100年前の写真!村内家最古の写真!村内宇三郎の刀を持った肖像写真を大発見~ん♪♪
安政2年/1855年に生まれ、大正7年/1918年に死んだ "ひいひいおじいちゃん"が写真館で撮った写真が存在していました!確実に 100年を経過した貴重な写真です!!
村内宇三郎(むらうち うさぶろう)
※僕・村内伸弘のひいひいおじいちゃん
※享年64歳: 安政2年/1855年~大正7年/1918年
村内宇三郎の刀
村内宇三郎の「何くそ」 負けじ魂
100年前の写真を発見しました!!
僕のひいひいおじいちゃん(高祖父)で、大正7年(1918年)に亡くなってますから、100% 100年以上前の古い写真です!
村内家最古の写真がこの写真です!!!!
宇三郎の次男である村内万助が書き残した「村内宇三郎の略歴」も最近発見していたので、今までベールに包まれていた宇三郎おじいちゃんのことが一気にわかりました。
写真も文章も "記録しておく"というのはすばらしいですね♪♪
僕もこのムラゴンに宇三郎おじいちゃんの人生を記録しておきます(^^)/
村内宇三郎の略歴
村内家 15代主
村内宇三郎翁 略歴
翁は安政2年10月20日武蔵の国多摩郡留所村(現八王子市加住町)の村内助三郎翁(のちの村内三造)の長男として生れ 15代当主となる。
村内家は先祖代々留所村の名主であり、千人隊の隊士でもあり、永年に亘り留所村を指導開発した名門である。
翁は年齢 7才にして地頭塚原但馬守の命に依り元服して、名主役を仰付らる「後見人として父親助三郎が当る」
一、宝印寺住職賢伝和尚に付て手習いをする
一、横浜港へアメリカのペルリ襲来の時、横浜港警衛に参加す
一、明治7年分家 村内登助翁の次女じゅうを娶り、ちか、しづの二女と栄一、萬助の二男を挙げる(挙げる=子を得る)
一、父の業を継ぎ、農業を営み、特に養蚕に志し、率先して桑園を作り、山林を開墾して耕地の拡大を計り、八王子市が別名桑都と唱えらるる元祖をなす
一、明治19年東京府下で最初に専用養蚕室を作り、企業の隆昌に寄与した
一、明治初期より白斜子(絹織物)の製造を始め、秋多町(秋川市)、福生市等の織物業者と協力して組合を作り、多摩川組と称し、押されて組合長となる
一、明治37年1月12日火災を起し、土蔵 2棟を残し家屋10棟全部灰燼に帰した。翁は不屈の気概を以って、2ヶ年間に 8棟新築して復興した
一、長男栄一が醤油醸造を志望したので翁は喜んでこの希望を入れ、大和田町の土地を買収、大正元年建築に着工、毎日徒歩で 7粁(キロ)の道を日の出前に現場に到着、帰宅は提灯にて毎晩9時、10時に帰宅して工場住宅を完成せしめ醸造40年の元を築き、今日のムラウチ電気の基礎を作る
一、年齢19にして父親の村用掛を代行して、地租改正を行い、現在の土地公図を作製した
一、公職としては村会議員、学務委員、織物組合長、消防組頭、道路改修委員長、その他地域社会のあらゆる事業に参画した
一、俳句を良くし、号を東光と称す
一、剣道は戸吹町松崎和太郎氏の教えを受け、免許を授けらる
翁の言葉と行い
一、家業に精励し、貯蓄を行い、資産を作れ。生活の安定は財産を持つことである。資産を作ったら、その幾分かを社会公共のために寄附するように心掛けべし。子孫ばかりに譲るのが財産ではない、真の財産は社会大衆の信用と寄附をした金である
一、常に大衆の恩義に感謝し、報恩の念と礼儀を忘れてはならない
一、身分の高い人より身分の低い人に礼儀を厚くすべし
一、事業は研究する、意を決したら必ず頑張ること
一、元気の無い人間は死んだも同様。元気を出せ
一、翁は「何くそ」と書いた扇子を常用した負じ魂の持主であった
一、道徳心のある人間を作るために、先祖を敬い、子孫の教育にも身を以って示したのである
昭和48年12月
村内家16代 村内萬助
戸籍を見ると
宇三郎の父親は三造(本家を襲ぐ際に幼名の助三郎から改名)で、母親はカ子と書いて "カネ"と読むはずです。出生日は安政2年10月20日ではなく、戸籍上は安政2年12月9日になっています。旧暦と新暦の違いかな?(謎)
皆さん、もう一度よく読んで見て下さい♪♪
宇三郎語録、メチャ素晴らしいです!
ひいひいおじいちゃん、イカしてます!!
身分の高い人より身分の低い人に礼儀を厚くすべし!
翁は「何くそ」と書いた扇子を常用した負けじ魂の持ち主であった!
村内宇三郎の肖像写真
貴重な写真 村内家最古の写真(村内家に現存する最古のもの)
アルバムの 1ページ目の一番左上に宇三郎おじいちゃんの写真はありました
丸に蔦の家紋の入った紋付き袴姿。胸に勲章をぶらさげ、右手に「何くそ」と書いた扇子、左手に "刀"を持ってポースをとっている宇三郎おじいちゃん
太い眉、鋭い眼光、気合いの入った口元、凜々しいです
戦闘態勢です
どこか写真館でプロのカメラマンに撮ってもらったようです。100年の歳月を感じさせず、非常にクリアな状態で残っていて、感動的です(涙)
顔もまだ若さを残しているのでもしかすると明治後期の可能性もあるかもです!そうなると 110年前とか、120年前とかの可能性も大ですね!!
上野彦馬に撮られた長崎時代の坂本龍馬のようですね!
メチャクチャかっこいいです!!!!
村内宇三郎、大正7年(1918年)9月7日 64歳で死去
法名: 大徳院釈富立宇三郎大居士
ビックリしたのは宇三郎の母親も同じ大正7年9月に亡くなっています。息子宇三郎が 9月7日、母親かね(カ子)が 9月30日と同じ月で立て続けに葬式が 2つ出ています。。。
大正7年は日本全国でスペイン風邪が大流行した年らしいんですが、息子、母親ともに死因までは伝わっていません。。。
村内宇三郎の母、大正7年(1918年)9月30日 88歳で死去
宇三郎の妻 村内ジウ
宇三郎の妻 "日本のチェ・ジウ"こと村内ジウ
晩年のジウおばあちゃん
村内家過去帳より
15代 宇三郎妻 村内ジウ 法名: 功徳院釈貞覚妙証大姉
ジウおばあちゃんは昭和7年(1932年)6月17日に 77歳で亡くなってるので、1932 - 77=1855年生まれとなります。江戸時代に生まれたんですね
宇三郎の父 村内三造
祖父・村雄が自身の曽祖父である三造について記述したメモも同時に見つけているので転載します。まだ下書きみたいでしたが "村内家中興の祖" 三造おじいちゃんの人となりは伝わると思います
14代 村内三造
13代千人隊士八郎太 子なく家運かたむく。分家に生れた三造 養子となり本家を継ぐ。体大きく 村一番の力持ち 日夜働き 馬車をひき 農にはげみ しだいに資産をなし 衰亡の家をおこす 村内家中興の祖
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