ハチオーソースの年代ものの前掛けエプロンを発見!
丁稚奉公に励む丁稚(でっち)の前掛け!?
芳香美味 ハチオーソースの昭和レトロな前掛け
八王子市大和田町 八王子醸造工業株式会社
これは「エプロン」とは呼びませんw
「前掛け」ですよ、「前掛け」!
「丁稚(でっち)」ですよ、「丁稚」!!
ハチオーソースってたぶん "八王子のソース"という意味のはずです。この八王子醸造工業株式會社って僕のひいおじいちゃん(おじいちゃん?)の会社だったようです。要するに醤油(フジムラ醤油)と味噌(ヤマジョウ味噌)に続く、"第3の商品"がソースだったんじゃないかと推測しています。
醤油と味噌を造っていたのは知ってましたが、ソースを造っていたというのはこの前掛けで初めて知りました!
この前掛けをおばあちゃん家の倉庫から見つけ、父親に「ハチオーソースってウチがやってたの!?」って聞いたら、「ウチがやってたよ。みんなで幕張に出汁(だし)用の貝を採りに行った。」って言ってましたw おばあちゃん家の倉庫から前掛けが出てきて、かつ八王子市大和田町って書いてあればほぼ間違いないですよね(笑)
※大和田町は村内醤油店創業の地で今もなおムラウチジョーシンが営業中です
ハチオーソースの登録商標
かわいらしいですね(^^)/ 誰がデザインしたんだろ??
商売がもしうまくいっていれば、今頃このマークぐらいに有名になっていたかもしれませんね(笑)ブログのタイトルも「ソース屋・村内伸弘が熱く語るブログ」でしたねw
ブルドックソースのマーク
オタフクソースのマーク
イカリソースのマーク
ハチオーソースは
なぜ、ブルドックソースになれなかったのか? なぜ、オタフクソースやイカリソースになれなかったのか? なぜ、ソースメーカーとして生き残ることができなかったのか?
温故知新でビジネス的な視点から考えました。
そして、ハチオーソースは
果たしてどんな味だったのか?
一度、その味を確かめてみたい気もしますが、これは果たせぬ夢ですね。
様々なことに思いを馳せ、色々考えながらする倉庫整理は楽しいです。
PS
ぶっちゃけ、この前掛けをして、
丁稚からやり直したいという気分も多少はあります(^^)
▼13年前に発見した封筒
昭和初期の村内醤油店の封筒
最上醤油 フジムラ ≪フジムラマーク≫
最上味噌 ヤマヂヤウ ≪ヤマヂヤウマーク≫
醸造元 合名會社 村内醤油店
八王子市外大和田
電話 八王子九三九番
振替 東京三四四四ニ番
▼おばあちゃん家の玄関にある花瓶
村内醤油店の花瓶
▼昭和9年(1934年)の村内醤油店
明治維新になったときの当主は村内宇三郎といった。肖像画で見ると、なかなか立派な風貌の人物だが、事実、村で、名主的な仕事をする一方、八王子の代表的な産業であった織物業も行なうなど、実力のある人物だったという。
宇三郎は私の祖父である。宇三郎の長男は村内栄一といって、この人は私の伯父に当たる。
栄一という人も若い頃から事業家的な気質に恵まれていたらしく、小学校を出ると同時に、親に無断で千葉県の醤油醸造屋に丁稚小僧として住み込み、年季が明けると八王子に帰ってきて醤油メーカーをはじめた。農家の長男であるから、そこまでする必要はまったくなかったのだが、それでは気がすまなかったのだろう。この人は戦後、醤油製造から家電販売に転進し成功を収めた。現在のムラウチ電気が、それである。
村内道昌「村内まごころ商法」より
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