熊野古道6: 熊野本宮大社!一遍上人「熊野成道」の現場・大斎原、熊野川へ
手に入れた熊野本宮大社の熊野牛王神符「オカラスさん」
熊野牛王神符「オカラスさん」
俗に「オカラスさん」とも呼ばれる熊野牛王神符(牛王宝印)は、
カラス文字で書かれた熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)特有の御神符です。
カラス文字の数は、各大社によって異なります。
当社の熊野牛王神符は、八十八の烏が見事にデザインされており、
木版で手刷されたものを熊野宝印と認めています。(熊野本宮大社ホームページより)
熊野本宮大社の裏口の鳥居。
祓殿王子からだとどうしてもこの"裏口"から入るようになってしまうようです。まあ、熊野の神はそんな細かいことはまったく気にされないから安心です。熊野の神様は心が広いんです。貴賤老若男女分け隔てなく救ってくださるんです ^^
八咫(やた)ポスト。誰が考えたのか興味津々です(笑)
この八咫(やた)ポストは、通常に投函でき、毎日収集致します。大切な人への想いを、今の自分の想いをここ熊野から旅立たせて下さい。葉書は社務所にお申し出下さい。(記念の八咫スタンプを押印します。)
熊野本宮大社
「挑」
「成」
本宮 八咫烏(やたがらす)
八咫烏(由来)
熊野では八咫烏を神の使者と言われています。三本足とは熊野三党(宇井・鈴木・榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(けつみみこのおおかみ/素戔男尊)の御神徳である智・仁・勇、又 天・地・人の意をあらわしています。烏は一般に不吉の鳥とされてきているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武(じんむ)天皇御東征の砌、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折那須与一出身地(栃木県)烏山城は烏が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。
次に世界各国の一部の例を記せば、
◎スカンジナビア
オジンの神の肩に止まった烏が二羽、一つは思考、一つは記憶と名づけて毎朝二羽の烏を放って、世界中のことを報告させたといわれている。
◎古代ギリシャ
烏はアポロの神の標識。
◎ツリンキート族
火を最初にもってきて、光を人にあたえたのは烏であると伝えられている。
又、最近スポーツのサッカーが青少年、若い人々に人気を博している。日本サッカー協会のマークは八咫烏です(明治時代にサッカーが日本に始まった。この頃から使用されているそうです)サッカー協会のマークに使用された意味は、考えるに目的とする相手チームのゴールをはずすことなく、きちんととらえて納めるという意味ではないでしょうか。
尚、右の意より、当大社では今も尚変らず、
◎人の道開きの開運、人生、目的達成
◎現在地~目的地の間、無事に到達する意・海上安全・交通安全(車・二輪車等)旅行安全・通学安全の守護として仰がれています。
※八咫烏のお祭りに関わる祭典
毎年一月七日、夕間深き時間(午後五時)に厳修斎行される(年始め牛玉刷り初め)があり、当社の年中行事の中でも中心となるお祭りです。
熊野本宮大社社務所
写真右: 熊野本宮大社 ご本殿 証誠殿/證誠殿(しょうじょうでん)
旧社地の証誠殿でですが、証誠殿は一遍上人が熊野権現の神勅を受けた聖跡です!!証誠殿で一心にお祈りする一遍上人が、疲れ果てて眠ってしまった時、熊野権現が姿を現わしてこう言ったそうです。
融通念仏すすむる聖、いかに念仏をばあしくすすめらるるぞ。御房のすすめによりて一切衆生はじめて往生すべきにあらず。阿弥陀仏の十劫正覚(じゅうごうしょうがく)に、一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決定(けつじょう)するところ也。信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし
▼熊野本宮大社の御社殿
1. 証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
2.中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
