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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

熊野古道10: "空青し山青し海青し" 新宮市の熊野速玉大社(新宮)へ

熊野速玉大社 本殿

新宮・熊野速玉(はやたま)大社 - 和歌山県新宮市


空青し山青し海青し ようこそ新宮市へ

新宮市は和歌山県の東南端に位置し、熊野川を隔てて三重県と接した山と海に囲まれたまちです。市内には熊野速玉大社、佐藤春夫記念館、徐福公園、新宮城跡、浮島の森などの名所旧跡があり、望郷詩人とも言われた文豪・佐藤春夫、芥川受賞作家・中上健次、「はとぽっぽ」「お正月」などの童謡を作詞した東くめなど多くの著名人を輩出しています。新宮市を中心とする熊野地方には、古代、豊かな自然を背景に「自然信仰」が育まれました。

中世の時代、それは「熊野信仰」として花開き、熊野三山には「蟻の熊野詣」と言われるほど人が集まり、日本有数の聖地となったのです。 三山の一つ熊野速玉大社は、熊野権現降臨の神倉山から神を遷し、現在地に新たに宮殿を造ったことから「古宮」に対して「新宮」と呼ばれるようになったとも言われています。

これが市の名前の由来です。

新宮市長 田岡 実千年

新宮市ホームページより)


新宮市に近づいています。


紀宝町の製紙工場の煙突から白い煙がもくもくとあがっています。


煙突のある風景もある意味、日本のステキな景観ですね!


新宮市が見えてきました。


煌めく熊野川(新宮川)。とにかく紀の国・和歌山は常に太陽に照らされているというイメージが僕の中でどんどん強くなっていってます。


和歌山県(新宮市)に入りました。熊野速玉大社はもうすぐです。


世界遺産 熊野速玉大社


熊野速玉大社到着。駐車場からだと最初が鳥居じゃなくって「手造り那智飴」でした(笑)


ふだらく屋のかち割り那智飴

伝統の味 300年 かち割り那智飴。いきなり、おばちゃんの親切トークで「かち割り那智飴」を購入~ まだお詣りしていないのですが・・・ でも、それにしてもパッケージがステキですね♪♪

那智飴

那智の土産か又あめ(雨)かと言い古されてきた那智飴は、純粋度の高い自然色の飴であります。叩き割った自然の造形はまことに素朴であり、粘着防止の為の炒り麦を粉にしたハッタイ粉は日本の伝統に生きるふるさとの味であります。

◎飴は噛まない、しゃぶるもの。


那智飴は古くより那智山参拝の際は必ず口にされ、その素朴さが親しまれております。


ふだらく屋(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々2534)


じゃばら飴。「邪気を祓う」から名付けられた縁起の良い恵みの果実です!って、2つは買えないので写真だけ撮りました。おばちゃんが「写真撮れ撮れ、撮んなさい」って感じだったのでこうやってブログに写真を載せて、じゃばら飴の宣伝に一役買うことになりましたw おばちゃんの商人魂すごいです(笑)


熊野神宝館前の弁慶像


時間があったらこの神宝館も見たかったんですが、次回の楽しみにとっておきます。


梛(なぎ)みくじ 初穂料 200円


熊野速玉大社の御神木「梛」

御神木 梛(なぎ)


御神木 梛(なぎ)


熊野から世界へ捧げる平和の祈り


熊野は祈りの聖地として憧れの異界であり、「梛」の葉は霊威ある熊野詣でのお守りとして昔から大切にされてきました。
熊野速玉大社の御神木 梛は、樹齢約千年、日本一の梛の大樹として、崇められています。
昭和四十七年、沖縄が本土に復帰した年、この神木の苗木が沖縄の地に植樹され、四十年後、各地の農林高等学校で発見されました。立派に根づいているその姿に、沖縄の苦難の歴史が重なり一入感慨深く、当大社宮司のもとに平和を願う心ある人々が集い、平成二十四年六月「世界平和の祈り」が捧げられました。
平重盛公が國安かれとお手植えされた梛の御神木は、千年の時を刻んで平和を象徴する霊木となり、訪れる人々を見守り続けています。
どうか、心静かに手を合わせ、全ての命あるものを慈しみ、世界の平和をお祈りください。


根本熊野大権現 熊野速玉大社


後白河法皇御撰梁塵秘抄所載
熊野へ参るには 紀路と伊勢路と どれ近し どれ遠し
廣大慈悲の道ならば 紀路も伊勢路も 遠からず


廣大慈悲の道熊野!


