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梅原猛語録(梅原猛の格言) 「世界と人間 思うままにⅠ」より

梅原猛の名言。さすが日本を代表する哲学者!すばらしい人間理解です!

文春文庫 「世界と人間 思うままにⅠ」 梅原猛

文春文庫 「世界と人間 思うままにⅠ」 梅原猛


「世界と人間」 梅原猛


先日、偶然立ち寄ったある古本店でこの本を見つけました。たった「30円」でしたw


でも、梅原猛さんの格言がいくつも載っていたのでその価値は僕にとって「30円」どころではありませんでした。僕が感銘を受けた梅原さんの名言や金言の数々を引用させて頂きますのでぜひお楽しみください。梅原さんご自身が現在 90歳になられていますので 10数年以内にはご臨終されるはずですのでもう一度梅原さんの思想を振り返って自分の力や決意にしたいと思っています。


社会主義は崩壊した。なぜ崩壊したのか。私はやはりマルクスの人間観に大きな無理があったのではないかと思う。彼は資本主義社会のリーダーたちを極悪非道な人間と考え、社会主義社会のリーダーを無私の人類愛に支配される人間とみた。それはあまりにも空想的な人間の見方である。人間は善とともに悪をもつものであり、資本主義社会のリーダーたちも全くの悪ではなく、社会主義社会のリーダーもまったくの無私ではない。

多くの有識者が集まって一つのことについての意見を述べるのに、全員一致などということはあるはずがない。

すぐれた政治家の条件

一、政治家は、時代が要求する理想をはっきりもっていなければならない。

二、政治家は、現実世界の状況を的確に把握しなければならない

三、政治家は、一つのことを決定することができる勇気と、それを粘り強く実行する忍耐を所有しなければならない。

ヘーゲルは当時住んでいたイエナの町にナポレオンが馬に乗って通るのを見て、「世界精神が馬に乗って通った」と友人に書いた。

人間の評価は、棺を蓋いて定まるというけれど、なかなかそんなものではない。大したことをしていないのに、死後何かの拍子で有名になり、それが芝居や小説になって、あたかも偉大な人であるかの如き感を呈する人もある。逆に、そんなに悪人でもないのに、後世の都合で勝手に悪人とされ、末永く歴史に悪名を残す人がある。

生物にとっていちばん大切なことは、自分の子孫を残し、それを育てることである。全ての生物、植物も動物もそのことに日夜悪戦苦闘しているのである。自分の子供や孫をかわいく思わない人間はない。どうして自分の子供や孫がかわいいかといえば、遺伝子の中にそういう情報が潜在していて、あらゆる生物にとって自分の子孫を残し、その子孫を育てることがもっとも大切であるということを知らせるからである。

子供に対する愛は菩薩行すなわち利他の行の初めである。そういう愛を通じて初めて人間は広く人を愛することを学ぶのであろう。

(諏訪大社の)御柱や(伊勢神宮の)御遷宮の神事は縄文の昔にまでその伝統をさかのぼらせることができる。それは生命の死・復活を示す祭りなのである。古い生命は死ぬが、新しい生命は甦り、その魂は永久に循環する。近代主義が考えるように、生命はただ自我として自分一代で終わるのではなく、世代を超えて永遠に再生されるのである。個体の生命ではなく、永遠に再生し循環する生命を中心に文明を作り直さねばならないのである。

死はある意味では生の完成であると思わざるを得ない。

伊勢神宮には皇室の祖先神が祀られているが、出雲大社にはいわば皇室に敵対した前時代の支配者、オオクニヌシノミコトが祀られている。つまり、味方よりも敵を手厚く祀るというのが記紀の伝統的神道なのである。しかるに靖国神社は、戦争で犠牲になった味方の人のみを祀り、敵の人を祀らないようにみえる。これは果たして伝統的な日本の神道といえようか。

人間には金のある者もあり、金のない者もある。権力をもつ者も、権力をもたない者もある。しかし裁判において、すなわち法の下では人間は全て平等であるという意識があるゆえに、人間はかろうじて富や権力の不平等に耐えられるのである。

「あなたは純粋であるが、やはり間違っていた。あなたの人間を見る目には愛の心が欠けていた。たぶんあなたは愛に飢えていたのであろう。それであなたはこの人間という愚かな動物を温かく見る目を失っていたのである。」

日本民族は複合民族である。日本には同じモンゴロイドでありながら二つの種類の人種がいるという。一つは古モンゴロイドというべき人種で、縄文時代以来日本に土着していた種族である。それは目鼻が大きく、顔のほりの深い、髭が多く、胴体に対して手足が長い。もう一つは弥生時代に稲作農業をもって渡来した種族であり、それは新モンゴロイドに属し、目鼻は小さく、顔は扁平で、髭は少なく、手足に対して胴体が長い。

創造はいつも異端者の仕事である。つまり、新しい学問や新しい芸術を生み出すには、それまで権威として通用していた学問なり芸術なりを根本的に否定しなければならない。

日本人の道徳心を作ったものは儒教と並んで仏教ではないかと思う。仏教が説くのは、人間の平等と自利利他ということである。この仏教の平等主義が、日本では身分社会の倫理である儒教の倫理を和らげているのである。また日本には、自分を犠牲にして社会のために尽くした人間をもっとも偉い人間と考える風潮がある。これは仏教の利他の精神であるが、この仏教と微妙な形で神道が連なっているのである。神道は明治以後は超国家主義的なイデオロギーに支配されたが、神道はもともと自然の中にいる神々に感謝を捧げ、その神々の前で自分の卑小さを感じ、祈りを捧げる宗教なのである。

宗教の教祖になれば組織が必要である。組織は必ず建物を必要とする。建物を建てるためには金集めをしなければならない。そして組織を守るためには信仰よりも金集めそのものが目的になるのである。むしろ信仰はそこで金集めの大義名分にならざるを得ない。それゆえ親鸞にしても道元にしても、彼の教えを聞く数十人の弟子に囲まれたのみであった。あの弟子の多い法然すら教団を作ろうとする意図をもたなかった。私は、真の宗教家にはそのような教団作りにエネルギーを費やす暇はないのではないかと思う。

沖縄の自然は信じられないほど美しかった。特に竹富島のコンドイの浜の風景はすばらしい。世界にまだこんな美しいところがあるかと息を飲むほどであった。この海は、まさに海の彼方から神々がやってくることが実感として感じられる海なのである、あのイナウといわれる灰青色の珊瑚礁の海の向こうにコバルトブルーの本当の海がある。その海の彼方にあるニライカナイから神々がやってくる。それが実感として感じられるのである。


以上、1992年(平成4年)1月~1993年(平成5年)7月まで「思うままに」と題して、梅原さんが東京新聞や中日新聞に連載したエッセイを読んで僕が感銘を受けた格言でした。これがたった「30円」とは思えませんよね~!皆さんにこの梅原さんの思想や思索の一部をお伝えすると共に、ブログに残して僕も折に触れて見返したいと思っています。ちなみに、この格言を抽出したので文庫本そのものは断捨離しました。



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