3.西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
4.東御前(若宮・第四殿) 天照大神
5.満山社 結ひの神(八百萬の神)
牛王神符(ごおうしんぷ)
牛王神符(大) 二千円也
熊野に伝わる和紙「音無紙」で調整しており、手すきのため一枚一枚形や厚さは異なります。
牛王神符 五百円也
牛王神符(大) 初穂料 2000円也
2000円を納め、もちろん(大)をゲット!!帰ったら、部屋に貼ります。
牛王神符(音無紙)調整模様
牛王(俗名 お烏さん)符 宝印符の由縁
熊野牛王又は宝印神符ともいう。俗に「おカラスさん」とも呼ばれ、カラス文字で書かれた熊野山独特の御神符であります。当社の主祭神、家津御子大神(素戔男尊)と天照皇大神との高天原における誓約、或るいは神武天皇御東征の際の熊野烏の故事に由縁するとも云われています。
当社の熊野牛王は、手刷りのもので、お烏さんの数は八十八羽で、古く天武朝白鳳十一年(約1300年前)始めて熊野僧徒牛王宝印奉ると記されている(東牟娄郡記)
時代が降るに伴い、この御神符も色々な方面に用いられ、鎌倉時代には「誓約書」ともなり、江戸時代には「起誓文」の代りとして用いられた。又、古くから、熊野権現への誓約を破ると、熊野大神の使である烏が一羽~三羽亡くなり、本人も血を吐き地獄におちると信じられてきたのである。この様に「牛王神符」は、熊野へ参る人々をあらゆる災厄から護った御神符であります。今日、当社では神前結婚式の誓詞のうらに、貼付しているのも右の古事によるものである。
特に当社では、毎年一月七日、夕闇迫る時刻に厳修される八咫烏神事が斎行され年事にこの神事を中心に古来より牛王刷り初め、宝印初めの神事を終え、初めてその年の新しい牛王符としてお頒ちをしています。
又、先に述べた宝印神事とは、松の木を材として、毎年新たに調整をし、その形は、当社主神、家津美御子大神(素戔男尊)・熊野夫須美大神(伊邪那美大神)・速玉大神(伊邪那岐大神)三神の御魂を現わしたものである。
この宝印を午王符に押印し、その一年の新らしき魂が納められ、午王符としてお頒ちをしています。尚、宝印のみの魂は、一月七日の神事に参列された方のみお頒ちをしています。
熊野牛王神符(くまのごおうしんぷ/お烏さん)について
熊野牛王又は宝印神符ともいう、俗に「オカラスさん」ともよばれ、カラス文字でかかれた熊野山濁特の御神符であります。
その起源は詳らかではありませんが、当社の主祭神家津美御子(けつみみこ)大神(素戔男尊)と天照皇大神との高天原における誓約(ちかい)、或は神武天皇御東征の際の熊野烏の故事に由縁するとも云われています。
「神倭伊波礼彦(かむやまといわれひこ)天皇命(神武天皇)熊野尓行比時尓山波高久谷波深久繞里弓進牟倍伎道母判多受悩美苦志美・・・・・・・・・建角身命波八咫烏止成里氐・・・・・・・・・」
とあって、毎年一月七日夕闇迫る時刻厳修される八咫烏神事(県無形文化財)に奏上し奉り、古来より牛王刷り初めの神事として有名です。
当社の熊野牛王は、烏文字を木版で手刷りのもので、当社のお烏さんの数八十八羽で、古く天武朝白鳳十一年(約1300年前)始めて熊野僧徒牛王宝印奉ると記せられている(東牟婁郡誌)。
時代が降るに伴いこの御神符も色々な方面に用いられ、鎌倉時代には「誓約書」ともなり江戸時代には「起誓文」の代りとして用いられた。古くから、熊野権現への誓約を破ると熊野大神の使である烏が一羽亡くなり、本人も血を吐き地獄におちると信じられてきたのである。この様に「熊野牛王神符」は熊野信仰の人々を凡ゆる災厄から護っていただいた御神符で
カマドの上(現今はガスの元栓)にまつれば火難をまぬがれる
門口にまつれば盗難を防ぎ
懐中して飛行機、船にのれば、船酔い災難をまぬがれる
病人の床にしけば、病気平癒となる
今日当社で、神前結婚式の誓詞の裏に貼布しているもの右の故事のいよるものである。
敬白熊野本宮大社
一遍上人と熊野本宮 日本第一大霊験所 熊野本宮大社
これも買いました!
一遍上人は、熊野信仰に厚い伊予国(愛媛県)の豪族、父河野通広(如仏)の二男として延応元年(1239年)二月十五日誕生した。
って、書いてありましたが
二月十五日って、僕の誕生日ですよ!!!!!!
旧暦と新暦の違いはありますが、これは奇跡的なできごとです!!
一遍上人 2月15日生まれ(旧暦)
村内伸弘 2月15日生まれ(新暦)
ファンタスティ~~~ック!!
