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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

親鸞聖人御荼毘所(火葬所) 京都・延仁寺。親鸞が荼毘に付された鳥辺野の地へ

見真大師御荼毘所。薄暗く、静まりかえって、誰もいない場所でした。

親鸞聖人の荼毘(だび) 弘長2年/1262年

弘長2年/1262年、荼毘に付される親鸞聖人

弘長2年/1262年、荼毘(だび)に付される親鸞聖人


親鸞聖人荼毘所(火葬所)の親鸞聖人像


親鸞聖人荼毘所(火葬所)


親鸞聖人荼毘所の休憩所


親鸞聖人荼毘所前の石段(見真大師御荼毘所道)


京焼肉懐石 弘「弘の豪快姿焼弁当」
令和2年(2020年) 11月7日 村内伸弘撮影



親鸞聖人御荼毘所
今回の京都旅行で京都に来るまではこの荼毘所のことをまったく知りませんでした。最初にお参りした東本願寺で「親鸞聖人のご生涯展」を鑑賞し、この荼毘所=延仁寺(えんにんじ)の存在を知りました。


行くしかない!!
即座に判断して、大谷祖廟や安養寺(吉水御坊)のお参り後に向うことにしました。


ですが、次の観光地・岡山に向う時刻が迫っていて、かつ延仁寺はちょっと離れているし、下手すると 4時半で閉門しちゃうかも。。。と思い、タクっちゃいました 笑



延仁寺(えんにんじ/親鸞聖人御荼毘所)の地図

親鸞聖人お亡くなりの後、鳥辺野の延仁寺あたりで荼毘(火葬)にふされた。


延仁寺は東山の西の麓にあたる鳥部野(とりべの)の南辺りにあるようです。


午後4時10分、タクシーに乗って延仁寺に向っています


幕末の「七卿落ち」の舞台!妙法院門跡前を通過


タクシーに乗ってみてビックリしたのは、ディスプレイが一体何台付いてるんだ?ってことです 笑


運転席含め、たくさんのディスプレイ(モニター)がついたタクシーの車の中

道が狭くって、三方から車が入ってきて運転手さんが車を下りて調整しに行っちゃいましたw



16時18分。タクシーの後ろの席に映し出されたうつくしい京都



細い登り道をクネクネ走って、延仁寺(親鸞聖人荼毘所)に着きました!
参詣者駐車場で降りて、一目散で荼毘所に向います!!


親鸞聖人の荼毘所は 230m先にあるみたいです


この先に親鸞聖人の荼毘所があるんです!
どんな場所なんだろう?
ある意味興奮してきました!!


荼毘所への参道のうつくしい紅葉


まだ日没までは時間がありますが、気が急いています。
石の階段の山道をどんどん登ります。


参道脇にお地蔵さんがいました

私の道は 私にしか 歩めない


念仏して 救いなきわが身を おし頂く


普通の墓地の右横をすり抜けて、上へ上へと歩いていきます


あと 80m!荼毘所、だいぶ近づいてきました!


てか、けっこう階段キツいんですけど 笑

運動不足なんでハアハアいっちゃいますw


南無阿弥陀仏♪♪



到着しました!!
右奥が荼毘所のようです


親鸞聖人荼毘所(延仁寺)

真宗大谷派(東本願寺)宗史蹟 第4号

平成23年(2011年)1月19日指定


「恵信尼消息」や「御伝鈔(ごでんしょう/本願寺聖人伝絵)」によると、親鸞聖人は弘長2年(1262年)11月28日に 90歳で亡くなられました。最後を看取った末娘の覚信尼や子息の益方(道性)および門弟たちが葬儀を執り行い、東山の延仁寺で荼毘に付されました。


古代から中世にかけての延仁寺一帯の鳥辺野は洛中の葬場でありましたが、応仁の乱以後は次第に荒廃していきます。


その後、幾つかの候補地の中から延仁寺の旧地に関する考証が進められ、現在地であったとの結論が出されました。慶応元年(1865年)に「西光寺」として再興され、明治16年(1883年)には東本願寺第21代嚴如上人によって「延仁寺」と改称されました。また、六角形の石垣で囲まれた礼拝所を備えた荼毘所が設けられ「見真大師荼毘所」の石碑が建てられています。


真宗大谷派(東本願寺)  宗宝宗史蹟保存会



荼毘所の休憩所


「南無阿弥陀仏」 この場所から僕は礼拝しました


「見真大師荼毘所」の石碑
明治16年(1883年)に東本願寺21代 嚴如上人(1817-1894)が建立


ここで聖人親鸞の遺体を焚いたと伝える。一握りの骨を残して九十年の生涯は終った。


その時から親鸞の名は自覚道の名となって救済の歴史をひらく。


われらいま その名によって本願他力の教に遇い限りあるわが身を聞く


されば立って 大衆と共なる願いに生きむ。


洛東山 延仁寺


親鸞という僧侶の名前が「救済の歴史」そのものとなった!
ものすごい瞬間がまさにこの地での親鸞聖人の荼毘(火葬)だったのです!!


日本の精神史や宗教史、いや日本史全体の中でもこの場所は歴史的な場所だと僕は思います!!