新宮

さあ、熊野三山の一つ、新宮にお詣りします。


神倉山(かみくらやま)に祀られていた神を今のこの社地に移した時以来、神倉山の元宮(古宮)に対し、この場所を新宮と呼んでいるそうです。


手水の作法


日本の祈り


鳥羽上皇 23度、後白河上皇 33度、後鳥羽上皇 29度!もの凄い回数ですね。僕のぶひろ、今回でようやく 1度(笑)これじゃあ、絶対救われませんね~w


熊野御幸(くまのごこう)


中世、宇多上皇(第五十九代天皇)の延喜七年(西暦907年)から玄輝門院の嘉元元年(西暦1303年)までの三百九十六年間に上皇、女院、親王を合せて御二十三方、百四十回に及ぶ皇室の御参詣があり、これを熊野御幸と言って熊野三山史上に不滅の光彩を放っている。
熊野御幸には、陰陽師に日時を占定させて、斉館で心身の御精進を、数日間行われて後に御出発になる。白河天皇の天永元年九月の御幸には、総人数八百十四人、一日の食糧十六石二斗八升、伝馬百八十五匹と「中右記」に記している。御幸の道順は、京都、住吉、和泉、紀伊半島海岸沿いに南下して田辺、中辺路、本宮、熊野川を下って当大社へ参拝。那智山、雲取、本宮、往路コースを逆行して帰京されるまでおよそ二十数日に及ぶ難行苦行の旅であった。熊野御幸によって、熊野信仰は公卿、武士、庶民の間に流布し、熊野水軍をもつ熊野三山の忠誠心を助長し、京と熊野との文化交流、有名な熊野懐紙、幾多の名歌が詠じられるなど、各方面に大きな影響を残している。


熊野速玉大社 本殿

世界遺産・熊野速玉大社 本殿


世界遺産 熊野速玉大社

いた~、八咫烏くん。足3本~ん!


熊野恵比寿神社


海に近いからでしょうか?熊野本宮大社に較べてすごく開かれている印象がありました。


サッカー日本代表 直筆サイン入りユニフォーム


代表ユニ左胸の JFAエンブレムに八咫烏

勝利へ導く神鳥「八咫烏/やたがらす」
代表ユニ左胸の JFAエンブレムに三本足のカラス(八咫烏)が間違いなくいますよね!八咫烏は熊野三山では熊野権現の使いとして崇められているのです。八咫烏のいる熊野はサッカー日本代表を応援しているんです(^^)/


でも、熊野の神は慈悲深いのであまりサッカーサッカー言わずに、野球日本代表の「侍ジャパン」もぜひ同じように応援してください(笑)


熊野牛王符
日本第一大霊験所 熊野牛王
紀伊新宮鎮座 熊野権現速玉大社


初穂料 500円

熊野牛王宝印

熊野牛王(くまのごおう)は、熊野権現にゆかりある烏を絵文字化した護符で、戦国時代からその形を変えることなく伝わってきました。熊野速玉大社の牛王は、四十八の烏文字で描かれているところから、よとやの神咒(かじり)とも言い、速玉大神の衆生を救う願いが一羽一羽の烏に込められていると謂われています。

病気平癒、災難除けのみならず、熊野牛王は戦国武将間で忠誠心や絆を強く結ぶために用いられたほか、江戸時代には遊女が起請文として使うなど、広く庶民の間に親しまれてきました。太閤秀吉は諸国大名との誓約に、熊野速玉大社の熊野牛王を使いました。

熊野速玉大社公式サイトより)


牛王神符は本宮で手に入れましたので、新宮ではこっちにしました。日の丸の中を八咫烏が飛んでいるデザインがいいっしょ!でも、これ「学業成就守(初穂料 700円)」ですよ。英語絶対にしゃべれるようになりたいと思います。英語がしゃべれるようになる=合格としておきましょうw


それにしても、そろそろ「やり直し英語」10年になっちゃうんですが。。。
2008年 02月 17日(日)目標TOEIC700点!3/23(日)TOEIC公開テストを受験します!