おかえりなさい ようこそ熊野へ
世界遺産登録十周年
世界遺産 熊野古道めぐりは悠久の時を体感して下さい。
熊野本宮大社
奉納 熊野大権現
鳥居
那智瀧の ひびきをもちて 本宮に ぬかづくわれや 生きむとぞする 登志夫(前登志夫)
熊野古道(祈りの道)
終着の地・出発の地
大斎原(おおゆのはら)
日本一大鳥居
是日本第一本宮大齋原
一遍上人神勅念佛開顕地
デカ!これぞ日本一高い大鳥居、高さ 33.9m!
鹿が侵入し水田を荒す為、防獣網を設置しています
ニッポン一の大鳥居!!
世界遺産
World Heritage
紀伊山地の霊場と参詣道
Sacred Sites and Pilgrmage Routes in the Kii Mountain Range
熊野坐神社(くまのにますじんじゃ) 旧社(大斎原/おおゆのはら)水害前の絵図
熊野坐神社(現・熊野本官大社)は、熊野川・岩田川・音無川、三つの川が合流するここ大斎原の中洲に鎮座していました。熊野の神々は、中洲のイチイの巨木の梢に三体の月の姿で降臨したとも伝えられています。
一八八九年(明治22年)、熊野川の大洪水によって建建物が倒壊しましたが、辛うじて倒壊を免れた上四社(三棟)を北西の丘陵に遷し、倒壊した中社・下杜と摂末社の神々を二基の石祠それぞれに祀(まつ)りました。
左図の江戸時代に描かれた「熊野本宮并諸末社図絵」から、かつての一万坪を超える境内の概要がうかがえます。
一番大きな川が熊野川であり、左方より流れ込んでいるのが岩田川、大きく蛇行した後、街並みに並行して流れているのが音無川です。森に囲まれた中洲中央には、横一列に並ぶ十二柱の神々を祀る社殿と上神楽所、その前には大きな礼殿がみえます。礼殿の前の大釜は、現存する「伝源頼朝寄進鉄湯釜」(宝物殿展示)です。これらを囲む形で門を設えた塀が廻り、その外には幾棟もの摂末社が立ち並び、宝蔵・文庫・神馬舎・能舞台どが散在しています。
街並みから音無川を越えて境内へ入る箇所に太鼓橋(高橋)が架かっています。江戸時代までは橋が無かった為に、参詣者は川を渡り足を濡らさなければ境内に入れませんでした。
これを「濡藁沓(ぬれわらくつ)の入堂」といい、全ての参詣者が自然に身を清める禊(みそぎ)をしたわけです。
下流の三川合流地点には船着場がみえよすが、ここが新宮へと向かう「川の参詣道」の出発点でした。
旧社地「大斎原(おおゆのはら)」
ここは、大斎原と称して熊野本宮大社の旧社地です。明治二十二年夏、熊野川未曾有の大洪水にて、上、中、下各四社の内、上四社を除く中下社の八社殿二棟が非常なる災害を蒙り、明治二十四年、現在地(ここより西方700mの高台)に御遷座申し上げ、今日に至っております。中四社、下四社並びに摂末社の御神霊は、ここ太斎原に、仮に石祠二殿を造営し、左に、中、下各四社を、右に、元境内摂末社(八咫烏神社・音無天神社・高倉下神社・海神社 他)をお祀りしています。
中四社
第五殿 忍穂耳命(おしほみみのみこと)
第六殿 瓊々杵尊 (ににぎのみこと)
第七殿 彦穂々出命(ひこほほでみのみこと)
第八殿 鸕鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
下四社
第九殿 軻遇突智命(かくつちのみこと) 火の神
第十殿 埴山姫命(はにやまひめのみこと) 土の神
第十一殿 弥都波能売命(みづはのめのみこと) 水の神
第十二殿 稚産霊命(わくむすびのみこと)
世界人類が平和でありますように
May peace prevail on Earth
一遍上人神勅名号碑
一遍上人は伊予国の豪族河野通広の第二子として、延応元年紀元一八九九年道後に誕生し童にして佛門に入り幼名松寿丸ついて随緑のち、智真と改名苦修練行すること多年学解進み浄教の奥旨を極めたが猶意満たざるものあり諸国の名社聖佛に巡礼して祈誓し最後に文永十一年紀元一九三四年熊野本宮証誠殿に祈念し百日の参籠の誠を捧げ大神の霊告を感得してその證成を受け、遂に獨一念佛(独一念仏)を開顕し熊野の本地は弥陀の信仰より
之を弥陀直授の神勅相承と呼ばれる。之上人成道の聖節にして名を改めて一遍と稱し遊行賦算を本宮より始め南は鹿児島北は陸中岩手まで四十ヶ国に及ひ悩める者を助け病める者を救ひ民衆に和と慈愛の心を説き社会福祉社会教化につとめ神勅遊行賦算の途正応二年紀元一九四九年齢五十一才にして神戸兵庫に於て身に唯衣一つにて往生せらる。わが化導は一期はかりそと言はれ自坊もなく宗派を形成することもなく遷化され後世時宗の開祖とならる。時宗獨一念仏開顕の源泉たる熊野本宮の聖地に一遍上人の聖徳を偲ひ今日上人真筆の名号碑を建立
熊野大神の御神意を敬仰し念佛の衆徒を初め信不信を問はす謹みて神勅獨一念佛の功徳を念願するものなり 敬白
昭和四拾六年四月拾四日
熊野別当三十四代 九鬼宗隆撰
永田鱗谷書
一遍
遊行賦算
遊行: 布教のために定住せず各地を巡り歩くこと
賦算: 布教のために念仏札を出会う人々にくばること
旧社地大斎原の「南無阿弥陀仏名号碑(一遍上人の真筆)」
「弥」の字の弓偏(ゆみへん)が印象的です!!
