風頭 長崎凧資料館 - 長崎凧の館 (小川ハタ店)
長崎指定伝統的工芸品 長崎凧(ハタ)とビードロよま。長崎市内では凧をハタと言います。"ハタ"とは長崎の凧のことで、お正月の子どもの遊びじゃなく、相手の糸を切り落とす「けんか凧」だそうです!
長崎の伝統工芸 - 手造りの長崎凧(ハタ)
創業明治40年 手造り一筋の凧店 小川ハタ店
小川凧店の 2代目 小川仙之助(中央)
平成31年(2019年)3月2日 村内伸弘撮影
風頭山バス停からの地図
さあ、風頭山バス停から風頭公園方面へ歩いていきます。
稲佐山や長崎港が見えています!
坂本龍馬が見上げた長崎の空
お地蔵さん
坂道途中の民家
山を登っていくかのように、谷を埋め尽くすかのように民家が広がります
これぞ、まさに長崎の風景!坂の町ならではのすばらしい景観です!
街角の掲示板に「竹ン芸」のことが載ってました
クロガネモチの赤い実
おっ!オランダカラーの赤、白、青。三色旗が僕の目に飛び込んできました!
創業明治40年 小川ハタ店
壁面のハタ(凧)の文様は「丹後縞」というようですが、世界最初の三色旗であるオランダ国旗そのままですね!長崎とオランダのつながりを改めて意識させられます。
長崎紙鳶資料館(小川ハタ店)
長崎凧(ハタ)資料館
別名: 長崎紙鳶(ハタ)資料館
長崎凧(ハタ)の館
長崎紙鳶資料館。
小川ハタ店。
。
長崎凧の館。
いろんな名前があるみたいです 笑
「長崎凧(ハタ)の歴史」
・凧の特徴
・凧の文様
・凧揚げ
凧(ハタ)造り
・長崎凧(ハタ)作り
・和紙の染色
・ビードロ作り
長崎凧資料館の中
資料館と言っても、凧が飾ってあるだけじゃなくって、創っている現場なんです。すばらしいですね!
長崎凧番付 このハタ手拭いを僕はすぐに買いました。
いろんな文様があってたのしいです!シンプルで力強いデザインに一目惚れしました!世界最初の三色旗と言われるオランダの国旗の色(赤・白・青)が多く使われているのも印象的です。
長崎指定伝統的工芸品 長崎凧とビードロよま
※「ビードロよま」はガラスの粉を飯粒でねり、糸に塗った凧糸。「ビードロ」はガラス、「よま」は長崎方言で糸
館内(店内)をぐるりと見てみます。
こういう個性的な凧が長崎の空高く飛び回る景色を想像するとすっごく楽しいです!
ふぐ(ふく)の凧(ハタ)もありました。ほほえましいです 笑
いろんな絵や文様があって、見ていて全然飽きません。
僕らの世代は凧と言えば、三角形の「ゲイラカイト」でしたから逆にこういう和凧はあんまり飛ばした記憶がありません。飛ばしてみたいな~~☆
龍馬凧~!
写真中央: 龍馬伝の長崎ロケ写真が貼ってありました
写真右: 近藤長次郎の肖像もありました
左から余喜美子(大浦慶)、伊勢谷友介(高杉晋作)、福山雅治(坂本龍馬)、蒼井優(お元)
龍馬伝、僕も最近見ましたがこの 4人誰もが見事な演技をしてました。僕がお元に惚れたという話は紛れもない事実ですw
詰腹切った近藤昶一郎(長次郎)
坂本龍馬伝に、乙丑丸購入の件は土佐藩士海援隊近藤昶一郎(長次郎)の提唱に発したものとあるというが、それは少し違っている。近藤昶一郎は、上杉宗次郎と変名していた者で、これは馬関の予(伊藤博文)のところへも来て、始終泊ったりしていた。なかなか才物で春嶽(松平春嶽)などにも愛されていた。小松帯刀などにも愛されていた人だが、とうとう洋行するということになった。
その頃は、一人で洋行するということは出来ぬ。長州のほうで軍艦を買おうといつと、薩摩のほうと掛け合ったりしなければならぬ。また薩摩の名義で買い入れなければならぬというようなことがあるので、そんなことの周旋をしていた。この人のことは井上にも聞いてみぬとわからぬ。しかし、この者の口から出て買うことになったというのではない。いろいろ周旋はしていたが、長崎にいるガラパなどが尽力したのだ。
小松帯刀が、この男は後来役に立つ男だといって、いくらか金を出して洋行させることにした。それを他の海援隊の奴が聞いて、怪しからぬといって切腹させてしまった。その前日なども一緒に酒などを飲んでいたが、翌日になって、昨夜腹を切らしてしまったというような話だった。気の毒なことをした。これが一番役に立つ男だった。
註
乙丑丸とは、慶応元年、幕府の長州再征伐に備うため、長藩では、同年七、八月の交、英船ユニオン号を、薩摩の手を通じて買い入れ、これが回送を浪士組の海援隊に托した。これがために長と薩と海援隊との行き違いが生じた。近藤はその海援隊の一人である。
これたぶん、伊藤博文の回顧録だと思います。
近藤長次郎の最期について、吉田松陰門下生&明治の元勲!伊藤博文が語っています!!