薄暗く、静まりかえって、誰もいない場所を彩る美しい花たち



この荼毘所一帯の雰囲気を以前別の場所で感じたことがあります。

この荼毘所の神秘的かつ幻想的な雰囲気は宮崎県高千穂の天安河原(あまのやすかわら)のそれとまったく同じです。


天の岩戸にお隠れになった天照大神(あまてらすおおみかみ)を説得するため、八百万の神が神議を行った大洞窟を訪れた時と同じ神々しい雰囲気を僕は体全体で感じました!!!!



薄暗く、静まりかえって、誰もいないんだけど、怖くはない。恐ろしくはない。


聖なる場所。
そんな言葉がピッタリの 不思議な空間です。


東本願寺にも、大谷祖廟にも沢山の人がいたんですが、ここには僕以外には誰も人がいません。。。



荼毘所の脇には無縁塔も建っていました


うっそうと茂った木々に隠されて、森と一体化してしまったかのような荼毘所

親鸞聖人の銅像は生い茂った木々に隠れてしまっています。


私的感想ですが、これでいいんだと思います。この場所には銅像はふさわしくない。この神々しい場所には何もいらない。


ただ、この場所で弘長2年/1262年、親鸞聖人が荼毘(だび)に付されたことがわかればいい。そして、その荼毘の瞬間を訪れた人々が頭の中でイメージできればいいんだと思います。


そしてそして、救済の歴史となった「親鸞」という言葉と思想を心の中に受け止められればいいんだと思います。


ここは個人崇拝の空間ではなく、今から約760年前にわが国の救済の歴史がつつましいスタートを切った瞬間を感じる場所なのです!!


かつて火屋谷(ひやだに)と呼ばれていたというだけあって、山と山、崖と崖に囲まれた谷間の地にこの荼毘所はひっそりと存在していました。


六角形の石垣で囲まれた荼毘所


石垣が六角形なのは六道とかと関係があるのでしょうか?六角形という形からもスピリチュアルな印象を強く受けます!


寂寥感というよりも、安心感を覚える静寂です。


静かです。本当に静かです。


親鸞聖人の荼毘(火葬)。
親鸞個人の肉体は滅びても、あの日この場所から阿弥陀さまの慈悲のはたらきが日本全国津々浦々へ、そして多くの日本人の心の中へ中へと静かに静かに広がっていったのです。


真っ赤な炎に包まれた親鸞聖人の遺体は、一握りの骨となりました。その瞬間こそが祖国・日本に救済の歴史をひらいた時だったのです。



下山します。


この写真もこの場所が「谷」ということが良くわかる写真です


白いツバキ


南無阿弥陀仏

ともだちは たからもの


「ともだちは たからもの」 小学校3年生の将太くんの格言です!素晴らしいですね!!



急いでいたので行きに見落としていたものを写真に収めます

南無阿弥陀仏 限りある身を 限りなく生きる力


親鸞聖人御荼毘所の石柱


この道をタクシーでクネクネ上ってきました


いけず石


タクシーの運ちゃんが「いけず石」って言ってました。いけずって意地悪ってことです。自分の壁や塀を傷つけられたくない人がすこし大きめの石を壁や塀の前に置いておくみたいです。


そうすると車が壁や塀にこする前にこのいけず石にぶつかるってことみたいです。車は傷つくけど、壁や塀は傷つかない。だから "いけず(意地悪)"という名前が京都ではついているそうです。


延仁寺報


延仁寺の本殿、工事中のようです



おーっ!石柱の後ろ側に親鸞聖人のこの言葉が刻まれていました

それがし親鸞閉眼せば 賀茂河に入れて魚に与うべし(改邪鈔)


私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えなさい
この親鸞聖人が常々言っていたという言葉、僕は大好きなんです。


これ以上言うと、現在の宗教や葬制の否定になっちゃうんですが、要するにお墓もお骨もいらないんです。親鸞聖人はそう言ってるんですよね、僕の解釈だと。



帰りは MKタクシーさんに電話して延仁寺まで迎えに来てもらいました。

京都のタクシーといえば、MKさんです


MKさん、いろいろ頑張ってるみたいです♪♪


JR京都駅到着っ


岡山にこれから向います


僕・村内伸弘の「弘」の字が店名の姿焼弁当があったので、買いました

今京焼肉懐石 弘「弘の豪快姿焼弁当」


京都文教学園 こども教育学部スタート
「ブラックジャックによろしく」じゃなくって「京都文教」だって(^^)/


「京都には、美味しいお肉がある。弘」


駅弁なんで、ややパサパサしてましたが美味しかったです



この炎と煙が上がった瞬間のことをイメージしながら、僕は今京都を出発した新幹線の中にいます。

弘長2年/1262年、荼毘(だび)に付される親鸞聖人



旧跡 親鸞聖人荼毘所 -延仁寺-

東本願寺「親鸞聖人のご生涯展」より

旧跡 親鸞聖人荼毘所 -延仁寺-

善法坊(現・京都御池中学校<京都市中京区>、法泉寺旧地)で亡くなられた親鸞聖人は、その後、東山の西の麓にあたる鳥部野の南辺りである延仁寺で火葬されました。荼毘所の延仁寺は長年、所在地不明でしたが、調査の結果、明治16年(1883年)に東本願寺21代嚴如上人(1817-1894)が該当地(現・京都市東山区)に石碑を建立しました。





▼今回の京都旅行
京へ。教えに出遇うため京都・東本願寺(お東さん)にお参りに行きます
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親鸞聖人御荼毘所(火葬所) 京都・延仁寺。親鸞が荼毘に付された鳥辺野の地へ



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