大斎原のすぐ近くを流れる熊野川
古来、この川で天然の禊ぎ(みそぎ)をして、人々は熊野本宮大社にお詣りしたそうです。
この河原、やけに神秘的な感じがします。神聖な川ということがすぐに分かります(=直感的にわかる)。
川の参詣道「熊野川」。和歌山県と三重県境を流れる世界遺産。
熊野川河川敷から見た大斎原(おおゆのはら)の大鳥居
石積み
「大斎原の自然を守ってください」
この地は世界遺産のコアゾーンに該当し、動植物や朽ち木・倒木に至るまで採取するなどの行為は、文化財保護法違反にあたり罰せられる可能性があります。
文化庁・和歌山県・熊野本宮大社
日本第一大鳥居建立の意義
人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神・魂)の復活を祈念することであります。
神代の時代、素戔嗚尊(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名づけられました。
皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論の事、この節目の始めに当たり「日本人の精神(心)の蘇り、日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さを再認識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく、大斎原を発信基地として、熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が神と自然と人が共にある様、皇紀二六六一年、熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は、平成十二年五月十一日です。
(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル
日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や素戔嗚尊を祭るここ本宮(熊野)、大国主尊を祭る大社(出雲)を始め、たくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること、つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。
熊野本宮大社御札 新規御札 木魂(木霊/こだま)について
本宮の主祭神素戔嗚尊は木の神で、和歌山県・紀伊の国は木の国。ここ熊野の大自然の恵みや、神の尊い御魂が宿っているとされる杉の木を使って御札を調整し、御参拝の皆様にお頒ちするのが、御神意に添うことになるのではないかと考え、新たな御札を調整し木魂(木霊/こだま)と名付けました。
この御札は地元に生育した杉の木で、その中でも間伐材といわれる規格外として市場に出ることのなかった部分を使用し、木の白い部分以外の赤い部分や、節の部分もそのままに調整しています。一つとして同じ外観のものが存在しないものです。
神道においては、神は土地ごとに存在して、その区域を治め、その土地での稲の恵みをはじめ、様々な自然の恵みをもたらして下さいます。あらゆる存在がその個性を生かしきり、調和し、永遠に発展していくことこそが神道の原点であります。
この試みが、熊野の森を守り育て、述いては地球環境保護(エコロジー)の一端となれば幸いです。
熊野修験
遊行に向かう一遍上人のようです 僕の姿は
熊野本宮大社(末社)
産田社(うぶたしゃ)
御祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと 荒魂/あらみたま)
女性の守り神
産守り
八百万の神々を始め、総てを産みだされた産土(うぶすな)の神と仰がれる産田社に鎮まります伊弉冉尊(いざなみのみこと)の荒御魂の御力を受けられる「産守り」は、熊野本宮大社でお頒かちしております。
本宮大社前 バス停(バスのりば)
10th Anniversary World Heritage
Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
紀伊田辺、紀南病院行き。このバスに乗って、宿泊する湯の峰温泉へ帰ります。
龍神バス since 1927(since 昭和2年)
満員で~す
熊野牛王符(くまのごおうふ)、カラス文字超カッコイイ!
