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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

近藤長次郎自刀の地!海援隊本部跡!小曽根邸の跡(勝海舟、坂本龍馬縁故の地)

侍長次郎自害。。。坂本龍馬とともに幕末を生きた1人の若者が切腹して果てたのがこの長崎市万才町にある小曽根屋敷跡です。

勝海舟、坂本龍馬縁故の地 


小曽根邸跡の案内板


お龍さんと月琴


お龍の銅像(お龍さんと月琴)
平成31年(2019年)3月3日 村内伸弘撮影


勝海舟、坂本龍馬 故縁の地

小曽根邸の跡


小曽根家は幕末から明治の長崎を代表する豪商で、幕末期、六左衛門は福井藩の用達(藩に出入りして品物を納める商人)を勤めました。安政6年(1859年)、大浦に居留地が造成されるのと並行して、六左衛門とその子・栄(乾堂)が隣接地を造成し、その一部は現在でも小曽根町と呼ばれています。栄はその小曽根町に邸宅を構え、この地には栄の弟、英四郎が留まりました。栄は篆刻(木・石などに印を彫ること)や書画を得意とした文人で、勝海舟や坂本龍馬らとも親交があり、龍馬が組織した亀山社中を援助しました。慶応2年(1866年)、龍馬の同志、近藤昶次郎はこの地にあった邸宅内の梅花書屋で切腹。墓碑は晧台寺(長崎市寺町)小曽根家墓地内にあります。


亀山社中記念館の近藤昶次郎(近藤長次郎)の説明

「龍馬の片腕」近藤長次郎 1838-1866



亀山社中資料展示場の小曽根乾堂の展示


海援隊本部(万才町・小曽根邸)



小曽根邸跡は地図だと法務局の近くだったので法務局を目指して歩きます。



ん?なにやら人だかりが!


どうやら近代活版印刷発祥の地のようです


長崎は発祥の地や日本初の碑がやたらと多いんです!すごいっしょ!!


近代活版印刷発祥之地 新町活版所跡


長崎市立図書館



(左)活版伝習所跡の碑 (右)唐通事会所跡の碑 



ははは 笑
いろんな碑がありすぎて、目的地にたどり着けなーい


向井去来生誕の地の碑までありました!



ちょっと迷っちゃったw
まあいいや!長崎さるくを楽しみます
※「さるく」とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁


こういう町の様子も見ているとウキウキしてきます


九州新幹線 西九州ルート 新幹線でつなぐ まち・人・未来


休石(やすみいし) - 階段の途中の休憩用のイス(石)


休石って座ったり、荷物を載せたりして坂道を上る前や途中に一休みする石のことです


昔使っていた休石がこうやって残っているのって楽しいです♪♪


ヨーロッパ室内学最高峰の四重奏団がついに、初来日。そして、ここ長崎にて日本初公演!


時計がある学校っぽい建物がありますよ!

長崎女子商業です。


迷ってます 笑


長崎女子商業の前の道を右に曲がってみます。


このお店の木の曲がり方が芸術的!ワンダフル!!


自見はなこ
自見庄三郎って大臣が昔いましたよね。たぶん娘さんだと思います


九州の人、お酒好きだもんな~ 笑


九州P箱


一周して、長崎女子商業に戻ってきました

長崎女子商業高等学校 卓球部 全国高等学校選抜卓球大会 出場


長崎女子商業学園


長崎では「女商(めしょう)」と呼ばれています。
女子校で「」を「」と読むのはなんだかゾクゾクしますね 笑


女商(めしょう)


この建物もおしゃれ。そして、実用的


長崎を変える(長崎県知事選に出馬した橋本剛さんの選挙用のマスコットみたいです)


階段の手すりがおしゃれ


島原まぜ飯!食べてみたい!


フロイス通り


とうとう小曽根邸の跡を見つけました!!!!
長崎地方法務局の敷地にありました!


ここは近藤長次郎自刀の地です!
あの海援隊本部跡です!


