京都・大谷祖廟(東大谷)の親鸞聖人御廟にお参り
親鸞聖人墳墓の地に参拝!大谷祖廟は真宗本廟/東本願寺の飛び地境内である浄土真宗の宗祖・親鸞の御廟所(お墓) ※大谷御坊→大谷管刹→大谷別院→大谷本廟→大谷祖廟と改称
大谷祖廟(おおたにそびょう/東大谷)
大谷祖廟でゆらめくろうそくの火
令和2年(2020年) 11月7日 村内伸弘撮影
京都・祇園を通り過ぎ、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の御廟所(お墓)である大谷祖廟(東大谷)に向っています。
この地図の通り、大谷祖廟は祇園から歩いてすぐです
東大谷参道に入ります
東大谷参道(大谷祖廟参道)
もうこのあたりは京都京都していて、歩いているだけで楽しい気分に浸れます
坂の途中にある京町家。入口前の石段が面白いです♪♪
味わいしか感じません!すばらしい佇まいです!!
「大谷御廟」と書かれています
大谷御廟(大谷祖廟/東大谷)
大谷祖廟(おおたにそびょう)とは?
真宗門徒である私たちが、宗祖として仰ぐ親鸞聖人の墓所、それが大谷祖廟です。
親鸞聖人が亡くなられて 10年後、末娘の覚信尼公が廟堂を建立して、聖人の御影像を安置したのが本願寺のはじまりです。そして、聖人から本願念仏の教えを受けた多くの同朋たちは、大谷へ参って聖人の御影像を拝し、聖人のご遺骨が納められているお墓にお参りし、あらためて聖人が顕かにしてくださった本願念仏の教えを聞いていかれたのです。
その後、幾多の変遷を経て、聖人の御真影がまします真宗本廟(東本願寺)は、聞法の根本道場として、大谷祖廟は聖人の墳墓の地として相続され、現在に至っています。
真宗本廟(東本願寺)の飛び地境内である大谷祖廟には、聖人をはじめ、本願寺の歴代、全国各地の寺院・ご門徒の方々のご遺骨が納められています。苦悩を縁として、すべての人びととともに仏道を歩んでいかれた聖人のお姿を慕う多くのご門徒によって護持されてきたのが「大谷祖廟」です
東本願寺ホームページより引用
整然としていて、墓所だけあって厳粛な印象を感じます
写真左のチョコバナナの誘惑を振り切って前に進みます 笑
某(親鸞)、閉眼せば、賀茂河に入れて、魚に与ふべし
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は「自分が死んだら、私の遺体を鴨川の魚たちに与えよ」と言ったはずなんですが、ものすごい立派なお墓になっています。東本願寺の御影堂にも親鸞聖人の御影(肖像画)がど真ん中に飾ってあります。
ご本人の希望とはまったく違った形がとられることで、その思想が広く深く浸透していったという史上最大のパラドックスのような気がします。
僕はそんなこんなも考えながら、大谷御廟の参道を歩いて前へ進みます。
大谷御廟 総門
親鸞聖人墳墓の地(大谷祖廟)
真宗大谷派(東本願寺)宗史蹟 第1号
「御伝鈔(本願寺聖人伝絵)」によると、親鸞聖人は 1262年(弘長2年)11月28日に 90歳で亡くなられ、東山延仁寺で荼毘に付されました。その後、大谷の地に埋葬され、笠塔婆が建てられましたが、やがて、聖人の墳墓は末娘の覚信尼によって移され、廟堂が建立されました。これが、本願寺の濫觴(起源)です。1602年(慶長7年)、東本願寺第12代教如上人が本願寺の東西分派に伴い、親鸞聖人及び本願寺歴代の仮墓を東本願寺境内に建立しました。
1670年(寛文10年)、東本願寺第14代琢如上人が、親鸞聖人・第12代教如上人・第13代宣如上人の墳墓をこの地に移し、「大谷御坊」と称されるようになりました。
1701年(元禄14)年、第17代眞如上人によって墳墓の改葬が行われ、本堂を建立しました。1872年(明治5)年には「大谷御坊」の名称は、「大谷管刹」に、1876年(明治9)年には「大谷別院」に、1952年(昭和27)年には「大谷本廟」に、さらに1981年(昭和56)年には「大谷祖廟」に改称されました。
真宗大谷派(東本願寺)宗宝宗史蹟保存会
親鸞聖人の御廟でございます おこころ静かにお参りください
10月3日に歌子おばあちゃんが亡くなり、それでここ大谷祖廟にお参りするわけなので、僕は今心静かです。とても心が静かです。
本願を信じ、念仏をもうさば 仏になる 「歎異抄」第十二章
本願っていうのは、阿弥陀様の本願(第18願)で "よろず生きとし生けるものを救う"ということです。念仏とは口称念仏のことで "南無阿弥陀仏"のことです。そうすれば 浄土に往生して必ず仏と成るということが書かれています。
これがまさに浄土真宗の真髄で、親鸞聖人の教えの全てだと僕は思いました。
村内伸弘 -「申」「弓」= 村内仏
僕の名前には「仏」という字が隠してあったんです!!
ごく最近、自分の名前の中に「仏」という文字が隠されていたことに気がついたんです!
大谷祖廟 境内図
Welcome to Otani Sobyo(Higashi Otani)
大谷祖廟 本堂
東大谷墓地
東本願寺の寺紋
覚信尼公おん文
御廟(親鸞聖人の墓所)への階段
親鸞聖人御廟
大谷祖廟は、真宗本廟(東本願寺)の飛地境内であり、真宗門徒が宗祖と仰ぐ親鸞聖人(1173-1262)のお墓所(御廟)です。
大谷祖廟は、親鸞聖人がお亡くなりになられた後、聖人を追慕し、その教えに生きられた多くの同朋によって建立され、今日まで崇敬護持されてまいりました。
「阿弥陀経」に説かれている「倶会一処(倶に一処に会する)」の教えに因んで、御廟には、親鸞聖人をはじめ、本願寺の歴代、そして真宗の流れを汲む全国各地の寺院・ご門徒のご遺骨が納められています。南北五間・東西三間半の御影石の重畳式である長方形の墳墓であり、その上に聖人遺愛と伝わる虎石(形が虎の姿に似て、虎のような斑点がある石)が置かれています。唐門・透塀で仕切られた内部に金属製の燈籠が、門外には石製燈籠が、各一対づつ配置されています。正面の檜皮葺きの唐門および南十間、北九間にわたる菱格子をはめた透塀の各所には彫刻が施され、装飾豊かな造りとなっています。
真宗大谷派(東本願寺) 大谷祖廟
生まれて初めて大谷祖廟にお参りです。
昭和52年(1977年)にひいおじいちゃんの遺骨を東本願寺に納めに来たときにはここにはお参りしなかったはずです。なので、大谷祖廟へのお参りは生まれて初めてです。
親鸞聖人御廟
いろとりどりの美しい花
日本宗教界の大巨人・親鸞聖人、ここに眠る
僕も手を合わせてお参りしました。
美しく光る蝋燭の光
「一切群生蒙光照」
よろず生きとし生けるものは平等に阿弥陀様の光に照らされる。
浄土真宗のそんな世界感を見事に表わしているようです。
若い僧侶が現れて読経していました。
おばあちゃんの死を宗祖・親鸞さまにお伝えできて良かったです。
大谷祖廟を後にします
真宗祖廟 北門
木々の紅葉が素晴らしかったです!!
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