徳川家康の顰像(しかみ像)- 三方ヶ原の戦いで脱糞し大惨敗

徳川家康公 顰(しかみ)像
徳川家康公 顰(しかみ)像

徳川家康三方ヶ原戦役画像(みかたがはらせんえきがぞう)



元亀三年(1572年)、
家康31歳の時、武田信玄との「三方ヶ原の戦い」で大敗し、
命からがら浜松城に逃げ帰った直後の家康の像です。
この時、家康は恐怖のあまり馬上で脱糞し、失禁したと言われています。
憔悴し、苦渋に顔を顰(しか)めているこの敗軍の将が
31年後、天下を取りました。


家康は己のみじめな姿をその場で絵師に書かせ、
以後、常にこの絵を手元に置き、敗戦を肝に銘じ、
決して慢心しないように自分を戒めていたそうです。


徳川美術館の解説では、
この絵は「顰(しかみ)像」と呼ばれ、
こういった人間味あふれる家康の姿は他に例をみない。

そうです。


▼English(英文)


In Genki 3, 1572, Ieyasu Tokugawa who was 31 years old lost a
Mikatagahara battle with Shingen Takeda and he run away to
Hamamatsu castle with bare life after the fight.This picture was
painted at that very time.It was said that he evacuated the bowels
on his horse by fear.However, 31 yaers after, this defeated general
got power of Japan who worn outand screwed up his face with pain. 


Ieyasu made his painter write this picture.After that, he put the
miserable image on his side andkept this defeat in his mind.
Moreover he had adomonished hisself for preventing self-conceit. 

According to Tokugawa atr musium, this work called Shikami-zou
is quite unique bacausea lot of humanity of him filled on it.


(参考)
徳川家康公遺訓
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鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす (徳川家康)
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