小曽根邸の跡

小曽根邸の跡(勝海舟、坂本龍馬縁故の地)


慶応2年、龍馬の同志、近藤昶次郎(長次郎)はこの地にあった邸宅内の梅花書屋で切腹墓碑は晧台寺 小曽根家墓地内にあります。

という場所なんです、ここは。。。


福山雅治の大河ドラマ「龍馬伝」で見た侍長次郎の最期。あれを見て、僕はここにやってきました。



小曽根家は幕末の頃よりこの地で質商を営んでおり、当主の六左衛門並びにその子栄(号乾堂)同英四郎の父子は、早くより我が国の開国と通商貿易をこころがけ多くの志士等を援助した。


我が国の開国!カッコイイです!ホントかっこいいです!!


近藤長次郎

天保9年(1838年)~慶応2年(1866年)


土佐高知城下の町人出身で絵師河田小龍に学びました。江戸で勝海舟の門人となり、航海術を修め、慶応元年(1865年)の亀山社中結成に参加。優秀な人材で「龍馬の片腕」と呼ばれました。


この年、薩摩藩の名義を借りての長州藩への軍艦・武器購入に尽力。慶応2年(1866年)1月に薩摩藩の援助での英国留学を秘密裏に計画したが、他のメンバーに露見し、単独行動を責められて小曽根屋敷内で自刃しました。


近藤長次郎。
オトコでした!


近藤長次郎。
サムライでした!!(涙)



伊藤博文 談

詰腹切った近藤昶一郎(長次郎)


坂本龍馬伝に、乙丑丸購入の件は土佐藩士海援隊近藤昶一郎(長次郎)の提唱に発したものとあるというが、それは少し違っている。近藤昶一郎は、上杉宗次郎と変名していた者で、これは馬関の予(伊藤博文)のところへも来て、始終泊ったりしていた。なかなか才物で春嶽(松平春嶽)などにも愛されていた。小松帯刀などにも愛されていた人だが、とうとう洋行するということになった。


その頃は、一人で洋行するということは出来ぬ。長州のほうで軍艦を買おうといつと、薩摩のほうと掛け合ったりしなければならぬ。また薩摩の名義で買い入れなければならぬというようなことがあるので、そんなことの周旋をしていた。この人のことは井上にも聞いてみぬとわからぬ。しかし、この者の口から出て買うことになったというのではない。いろいろ周旋はしていたが、長崎にいるガラパなどが尽力したのだ。


小松帯刀が、この男は後来役に立つ男だといって、いくらか金を出して洋行させることにした。それを他の海援隊の奴が聞いて、怪しからぬといって切腹させてしまった。その前日なども一緒に酒などを飲んでいたが、翌日になって、昨夜腹を切らしてしまったというような話だった。気の毒なことをした。これが一番役に立つ男だった。


乙丑丸とは、慶応元年、幕府の長州再征伐に備うため、長藩では、同年七、八月の交、英船ユニオン号を、薩摩の手を通じて買い入れ、これが回送を浪士組の海援隊に托した。これがために長と薩と海援隊との行き違いが生じた。近藤はその海援隊の一人である。


伊藤公直話


饅頭屋長次郎よ、永遠に。。。



お龍さんと月琴(げっきん)

お龍(おりょう)さんと月琴(げっきん)


坂本龍馬の妻・お龍の銅像もありました


お龍(おりょう)こと楢崎龍


坂本龍馬の妻かあ。。。


龍馬のことを間近で見た女性です。寺田屋で龍馬を守ったのも、日本最初の新婚旅行で龍馬と一緒に薩摩にハネムーンに行ったのもこのお龍です。



歴史的な偉人の陰には必ず女性の影がありますね。だから歴史は面白い!英雄たちも人間なんです。


お龍さんと月琴(げっきん)

お龍さんと月琴

慶応2年(1866年)6月、新婚旅行を終えた坂本龍馬は、妻・お龍を社中の同志・小曽根英四郎に預けると、再び倒幕運動に没頭した。


お龍の長崎滞在は、以後 6カ月にも及んだが、その間、この地の北側に隣接していた小曽根家にも身を寄せていたとされる。


当主・乾堂(英四郎の兄)は、長崎を代表する文人で、娘・菊ともども月琴を得意とした。


月琴は、中国から伝えられた楽器で、その異国情緒あふれる音色は、当時、大流行し、お龍もその魅力に心酔して、練習に励んだ。


このモニュメントは、月琴を弾くお龍の様子を再現したものであり、龍馬ゆかりの地を訪れる人々の心に、お龍が奏でた月琴の音色が響き、優しい気持ちになれるようにとの思いが込められている。


モニュメント制作者 松田安生

デザイン考案者 内藤修子

設置者さるく 観光幕末編推進委員会


平成22年3月建立



たぶん、地元の人でも注意していないと気がつかないような碑や銅像なんですが、僕がこのブログ記事で書いたように、この場所には実に様々なドラマが隠れているんです!



