を撮ってあげていました。


この資料展示場の温かい空気は素晴らしいです!


立っている龍馬の写真


これが一番有名な写真ですよね!
そして、この写真が一番カッコイイです!!


坂本龍馬の一番有名な写真


村内伸弘の一番有名な写真 笑


写真左上の龍馬と漢字で書かれているのはハタ(長崎凧)です。


二曳(にびき)の旗!海援隊の旗、メッチャかっこいいですよ!赤と白、僕が大好きな配色です。紅白、僕大好きです!!



福山雅治の大河ドラマ「龍馬伝」に登場した長崎の 2人もしっかり展示してありました!

大浦お慶


大浦 慶 / おおうら けい

長崎人。茶の貿易商。嘉永6年(1853年)蘭国人と提携して嬉野茶の輸出を計り、わが国の製茶貿易事業の先鞭をつけた。生来、義侠心にとみ、財を成すや、国事に奔走する坂本龍馬や大隈重信ほか志士たちを援助した。亀山社中の陸奥宗光が、彼女の背中を流していたなどという話が伝わっている。晩年、この義侠心が仇になり、熊本の士分の若者に欺かれ産を傾けるなど不遇であった。写真は、万延元年(1860年)33才の厄年に写ったもの。


小曽根乾堂


小曽根 乾堂 / こぞね けんどう

長崎人。書画に巧みで、篆刻の大家。明治4年(1871年)勅命により御爾・国爾を彫ったと言われている。内外の文人・墨客との交友も深く、勝麟太郎(勝海舟)とは深い親交があった。また、弟、英四郎を通じ龍馬らの活動を援助している。なお、彼は明清楽小曽根流を確立し、明治天皇の御前で演奏を行った。



海援隊本部(万才町・小曽根邸)



龍馬だけじゃなくって、長州のコーナーもありました!

ザンギリ頭の高杉晋作



いやー!幕末の古い写真や古い資料のオンパレード!
よくぞこんなにも集めたと思って感心しちゃいます!!


龍馬や亀山社中(海援隊)だけじゃなーい
龍馬ゆかりの人やこの高杉晋作のように長州藩のコーナーまで!


ボランティアで運営されている資料館とは言え、すごい迫力です。すばらしい資料館です!!


ボランティアの方が熱心にいろいろ説明してくれたのも嬉しかったです!


くつろぐ龍馬


海援隊士の記念写真
左から長岡謙吉、溝淵廣之丞、坂本龍馬、山本複輔、菅野覚兵衛、白峰駿馬



ここを訪れたいろいろな人のサインや色紙、写真なども飾ってあります。それがまた、見ていてとても楽しいです!!

「龍馬伝」 大泉洋(近藤長次郎)、要潤(沢村惣之丞)、平岡祐太(陸奥陽之助)、川岡大次郎(高松太郎)


「龍馬伝」 脚本  福田 靖


坂本家10代目当主・坂本匡弘(まさひろ)氏


坂本龍馬の子孫がいるんですね!正確に言うと龍馬には子供がいなかったので、坂本龍馬の甥の家系のようです。


下関・伊藤助太夫 子孫、坂本家 9代目 坂本登、勝海舟の玄孫 高山みな子、上野彦馬縁戚子孫 海保幸康。


すごい顔ぶれ!!ちなみに伊藤 助太夫は幕末の下関の豪商です。


(左)小曽根乾堂直孫  十七代小曽根吉郎
(右)亀山社中 坂本龍馬  九代目 坂本登


(左)宝塚のトップスター・早露せいなのサイン


宝塚のトップスター・真矢みきのサイン


真矢みきさんの写真



男も女も、そして各界各層の人たちがみんな龍馬に魅せられているんですね。龍馬に夢見ているんです。この亀山社中資料展示場は龍馬の魂にふれて夢と元気をもらえる場所だったのです!!


来て良かった~☆



▼今回の長崎旅行


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風頭 長崎凧資料館 - 長崎凧の館 (小川ハタ店)


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長崎は坂本龍馬の聖地!長崎 龍馬通り、龍馬胸像、龍馬レリーフ、龍馬川柳などなど


海援隊の前身・亀山社中は日本最初のカンパニー!長崎市亀山社中記念館、龍馬のぶーつ像


長崎 亀山社中資料展示場は幕末古写真や資料の宝庫!龍馬ファン・歴史ファンにおすすめ!


