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熊野古道11: 神倉神社(神倉山)の鎌倉式石段、ゴトビキ岩、お灯祭り

お灯祭りで有名な神倉神社(神倉山)の鎌倉式石段 … 和歌山県新宮市
速玉神の旧座所とされる神倉山(かみくらさん/かんのくらやま)の鎌倉積みの石段


新宮市絵図

新宮市絵図


神倉山とお燈祭り

神倉山(かみくらさん)とお燈祭り


「日本書紀」に記された「天の磐盾(あまのいわたて)」と伝えられる岩上に鎮座する「神倉神社」。原始時代の巨岩信仰から始まるが、神武東征の折、窮地に立たされた神武軍を救出したと神話が伝える高倉下命(たかくらじのみこと)を祭る。明治期の神社合祀令で、一時速玉神社に合祀されたこともあるが、まもなく摂社に。神仏習合が一般的であった頃、山上に張り出した「籠り堂」としてのお堂があった。明治期の台風禍と廃仏毀釈運動によって、壊されたまま打ち捨てられ、今日、わずかに礎石のみを残す。例祭のお燈祭りは旧暦1月の行事であったのが、今では2月6日に執り行われ、俳句の季語としても定着、中上健次が「火まつり」と呼んだことから「火まつり」の呼称も広くゆきわたるようになった。


神倉神社(神倉山)前の太鼓橋

神倉神社(神倉山)前の太鼓橋


神倉神社

神倉神社


御祭神
高倉下命(たかくらじのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)


例祭 二月六日 夜


御灯祭りと言う古儀の特殊神事として名高い。白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭である。
御由緒


熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は、建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業漁業の守護神として御神徳が高い。


見せてやりたい 神倉の お燈まつりの 男意気
野口雨情


【動画】お燈まつり 1400年間伝わる勇壮な火祭り

和歌山県新宮市で行われるお燈祭りは、新宮市の神倉神社におよそ1400年前から伝わっています。熊野地方に上陸した神武天皇をたいまつで出迎えたのが始まりとされています。白装束姿で腰に荒縄を巻き付けた「上り子」と呼ばれる男たちが、燃えさかるたいまつを手に、境内の門が開くと一斉に飛び出して 538段ある急な石段を駆け下ります。

(この動画は、2001年に放送したものです。)

1400年!1400年ですよ、1400年!!


天磐盾(あめのいわたて)

天磐盾(あめのいわたて)
神武天皇紀(日本書紀)には戊午年(ぼごのとし/紀元前三年)六月に狭野(佐野)を越えて「熊野神邑(くまのみわのむら)に到り、旦(すなわち)天磐盾(あめのいわたて)に登りて」と記しています。
紀元二千六百五十年(平成二年)を奉祝して神武天皇聖蹟である熊野神邑(新宮の古称)の天磐盾(神倉山)の顕彰碑を神倉神社奉賛会が奉献し、文字は鈴木江邨氏が謹書されています。


平成二年二月十一日 建国記念の日


熊野速玉大社摂社 神倉神社



熊野神邑に到り、旦天磐盾に登りて


要するに、この天磐盾(あめのいわたて=ゴトビキ岩)には御東征中の神武天皇が熊野到着後に登られたということです!!神武天皇ですよ、神武天皇!!神武天皇が登ったんですよ!!ホントすごいです。ちなみに熊野神邑(くまのみわのむら)は現在の新宮市の旧称になります。


天皇家の“ふるさと”日向をゆく (梅原猛)


さあ、昇り始めます!


この鎌倉積みっていうの、かなりやっかいです。超登りづらいです(泣く)


しかし!こんなミラクルな瞬間が!!やはりここ神倉山にも神はいます!!!!


この階段は霊界につながっているかのようです。この階段はあの世への階段かもしれません!!


