プーチン来日。でも北方領土は戻らない(ロシアは返さない)
ロシア(ソ連)が北方領土を返還しない理由
ロシアのプーチン大統領が来日しますが、ズバリ 北方領土は返ってこないと思います。後からなら誰でも言えるので、来日前に断言しておきます。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島、いずれも今回のプーチン訪日では日本には返還されません。
望遠鏡に映った国後島の島影 平成20年/2008年8月 村内伸弘撮影
なぜか?
倉庫整理を最近しているのですが、昭和31年(1956年)と昭和42年(1967年)の古い新聞が出てきたのです。この 50年も、60年も前の新聞に書かれていることと現状に大きな違いはないと感じています。ソ連でも、ロシアでも、結局は同じです。歴史は繰り返します。
日ソ共同宣言後も四島返還も二島返還もありませんでしたし、歴代内閣のいかなる交渉や提案でも四島返還も二島返還もありませんでした。ロシアは領土に関しては間違いなく現状維持しか考えていません。日本に対して、足元を見て領土返還を匂わせて、経済協力させるだけの魂胆です。ロシアの場合、「言葉」は信じず、「行動」だけを見るべきです。
以前、新宿の「平和祈念展示資料館」で、極寒のシベリアでラーゲリ(収容所)に収容され、強制労働を課せられ、無念の思いで死んでいった先輩たちの姿を見ました。流した涙が凍り付いたままで息絶えた日本人の絵を息を呑みながら見つめました。
安倍首相や外務省、その他関係団体、関係者のガンバリには敬意を表しますし、「じゃあ、お前は何ができるんだ?」と言われれば何も答えられないのですが、これらの古新聞を読むと、ロシアという国がしたたかで、狡猾で、一筋縄ではいかない国ということがよく分かります。
もう一度書きます。
ロシアの場合、「言葉」に惑わされてはいけません、ただただ「行動」だけを見るべきです。
▼昭和31年(1956年) 9月18日 朝日新聞
ソ連に"領土"を打診 → 結局、北方領土返還されず
▼昭和42年(1967年) 7月25日 産経新聞
領土問題で"前進" → 結局、北方領土返還されず
その昔中学生の頃、「二百三高地」という明治の日露戦争の映画を見たことがあるんですが、確か映画の中で、出征する先生が「美しい国日本 美しい国ロシア」と黒板に真っ白なチョークで書き残したシーンがあったと思います。
四島(しま)の平和的な返還と日ロ友好で「美しい国日本 美しい国ロシア」を名実共に実現したいものです。
(平成20年の僕のブログ記事より)
・北方領土 - 外務省
・北方対策本部 - 内閣府
・北方領土問題への北海道の取組み - 総務部北方領土対策本部
・北方領土対策室のトップページ - 総務部北方領土対策根室地域本部
・独立行政法人 北方領土問題対策協会
横田基地日米友好祭(Japanese-American Friendship Festival)
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