もう"神頼み"しかありません(大爆笑)


「熊野詣(くまのもうで)」 はい!そうだ、今僕は熊野詣でをしたんですね~ 実感が湧いてきました(^^)/


学業成就守


神武天皇が熊野山中で迷われた時に熊野神の使者である八咫烏が現れて道先き案内をつとめられたので、天皇は無事に大和へ御到着あそばされ、建国の大業を成し遂げられました。
この故事の如く八咫烏は開運を示す当大社に由縁の深い瑞鳥であり、学問の道もまた無事に導いて、願望を遂げられるようにと"合格の兆(きざし)"を現すものとして奉製しました。


日本第一大霊験所
全国熊野神社総本宮
熊野速玉大社


本日はようこそ熊野速玉神社にお詣りくださいました。


この曼荼羅は、世界遺産登録を記念して作られ、熊野速玉大社を中心に新宮の素晴らしい聖地世界を描いています。多くの人々が心の癒しを求めてこの地に旅し、甦っていった熊野の世界へ皆さんをご案内いたしましょう。


右側には熊野川が勢いよく流れ、黒潮踊る太平洋に注ぎ、上部に権現山、その左端に神倉山、中央から上にかけて熊野権現の象徴である御神木「なぎ(梛)」と熊野速玉大社が描かれています。社殿の前には槍扇(国宝)が奉られ、上皇様がお参りされている様子がうかがえます。後白河上皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回も熊野にお参りされたといいます。


神倉山は、熊野三山の神々が最初に降り立ったという霊山で(熊野権現御垂迹縁起、熊野権現縁起絵巻)、日本の初代の天皇である神武天皇も、天磐盾(あまのいわたて)とされる神倉山に登り、高倉下命(たかくらじのみこと)から聖剣を授かって、八咫烏(やたからす)の案内で大和に入り、日本の国を治めたとされています(日本書紀)。毎年二月六日には、白装束の男達が御神火をいただいて駆け下りる「お灯祭」という勇壮な火祭りが行われます。


熊野速玉大社は、この神倉山から初めてこの地に神殿を建てて遷し祀(まつ)られたので「新宮」といい(熊野山略記)、十二柱の神々を祀り、日本で一番大きなご夫婦の御神像(国宝)はじめ、多くの国宝古神宝が伝えられています。また、熊野詣の人々は、道中の無事を祈って必ず速玉大社で「なぎの葉のお守」と「熊野牛王神符」(くまのごおうしんぷ)をいただくことを古くからの慣習としています。(頼資御熊野書記、諸山縁起)


熊野川は、川の参詣道として世界遺産に登録され、古くは本宮から新宮へは川舟で下りました。熊野川の中ほどにある御船島も速玉大社の境内地で、十月十五日、十六日の大祭には、神様を乗せた神幸船が島を漕ぎ巡る「御船祭」が行なわれます。また、海には不老長寿の霊薬を求めて渡来したという秦の徐福も描かれています。



八咫烏神社
ご存じのように、八咫烏(やたがらす)は日本サッカー協会のシンボルマークで、日本代表のエンブレムにも使われています。代表サポーターのみなさん、この神社にぜひ必勝祈願にお越し下さい!!



熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
熊野速玉大社は、神倉山の霊石ゴトビキ岩(天ノ磐楯)を御神体とする自然崇拝を源として、この天ノ磐楯に降臨された熊野三神(熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家都御子大神)を、西暦128年に初めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに創始いたします。「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、全国に祀る熊野神社の総本宮として厚い信仰を集めております。境内には、梛の大樹や千二百点を数える国宝古神宝類も奉納されています。


熊野速玉大社 正面入口


本宮の時も、この新宮もなぜか"裏口"から神社に入るようになってしまったんですが、熊野の神はそんなこと気にしません。内外貴賤老若男女だれでも救ってくださいます。


PS
"内外貴賤老若男女(ないがいきせんろうにゃくなんにょ)" は今、試しにググってみたら 「"内外貴賤老若男女"との一致はありません。」となりました。 これは僕が世界で一番最初に使ったことばになるはずです、意味は "自国人も外国人も、身分が高い人も身分が低い人も、老人も若者も、男性も女性も、"という意味になります。ありとあらゆる人々という意味です。


▼内外貴賤老若男女(ないがいきせんろうにゃくなんにょ)
ありとあらゆる人々



神社の真裏にあるお土産もの屋さん


▼今回の熊野・大阪旅行

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