桑の都八王子!桑都八王子!養蚕室(東京府南多摩郡加住村)や繭の写真など
養蚕(ようさん)とはお蚕(おかいこ)を卵から飼い育て、繭(まゆ)をとることです。※蚕飼(こがい)とも言います
東京府南多摩郡加住村 養蚕室落成記念 (たぶん)昭和10年代
右下に m.Ogishima(たぶん八王子のオギシマ写真館さん)と書かれています
「桑都(そうと)」とは八王子を指す美称です。古くから養蚕(ようさん)や織物が盛んであったことを表しています。
八王子市ホームページより引用
八王子は "桑都(そうと)"です!
"桑の都"です!
僕が生まれ、育ち、暮らす、この八王子は "織物の街"なんです!!
先日、親戚の家に残っていた超古いアルバムが見つかったんです。そのアルバムの中に、養蚕(ようさん)の写真がたくさんあったのでブログ=記録に残します。
養蚕とはお蚕(おかいこ)を飼い、育て、繭(まゆ)をとることです。
養蚕に関する写真が多数貼ってあったアルバム
養蚕室落成記念 アルバムの説明書き
東京府南多摩郡加住村(かすみむら)の養蚕室落成記念の集合写真
養蚕室前の様子
養蚕(ようさん)に励む加住の人々
繭(まゆ)がたくさん写ってますね!
人もたくさんいて、大繁盛って感じです 笑
当時の雑誌(新聞?)の切り抜きがアルバムの間に挟まっていました
東京府南多摩郡加住村留所部落会 共同養蚕場(共同養蠶場)
奥様方が集まってメッチャ忙しそうですね(^^)
裏面が「大日本婦人会東京支部発会式」の写真だったので大日本婦人会ができた昭和17年頃の写真だと思われます。要するに戦争中です。
割烹着を着たお母さん方が手際よく繭を取り扱っています
みんなかいがいしいです!
それにしても、ものすごい数の繭ですねー
さすが "桑の都"八王子!!
僕も子供の頃、お蚕を飼ったことがありますが、夜中中お蚕さんが桑の葉っぱをムシャムシャ食べる音が聞こえてました。懐かしいなー
ちなみに母親の名前には「絹(きぬ)」という漢字が付いてます。母親の実家は "糸屋(撚糸)"でしたから、メッチャ八王子してるんですw
アコーディオンのような蔟(まぶし)
すごい活気を感じます!
右から 2番目の女性はすごい美人です!! ← 一目惚れw
いやー、スゴイ量ですよ!!
八王子は桑都。
それを証明する貴重な写真でした。
最後にもう一度、
東京府南多摩郡加住村(かすみむら)の養蚕室前の写真
養蚕の写真が眠っていた
村内家最古のアルバム
貴重な写真!村内家に現存する最古のもの!!
このアルバムの中に養蚕に志した一人の男の写真も残ってました!
僕のひいひいおじいちゃん・村内宇三郎(むらうち うさぶろう)です!!
父の業を継ぎ、農業を営み、特に養蚕に志し、率先して桑園を作り、山林を開墾して耕地の拡大を計り、八王子市が別名桑都と唱えらるる元祖をなす。
僕のひいひいおじいちゃんは畑とか田んぼをやってるとズッと思ってたんですが、主に「養蚕」をやっていたということが今回別のメモが出てきてわかりました。
となると、村内家の 100数十年の歩みはこんな感じになります!
養蚕 → 醤油 → テレビ → 家電 → パソコン → インターネット(EC&メディア/ブログ)
壮大な叙事詩ですね、もうこれは!!
このアルバムの中には「「片岡製糸特約養蚕組合連合会」の写真もありました
昭和4年(1929年)11月3日 長野県諏訪(長野県岡谷市) 片倉製糸工場 片倉兼太郎翁 銅像除幕式
養蚕をしていたおじさんが「片岡製糸特約養蚕組合」連合会の会長だったみたいで、前列右から 8人目=写真中央で "イバって"ます 笑
昭和4年の除幕式の日の初代 片倉 兼太郞(しょだい かたくら かねたろう)の銅像
(参考)
僕の母校・八王子市立大和田小学校の校歌(二番)
桑の都を ふるさとに
心楽しく 遊ぶ声
大和田小の行くてには
豊かな力 育ちゆく
豊かな力 育ちゆく
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織物の八王子
ネットより引用
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