長崎・若宮稲荷神社の坂本龍馬之像(風頭山頂の坂本龍馬像の原型)


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侍 近藤長次郎「おまん、命がけじゃないぜよ」。。。長崎・晧台寺の近藤昶次郎の墓に墓参り


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海援隊の前身・亀山社中は日本最初のカンパニー!長崎市亀山社中記念館、龍馬のぶーつ像

日本(ニッポン)を今一度せんたくいたし申し候!!坂本龍馬が組織した日本初の商社・亀山社中跡で「幕末の長崎の燃える龍馬」と出会う!

"ブーツを履いたサムライ" 坂本龍馬


龍馬のピストル(レプリカ)


龍馬のブーツ(レプリカ)
平成31年(2019年)3月2日 村内伸弘撮影



風頭公園から龍馬通りを下ってきています。僕・村内伸弘は今、亀山社中跡を目指しています!


亀山社中跡への矢印がありました!


坂の途中にある休石(休憩用のイス)もあります。


風頭公園から (4)の龍馬通りというところを過ぎてすぐに左折し現在地に来ています



坂道の上に長崎市亀山社中記念館が見えてきました!!


奥が亀山社中跡、奥の建物が亀山社中記念館です


記念館真横のこの階段の坂道も気になりますが、今回はスルーで記念館に入ります。


ハクモクレンがキレイでしたが、坂の途中までで引き返しました。



長崎市亀山社中記念館

長崎市亀山社中記念館(坂本龍馬 亀山社中の跡)

亀山社中

日本初の商社とされる亀山社中は、慶応元年(1865年)、薩摩藩等の援助により坂本龍馬が中心となって組織されました。社中のメンバーには神戸海軍操練所出身者が多く、航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介を行いました。


特に当時反幕府の立場にあった長州藩に対し、薩摩藩名義で武器や艦船の購入をあっせんするなど、薩長連合へとつながる大きな役割をはたしました。


亀山社中の名は、彼らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。

亀山社中記念館パンフレットより引用

亀山社中について

亀山社中は、慶応元年(1865年)薩摩藩などの援助により、土佐の浪人坂本龍馬が、長崎・伊良林に同志と組織した日本最初のカンパニーといわれる結社である。(のちに土佐藩の後援を得て、海援隊となる。)


メンバーは、幕府の神戸海軍操練所閉鎖に伴い龍馬と行動をともにした若者たちを中心に20余名。長岡謙吉、近藤長次郎、陸奥陽之助、沢村惣之丞など幕末の激動期を生きた志士たちである。社中は、海運業を中心とした商業活動のほか、薩長同盟を基軸とした倒幕運動に参画。幕末維新史において重要な役割を果たした。

亀山社中ば活かす会



亀山社中の遺構として当時の建物を復元した長崎市亀山社中記念館(写真左)


長崎市亀山社中記念館の石垣


復元された建物とは思えません。幕末当時の雰囲気が伝わってきます。


長崎市亀山社中記念館の裏庭


日本(ニッポン)を今一度 せんたくいたし 申し候


吉田松陰先生や西郷どんは写真が残っていないんですが、龍馬はここ長崎でこの写真を撮っていて写真が残っています。一体、どんな人だったんでしょうかね?一度、幕末にタイプスリップして、龍馬と杯を交わしてみたいものです(^^)/


亀山社中記念館入場券(左)とパンフレット(右)


この亀山社中記念館は、坂本龍馬の亀山社中の遺構として今に伝わる建物を、幕末当時そのままに復元した空間だそうです。龍馬が活躍した幕末の長崎を感じ、激動の時代に思いをはせてくださいとのこと。


ハイ!もちろんです!
そのために「龍馬伝」を見て、東京からやってきました!!


そうです、龍馬が活躍した幕末の長崎を感じ、激動の時代に思いを馳せるために僕はここまでやってきたのです(^^)/


等身大の坂本龍馬(さかもと りょうま)

坂本龍馬と長崎


坂本龍馬は天保6年(1835年)、土佐高知城下に生まれました。江戸で剣術や砲術等を修業したのち、武市半平太らが結成した土佐勤王党に加盟し政治活動を始めました。


文久2年(1862年)に土佐を脱藩し、幕臣・勝海舟に師事して航海術を学びます。慶応元年(1865年)には長崎で「亀山社中」(のちの海援隊)を結成し、「薩長連合」や「大政奉還」といった大きな足跡を幕末の歴史に残しました。慶応3年(1867年)11月、維新を目前にして京都河原町の近江屋二階で暗殺され、その波乱に満ちた生涯を閉じました。


当地長崎は、龍馬が最も活躍した慶応年間にその本拠を置いたところであり、今もゆかりの史跡が数多く残されています。

亀山社中記念館パンフレットより引用


ここでしか見ることができない貴重な映像資料、ぜんぶ見ました。片っ端からすべて見ました!!

