「私は体で法を説く」華厳経 善財童子の旅。肉体は聖、肉体的快楽は聖。
遊女はそのまま菩薩である。遊女 婆須蜜多女 / ヴァスミトラ―の説法
新・善財童子 求道の旅 華厳経入法界品・華厳五十五所絵巻より 森本 公誠 編著
求むれば救いの手が差し伸べられる
行け、善財よ
彼の山には勇猛なる観自在菩薩
衆生を導き、慈しまんとして
住しておられる
彼の菩薩は汝がために
真理への道を説くべし
『華厳経』の最終章「入法界品」は、生きることに苦しむ人を救う手立ては何かと、善財童子が神・菩薩・苦行者はむろん、様々な道の達人を訪ね求めて教えを乞う一大叙事詩。本書は東大寺・森本公誠長老がその精華を読み解き、善財童子の求道の絵巻と共に紹介する。旧版(1998年)を大幅に改訂、 新たに註釈や解説を加えた唯一にして必携の解説書。
善財童子(ぜんざいどうじ)の求道の旅、あなたは知ってますか?
昨年の 12月28日にこの本を見つけ、衝動買いしてから、折に触れて眺めたり、読み込んだりしています。お経って、こんなにも楽しいんだ!って思えてくる程の抜群のストーリー性。道を求める善財童子の旅の様子がシンプルに面白いです!!
そして、僕はこの重く厚い華厳経の本の中のある一言に思いっきり吸い付けられました。惹きつけられました。遊女 婆須蜜多女(ヴァスミトラ―)が発した言葉です。
私は体で法を説く
遊女はカラダで法を説くのです。
意味わかりますか?
この言葉が持つ意味、理解できますか?
僕はわかりました
すごく良くわかりましたよ!
というよりも、この本も仏教も法華経も、結局はこの一言に収斂されていくのではとすら思えました。
要するに
肉体は聖、肉体的快楽は聖なんです!!
肉こそが清いのです!
肉のかたまりである人間こそが純粋でキレイなんです。人間こそが無垢で神聖なんです。
遊女 婆須蜜多女(ヴァスミトラ―)はそれをサラリと善財に教えたんです。
あらゆる職業の人々に教えを求めた善財
いかなる人からも教えを得た善財
悟りを求める心が燃え盛る善財童子はこの遊女の説法を聞いて、何を思い、何を感じたのでしょうか?
東大寺の森本公誠さんも、日本随一の仏教学者である中村元さんも、この婆須蜜多女の言葉に対して、避けるような感じで明確な解釈を施していません。
中村元はこんな風にすら言ってました
「大聖よ」遊女に向かって「大聖よ、大いなる聖人よ」と呼びかけるのはどうも奇異でおかしい
中村元 NHKこころをよむ「仏典」
ならば、僕・村内のぶひろがということで!
少なくとも、その瞬間は囚われない
離欲
そう、欲から離れることができる
少なくとも、その瞬間は離れることができる
その瞬間は歓喜であり、喜びであり、光り輝く
見つめ合えば
手を握れば
あくびするところを見れば
抱き合ってギュすれば
キスしてチュすれば
肌を合わせて愛し合えば
煩悩が静まる
欲望に囚われなくなる
抱擁で、接吻で、
心がまるくなる、まるくなる
どうですか!
遊女は菩薩であり、遊女は聖人なのです
そして、遊女だけじゃない!
遊女だろうが、何であろうが、誰でも人間はみな菩薩であり、みな漏れなく聖い人なのです
肉体を持つ人間こそが、それはそれはうつくしい聖なのです
人間はすべて礼拝(らいはい)されるべき存在 なのです!!!!
女人に接吻したり、抱擁したりするって言うと、これは欲情をますます募らせることになるではないか、と思われますが、ここではそれが離欲への道である、欲を離れる道であると、そう説かれてるんですね。この立言はどうも矛盾しているようで、説明が困難でありますが、恐らく、人生の煩悩や欲望を通り抜けて、酸いも甘いも噛み分けた人にはやがて解脱の境地が開かれると、いうことを暗に示唆して言っているんじゃないでしょうか
中村元 NHKこころをよむ「仏典」
「汝は、彼女のところに到って問え」
善財童子(ぜんざいどうじ)
いかなる人からも道を学ぶことができる - 善財童子求道の旅
善財童子が教えを乞うたのは、菩薩、神々、神の子、女神、遍歴行者、修行僧、尼さん、仙人、バラモン、国王、商人、資産者、在俗信者の女性、淑女、船頭、黄金作り、よき友、少年、少女、零民、遊女 etc
上の羅列は中村さんのカセットテープを聴きながら、だいたい聞いた順番に並べたんですが、この並び順にやっぱり順序というか、カーストと言うか、そういう職業差別に近いものを感じますよね。中村さんは異色の対話として、遊女から教えを受けたと最後の最後に遊女について説明していました。
大阪の淀川のほとりにありました江口の里は、中世には河港として栄え、遊女で有名でありました。彼女たちの生活は痛ましい限りでしたが、しかし人の世の無常を体感する契機となり得る、そこまで深層を見つめれば、遊女はそのまま菩薩である。詩歌、それから仏曲のすぐれた技には、成仏の機縁となるという趣意を遇しております。
NHK心を読む「仏典」中村元より引用
彼は好んで淫靡(いんび)な詩を作る。女性の性は水仙の匂いがするというような大胆な詩を彼は作る。盲目の女、森侍者との交情を彼は平気で歌う。齢八十をすぎる高僧が、このような歌うべからざる詩を歌うのだ。
一休寺・一休禅師 狂気と正気のあいだ 梅原猛より引用
理性と肉欲はどっちが根本的だ?最も根本的なものが哲学ならば、肉は哲学の最も聖なるものだ。・・・僕は既に鶴子に囚われた。
「死線を越えて」 賀川豊彦より引用
淫売婦は皆栄一と親しくなった。親しくなったという範囲を通り越して、栄一を慕うものも出来た。お秀という二十三の小奇麗な淫売婦は栄一によくいろいろな身の上話をした。この女は栄一の筋より一つ浜側の中ほどに巣を構えていて、水田の若親分の妻君の兄というものの妾のようになっていて、毎晩淫売に出ていたが昼の中に会って見ると、少しも淫売婦らしくない立派な処女のような風体でいる。栄一がその前を通りかかると中から呼ぶ。そして頭から---
『新見さん、わたしを、あなたの嫁さんにしてくれやおまへんか、私は一晩でもいい、あなたのような人に抱いて寝てもらいとうおまんがな・・・・・・あなたはほんとうに、神様やな、出来ん世話やな、まだお若うても感心やな』という。
「死線を越えて」 賀川豊彦より引用
中村元の「仏典」カセットテープを足上げしながら聞いているところw
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賀川豊彦記念松沢資料館。彼はまたすべての人を尊敬した。貧民窟のすべての人を尊敬した。彼は貧民窟のすべての乞食、すべての淫売婦を尊敬した。
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"生命力あふれる"「中世の非人と遊女」 網野善彦 - 講談社学術文庫
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