本宮の牛王はカラスが 88羽描かれています。皆さん、本当に 88羽いるか数えてみてください。それからこのカラス文字読めますか?「熊野山宝印」と書かれているそうです。確かに目を凝らして見ると、右上の文字は「熊」の字に見えますよね~w
龍神バスの「湯峰温泉」バスのりばに到着~
バス行っちゃいました。ああ、今日一日よく歩いた、よく歩いた!!
▼今回の熊野・大阪旅行
- 熊野古道1: 美しき紀の国(木の国)!紀伊半島を空中から眺める。和歌山到着。
- 熊野古道2: 南紀白浜空港から日本最古の温泉地・湯の峰温泉へ移動
- 熊野古道3: 赤木越え(湯の峰温泉→赤木越分岐/船玉神社)で "熊野詣で" スタート!
- 熊野古道4: 中辺路を歩く(船玉神社~"熊野本宮大社の神域の入口" 発心門王子)
- 熊野古道5: 中辺路ラストスパート(発心門王子~熊野本宮大社)
- 熊野古道6: 熊野本宮大社!一遍上人「熊野成道」の現場・大斎原、熊野川へ
- 熊野古道7: 日本最古の湯・和歌山県湯の峰温泉で世界遺産「つぼ湯」に浸かる
- 熊野古道8: 小栗判官の車塚、きらめく聖なる熊野川、北山川
- 熊野古道9: 日本最古の神社「花の窟(いわや)神社」と光り輝く熊野灘
- 熊野古道10: "空青し山青し海青し" 新宮市の熊野速玉大社(新宮)へ
- 熊野古道11: 神倉神社(神倉山)の鎌倉式石段、ゴトビキ岩、お灯祭り
- 熊野古道12: 荘厳な大門坂、熊野古道の代表的景観を歩く
- 熊野古道13: 赤松一刀彫り・木彫り八咫烏と那智大社・青岸渡寺
- 熊野古道14: "神の滝" 那智の滝は世界遺産!落差日本一!日本三名瀑!
- 熊野古道15: 補陀洛渡海最大の聖地・補陀洛山寺へ
- 熊野古道16: 那智~白浜~特急くろしおで大阪・天王寺へ
- 大阪: 天王寺駅前のカプセルホテルに泊まる(アーベイ天王寺ホテル)
- ディープな大阪・西成: ドヤ街潜入!"日本で唯一暴動がおこる街" あいりん地区(釜ヶ崎)へ
- ディープな西成区: 「はよ 死に神来んかいな?」 自由気まま、でも死にたいおじさんとの会話
- 大阪: 四天王寺 - 一遍上人が「賦算(人々に念仏札を配る)」を開始したお寺
(関連記事)
- 五来重「熊野詣 三山信仰と文化」再読で "死者の国" 熊野古道行きに備える
- 栗田勇著 一遍上人愛蔵本: 捨ててこそ生きる 一遍 遊行上人
- 梅原猛の仏教の授業 法然 親鸞 一遍 "すべての人は必ず救われる!"
- 柳宗悦 晩年の最高傑作「南無阿弥陀仏」を読み、浄土思想=他力道を学ぶ。
- 「熊野古道を歩く」- 世界遺産・熊野古道 今度こそ中辺路歩いてきます
- 日本経済新聞 美の美 「踊るひじり 一遍」が素晴らしかった
- 世界文化遺産 高野山・金剛峯寺と壇場伽藍(壇上伽藍)へ
- 宗教都市・世界文化遺産 高野山の奥之院(奥の院)へ
- お伊勢参り:伊勢神宮 内宮(ないくう)を参拝 …皇大神宮
- お伊勢参り:伊勢神宮 外宮(げくう)を参拝 …豊受大神宮
(関連サイト)
- 熊野本宮大社 公式ホームページ
- 熊野速玉大社 公式サイト
- 熊野那智大社 那智の瀧(那智の滝) 公式ホームページ
- 熊野本宮観光協会
- 新宮市観光協会
- 那智勝浦町観光協会
- 熊野古道|紀伊山地の霊場と参詣道
- 和歌山県世界遺産センター(和歌山県世界遺産協議会)
- 世界遺産熊野古道伊勢路(三重県庁)
- 田辺市熊野ツーリズムビューロー
- 熊野大辞典
- Mi-Kumano 世界遺産熊野古道のガイド
- 聖地熊野を核とした癒しと蘇りの観光圏協議会
- 熊野で健康.com
- 南紀エリア観光推進実行委員会
- 熊野古道 - Wikipedia
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