あとお土産を買った時におじさんがいろいろ僕に教えてくれました。
長崎の凧(ハタ)は15世紀半ばにインドネシア人から伝わったそうで、長崎では凧(たこ)のことをハタと呼ぶそうなんです!長崎市内では凧のことをハタと言うそうなんです。長崎市の北の方や諫早、佐世保など県内各地域ではハタとは呼ばないようです。出島を中心にした長崎市内だけの呼び名みたいで、おじさんそれを誇りにしている感じでした。うらやましいです!
おじさん曰く、この紺の色が難しいそうです!この紺こそがオランダで、この紺こそが長崎でしか出せない色なんだそうです!!
確かに、この紺、すっごくうつくしいし、目に眩しいですよね!!
こういう伝統工芸が今も脈々と生き続けている街・長崎。本当に涙ものです!すばらしい文化とすばらしい歴史を持つ長崎と長崎の人々に改めて脱帽です!!!!
いろいろな色や柄、サイズがあって見ているだけでも楽しいです(^^)
東日本大震災の時、「がんばろう!日本」と思いを込めたハタを手にする小川さん
五木ひろしさまご来店~ん、コロッケさまご来店~~ん
北乃きいちゃん、ご来店~ん!! 爆心 長崎の空
このデザインの数々がすごいです!!
凧(ハタ)は長崎が誇るすばらしい文化なのです!!!!
パンフレットにもハタ造り体験やハタ揚げまで指導してくれる体験学習もやっているって書かれていました。僕も次回、教えてもらってハタを揚げたいな~♪♪
風頭公園 ハタ上げ広場
風頭公園
長崎の地図、写真中央一番下に「現在地」という赤い文字が見えます
ハタ上げ広場(=凧揚げ広場)
ハタ合戦(ハタ揚げ大会)がいまでもここで行われるそうです!長崎くんち、精霊流しと並んで長崎の三大行事の 1つがハタ合戦なのです。
長崎ハタ揚げ大会
長崎では凧のことを「ハタ」と呼び、ハタ揚げは長崎くんち、精霊流し(しょうろうながし)などと並び長崎の三大行事の1つに数えられている祭りだ。
長崎のハタ揚げは、他の地方と異なって高く揚げるのではなく、他のハタと掛け合って相手のハタの糸を切るハタ合戦。そのため、ハタは2本の骨を十文字に組み合わせた菱形で、1ひろ(約1.6m)程のヨマツケがつき、そのあとが1本につながり操縦が自由になっている。この掛け合いに使う糸は「ビードロ」(ビードロヨマ)といって、ガラス粉をのりでねって麻糸にぬりつけたもの。ハタの大小によって180~90mものビードロがつけられ、これで相手のハタのビードロを切り、ハタを落とすわけだ。
18世紀末頃からはじまったといわれているこのハタ揚げは15世紀半ばに唐、オランダ、(オランダ人の付き人だったインドネシア人)から伝わったものらしく、紋様も白と青と赤の3色、オランダ船旗や信号標識旗をデザインしたようなシンプルなものが多い。「石畳」「波に千鳥」「亀の甲」など一つ一つ名前が付いていて、その種類は200種とも300種ともいわれているが、現在では約50種類が伝統的な図柄として造られている。
長崎市公式観光サイトより引用
山の上で、風が吹き抜けて、確かに凧がよく揚がりそうな場所です
基準点 長崎市
このハタ上げ広場に赤白青のハタ(凧)が舞う姿を想像するとホント楽しいです!
風頭公園内の通路を見下ろします
階段を下りました。この階段上がハタ上げ広場です。
さあ、これから龍馬像に向かいます。
▼今回の長崎旅行
ソラシドエア → 富士山 →→ 長崎バスターミナルホテルの黄金コースで長崎へ
風頭 長崎凧資料館 - 長崎凧の館 (小川ハタ店)
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