場所はこの長崎市万才町の長崎地方法務局の敷地内です。

あなたもぜひ訪ねてみて下さい。


そして、訪れる前には NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の第34回「侍、長次郎」を見ておいて下さい。ネットで格安で見られますから。


龍馬伝 第34回「侍、長次郎」

ユニオン号を下関に運んだ龍馬(福山雅治)たちだったが、船の運航は亀山社中が行い、社中や薩摩藩が自由に使えるという約束を近藤長次郎(大泉洋)と井上聞多(加藤虎ノ介)がしていたことが問題になる。龍馬は薩長を結びつけることを優先しようと、船の管理は長州がすることで話をまとめる。長次郎は社中の生活費用を現実にやりくりしてきたので、社中が動かせる船を持ちたいと思ってしたことだった。失意の長次郎は長崎に戻るが、社中のメンバーに私欲に走ったと責められる。


長次郎はグラバー(ティム)からイギリスへの密航、留学を勧められ、社中での居場所がないと思った長次郎は密航を決心。しかしその晩、海が荒れ船は出港できなかった。密航の情報が奉行所に入り、社中に調べが入る。


龍馬は再び薩摩と向かい合う気になった桂(谷原章介)とともに西郷の待つ京へ向かおうとする。そんな龍馬に高杉晋作(伊勢谷友介)はピストルを贈る。長次郎が密航を企て奉行所に追われているという手紙を受け取った龍馬は桂を先に京へ向かわせ、長崎へ。しかし追い詰められた長次郎は・・・。


追い詰められた長次郎は・・・。
涙。涙。涙。



長崎地方法務局から離れます


天満坂(喧嘩坂)

「長崎喧嘩騒動」発端の地  天満坂(喧嘩坂)


埼玉西武ライオンズ対広島東洋カープのオープン戦(ビッグN)のポスター
3月3日って今日じゃん 笑


Art Crow Jazz Ensemble  史跡出島内 新石倉


唐木 上海洋行


再び戻った築町商店街の古い建物に閉店のお知らせが貼ってありました

山口紙商店さんの閉店のお知らせのようです


閉店した山口紙商店の外観


真っ黒で存在感ありますね!閉店、残念です。。。





築町商店街の地図にはまだ「山口紙商店」の文字が載っていました



▼今回の長崎旅行


ソラシドエア → 富士山 →→ 長崎バスターミナルホテルの黄金コースで長崎へ


長崎バスで長崎駅前東口バス停~風頭山バス停へ


風頭 長崎凧資料館 - 長崎凧の館 (小川ハタ店)


長崎・風頭公園 坂本龍馬の銅像&司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑


長崎は坂本龍馬の聖地!長崎 龍馬通り、龍馬胸像、龍馬レリーフ、龍馬川柳などなど


海援隊の前身・亀山社中は日本最初のカンパニー!長崎市亀山社中記念館、龍馬のぶーつ像


長崎 亀山社中資料展示場は幕末古写真や資料の宝庫!龍馬ファン・歴史ファンにおすすめ!


長崎・若宮稲荷神社の坂本龍馬之像(風頭山頂の坂本龍馬像の原型)


長崎・伊良林 魂宿る屋外安置大石、長崎街道より古い長崎古道、伊良林国民学校


長崎県物産館 長崎の郷土芸能・龍踊りの由来と大黒町唐人船、長崎県特産品マップ


江山楼の王さんの特上皿うどん<細麺>はウマい!長崎新地中華街の人気中国菜館に初訪問


長崎・江戸町商店街を歩く イエズス会本部跡や長崎海軍伝習所跡


近藤長次郎自刀の地!海援隊本部跡!小曽根邸の跡(勝海舟、坂本龍馬縁故の地)


長崎 ニッキー・アースティン浜町店の執念のトルコライス、ししとき川の石畳


侍 近藤長次郎「おまん、命がけじゃないぜよ」。。。長崎・晧台寺の近藤昶次郎の墓に墓参り


瓊浦(けいほ)高校と蛍茶屋界隈の長崎カルルス?名残の古い建物群




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