ここまで来たら、登らなくっちゃ男が廃るので一歩づつ石段を踏みしめて登っていきます。


かなりキツイです。すごい角度です。


振り向くとこんな感じ。。。


登りにく~い、急すぎる~、足場悪~い


でも、実に美しい石段です。不規則なのがいいです!凸凹なのがいいです!いびつなのがいいです!バラバラなのがいいです!!


おばさんとか平気で降っていってます。強っ!



神倉神社の手水鉢


指定年月日 平成元年(1989) 3月25日


新宮城主第2代の水野重良(しげよし/1596~1668)が、下野国(栃木県)那須城主の大関高増の母の延命と繁栄を祈願して寄進したものです。
「大関高増の母」は、重良の姉(妹)にあたります。
黒雲母花崗斑岩の巨大な石を加工して作られており、正面には寛永8年(1631)2月、重良が寄進したことが刻まれています。
阿須賀神社にも同様の手水鉢が寄進されています。


平成21年(2009)3月


新宮市教育委員会




う、う、うぉーっっ!!


ジャーーン!神がご降臨されたご神体「ゴトビキ岩(琴引岩/ごとびき岩)」


摂社 神倉神社

神倉神社は新宮市の西端に聳えたつ権現山の南東端、本社の飛地境内地となっている神倉山に鎮座しています。源頼朝が奉納したといわれる五三八段の急峻な石段を登った先に鎮まる巨岩ゴトビキを御神体とし、高倉下命、天照大御神を祀っています。神倉山の峻崖は、日本書紀にある天ノ磐盾であると伝えられ、熊野三所大神が天降った聖地です。

熊野速玉大社公式サイトより引用)


神倉山は熊野大神が熊野で最初に降臨したとされる聖地で、この神倉神社は "熊野根本大権現"とも呼ばれたそうです。確かに熊野灘から見て花の窟神社も、同じく神倉神社も最初に神様に見つけられ、目指されるような気がしますよね!神は一番最初にこのゴトビキ岩に天降ったというのはうなずけます!!


花乃窟(はなのいわや)神社と同じように、ここ神倉神社もご神体は「巨岩」でした。社殿はなく、人々はこのゴトビキ岩(ごとびき岩)を祀っているのです!熊野はすごーーい!!熊野はクレージー!!熊野はヤバい!!!!


※ちなみに「ゴトビキ」は地元の言葉で "ヒキガエル"を意味するそうです。霊石にも見えますが、そう言われれば確かにカエルにも見えますね~(笑い)


わーーーっ!このゴトビキ岩から見える景色。熊野灘、きれい~!!熊野灘、清らか~!!やっぱり太古の神は海からこのゴトビキ岩にやってきた!!間違いないです!!ホント花の窟とまったく同じです。


神は人間が作った建物には収まらない。このゴツイ岩そのものにこそ神は宿る。注連縄も太っ!


ゴトビキ岩から下を眺める


日本最高レベルのパワースポット

恐らく日本最高レベルのパワースポットであり、スピリチュアルスポットじゃないでしょうか!!そして、世界最高レベルの世界遺産だと思います!!


お詣り終えて石段を下っていきます。下りも結構大変です。女性のみなさん、ハイヒールじゃぜったい無理ですよっ


この先へ下れますか?怖いですよね!!でも、毎年 2月6日夜に行われる火祭り・お燈まつり(おとうまつり)では、この急な石段を「上り子(あがりこ)」と呼ばれる白装束の男どもが松明を持って駈け降りるらしいんですが、本当でしょうか?こんな急な下りの階段を駆け下りれるんでしょうか!!自殺行為ですよ~w



神倉神社、まあ、もの凄い神社でした!花窟神社とこの神倉神社を連続で見せつけられると、所謂神社のイメージが木っ端みじんにぶち壊されます。この二つの神社は熊野三山巡りのモデルコースからは切り離されてしまっていると思いますが、逆にこの二つの神社こそ「熊野を知るため」には訪れる必要があると僕は思いました。「熊野を知るため」、そして「日本を知るため」にぜひ花窟神社と神倉神社を皆さん、死ぬまでに一度は訪れてみてください。


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