川崎散歩: 鳶はしご登り、旧東海道、川崎競馬、さざんか
チネチッタから川崎大師に向かって散策
鳶はしご登り(川崎・ラ チッタデッラ チネチッタ通り)
映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする。」を見終わって、キレイな気持ちでチネチッタ(映画館)を出ると、何やら人だかりが。。。
うおーーっつ!鳶の方々がはしご登りやってるぅー!!
平成29年1月2日、チネチッタから川崎大師までの川崎散歩、どうぞご覧ください。
川崎 チネチッタ通り
鳶(消防/火消し?)の皆さんが集まって何かを始めようとしていました。グッドタイミング!
見物人がたくさん集まっていました。
纏(まとい)がふるわれ、場が盛り上がっていきます!
梯子が立てられます!!
やったぁ~ かっこいい!!
ポーズ決めた!いなせ~!!!!
うっひょー!落っこちないのか??大丈夫か??さっすがーー ^^
アクロバチックですねっ
ぼく含め見物人大拍手!パチパチパチパチ~☆
それではこれから歩いて、川崎大師へ向かいます。
ラ チッタデッラを後にします。
銀柳街での新春バーゲンセールの様子
おばちゃんたち、1月2日からすでに戦闘モードですw はっはっは(笑)
銀座街に入ります。
銀座街を抜けると、そこは旧東海道でした。
弥次喜多も通った旧東海道。
♪旅ゆけば~~ 駿河の国に茶の香り、名題なるかな東海道、名所古蹟の多いとこ。
昭和7年頃の旧東海道の町並み
旧東海道川崎宿には、大名や公家などが宿泊する本陣、宿駅の業務を司る問屋場、 近村より徴発した人馬が集まる助郷会所、高札場や火之番所などの公的施設をはじめ、旅籠や商家など 350軒程の建物が約1400メートルの長さにわたって軒を並べ、賑わいを見せていた。
古文書や絵図から宿の町並みを探ってみると、旅籠は約70軒を数え、油屋・煙草屋・小間物屋・酒屋などが店を広げる一方、大工・鍛冶屋・桶屋ほか多くの職人や農民も居住しており、活気にみちた都市的景観を認めることができる。
もともと、川崎宿のあたりは砂浜の低地で、多摩川の氾濫時には、冠水の被害に見舞われる地域であった。そのため、旧東海道は砂州の微高地上を通るよう配慮がなされ、さらに川崎宿の設置に当たっては、宿域に盛土が施されたという。
現在でも砂子から小土呂あたりを歩いてみると、旧街道筋が周囲よりも幾分高いことが良くわかる。
川崎宿は、慶安・元禄年間の大地震や宝暦11年(1761年)の大火など度重なる災害に見舞われ、明治維新以降も関東大震災や空襲などで、往時の景観は全く失われてしまった。
しかし、大きな変貌を遂げてきた今日の町並みの中に、宿の成立にかかわる地形や寺院の配置など、川崎宿のおもかげを見ることができる。
一柳斎廣重「東海道五十三駅名所・川崎宿大師瓦真景」
葛飾北斎「東海道五十三次 三 川嵜(川嵜)」
あの北斎もここ川崎を通ったんですねっ!!
葛飾北斎「東海道五十三次 三 川嵜(川嵜)」
文化(1804~1818)中期 中判錦絵
アップしますよ~ 葛飾北斎の傑作、よーくご覧ください (^^)
歌川国貞(三代目歌川豊国)「東海道五十三次之内 川崎之図【美人東海道】」
歌川国貞(三代目歌川豊国)「東海道五十三次之内 川崎之図【美人東海道】」
天保7年頃(c.1836) 中判錦絵
美人東海道!この女性、どんだけ美人だったんでしょうか!?天保の頃にタイムスリップしてこの女性(ひと)に会ってみたいです。
旧東海道を進みます。
川崎宿の旗
味のある民家 右側のさざんか(寒椿の勘次郎)がすっごい素敵です!すばらしいです!!
冬の花「さざんか」
他の花が咲かないこの季節はさざんかの一人舞台ですね!
さざんか、美しいです。さざんか、可憐(かれん)です。
続いて、川崎競馬が見えてきました。
僕は競馬やらないんで、あんまり興奮しませんが。馬好きがここにくると、興奮を抑えられないんでしょうね(笑)
1月2日ですが、大勢の人がいました。写真のように、家族連れで来る人たちもいるんですね!この家の子供、将来絶対 "勝負師"になりますよ。間違いなく。孟母三遷ですw
川崎競馬場前から見えた川崎の高層マンション
川崎競馬場を後にします。
川崎競馬場の前の大通り・国道409号は大師道(だいしみち)というようです。
うわー!これも「さざんか」だと思います!花つきが良過ぎ~
1月2日、新春の日を浴びるさざんか(川崎・大師道/国道409号)
冬を彩るさざんか大好きです!!
選挙ポスター
川崎新都
"厄除けのお大師さま" 川崎大師に到着~~☆
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