亀山社中なくしては

龍馬は

いや今の日本の希望はないと私は思います

武田鉄矢

青春が渦巻くようなところ

武田鉄矢


武田鉄矢名誉館長のあいさつ、素晴らしかったです!
"ブーツを履いたサムライ"龍馬や亀山社中について熱弁をふるってました。


「龍馬の片腕」近藤長次郎 1838-1866


「龍馬伝」では長次郎は密航計画のため、この名札を外して亀山社中を出ていきました。


この名札の展示を見ながら、親子連れがそのことを話してました。


慶応2年(1866年) 近藤長次郎、長崎小曽根家で自刃。
享年27歳。。。


合掌。



坂本龍馬ゆかりの品々


龍馬のピストルのレプリカ(複製)


龍馬が愛用したアメリカ・スミス&ウェッソン社製のピストルの複製品


龍馬のブーツのレプリカ(複製)


龍馬が履いていたブーツの再現品


月琴(げっきん)




撮影が可能なのはここまでで、他の部屋は撮影禁止でした。
ぜひ、皆さん、ここ亀山社中記念館に訪れて自分の目でいろいろその他の展示物をご覧ください。


特に見応えがあって、僕が幕末に思いを馳せたのは坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺現場になった部屋にあった血の痕がついた屏風です。53点の血痕が飛び散ってついていて、乱闘のすさまじさを時を経た今も物語っていました。




大河ドラマ 龍馬伝

大河ドラマ 龍馬伝

土佐の下士の家に生まれた龍馬は、

江戸での剣術修行中に黒船来航を目撃する。

異国からこの国を守るには

どうすれば良いのか・・。

幕末の動乱の中、日本の将来のため

大胆な発想と行動力で新時代を切り開いた

男・坂本龍馬の英雄譚。



「室内には龍馬が身を隠したと言われている中2階(隠し部屋)も復元」だって、僕もこの中2階、ハシゴを登ってたった今見ました!!


龍馬がすっごく身近に感じられます!!




亀山社中記念館を後にします


それにしても、この亀山社中記念館は龍馬ファンや幕末ファンは必見だと思います。今回、僕も訪ねることができて良かったです。


なぜならば、僕は幕末ファンであり、歴史ファンだからです。



龍馬のぶーつ像

体験型モニュメント・龍馬のぶーつ像

龍馬のぶーつ像

幕末の風雲児・坂本龍馬は、日本で最初にブーツを履いたといわれています。


身分制度が厳しい中、下級武士である郷士の家に生まれ、草履しか履けなかった龍馬は、自由と希望の地・長崎で 「ぶーつ」 を履き、新しい時代へと駆け抜けました。


この 「龍馬のぶーつ像」 は、亀山社中創設 130周年記念事業の一環として建立。 全国でも珍しい体験型のモニュメントで、実際にぶーつの中に足をいれ、舵を握ることができます。 ぜひ、龍馬の気分でお試しください。


平成7年10月吉日

亀山社中ば活かす会

長崎市


自由と希望の地・長崎



平成7年(1995年)に亀山社中創立130年記念で建立された「龍馬のぶーつ像」

見晴らしのいい高台にあり夢膨らませる坂本龍馬や亀山社中、海援隊になった気分になれるスポットです。


長崎都市景観賞を受賞


ブロンズ製のブーツ


龍馬の足、デカい!! 笑


実際にこの中に足を入れても OK!なので、面白い体験型のモニュメントになっています。


稲佐山も見えました!



長崎くんちのメイン会場になる諏訪神社(お諏訪さん)がハッキリ見えました!


このように龍馬のブーツの中に足を入れて、舵輪に手をかけて撮るのが鉄板みたいです 笑 インスタ映え~w


宝石のように美しい港という意味の校名を持つ瓊浦(けいほ)高校がすぐ近くです!


長崎の坂道を歩くのは楽しいです♪♪



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海援隊の前身・亀山社中は日本最初のカンパニー!長崎市亀山社中記念館、龍馬のぶーつ像


長崎 亀山社中資料展示場は幕末古写真や資料の宝庫!龍馬ファン・歴史ファンにおすすめ!


長崎・若宮稲荷神社の坂本龍馬之像(風頭山頂の坂本龍馬像の原型)


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