仏像よりも生身の肉体。生身の人間こそが本当の仏さま
常不軽菩薩のように。仏像ではなく、老若男女・今現世で生きている人間そのものを僕は合掌礼拝します♪♪
さようなら仏像たち
ちょうど去年の今頃、生涯の一仏に出会う。と銘打った土門拳の本にめぐり合いました。この 1年間、たくさんの仏像にめぐり合ったのですが、仏像はやっぱり木でしかない、仏像は結局単なる彫像でしかないという気持ちになっています
仏像よりも生身の肉体。像よりも肉なんです
彫刻よりも今生きている人間こそが仏さまなんです!
そういう考えにあっという間に落ちつきました
もちろん仏像は仏像ですばらしいんで、機会があれば拝みますが、僕は生身の人間に合掌し、生身の人間を拝む生涯をこれから送ります!!!!
まっコレ、実際やるとなるとすっごく難しいんですけど、、、笑
嫌な人、苦手な人、怖い人、汚い人、無気力な人、無礼な人、意地悪な人、ひねくれた人、性格悪い人、嘘をつく人、犯罪を犯した人、自分勝手な人、人を憎む人などなどなどなど
常不軽菩薩のようになるのなら、こういう人たちも差別せず平等に拝まなければならないんですよ!
コレ絶対無理なのでは、、、
っていうか、無理無理
どう考えても無理無理無理無理無理、、、、、
理想社会や宗教的な物差しを使わないとできないよ、、、
現実社会の物差しじゃ絶対できないよ
下記は良寛さんが常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)だったのでは?という竹村牧男さんの文章です
会う人ごとに、あなたは仏になるべき方です。 と言って礼拝・合掌してやまなかったという常不軽菩薩のことを説く「常不軽菩薩品」を、良寛はもっとも愛していたのではないか、と推察する。良寛の「法華経」を一言でいえば、あらゆる人々に対する合掌・礼拝行ということになるのではないかと思うのである。
<中略>
いったい良寛は「法華経」の何品にもっとも共感を懐いていたのであろうか。私はそれは、「常不軽菩薩品」ではなかったかと思っている。会う人ごとに、あなたは仏になる方ですと、合掌礼拝したという菩薩を描く品である。良寛は「法華讃」には、「朝に礼拝を行じ暮にも礼拝す、但だ礼拝を行じて此の身を送る、南無帰命常不軽、天上天下唯だ一人のみ」 などの讃を示し、また和歌にも「比丘はただ万事はいらず常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける」と詠った。思えば、良寛は道ばたで子どもらと遊んだり、農夫らとあぜ道で酒を酌み交わしたりする中で、実は一人一人に、合掌礼拝行をひそかに行じつつ相手の幸せを祈っていたのに違いないと思われるのである。
NHKこころの時代 - 宗教・人生 日本仏教のあゆみ~信と行「法華思想の開花」 より引用
ああ、わかった!
こういうことなんですよね、こういうこと!
こういうことなんですよ!!
良寛さんは目の前の一人一人に、合掌礼拝して相手の幸せを祈っていたんです
そういうことなんです!!!!!
どんな人に対しても、幸せを祈ればいいんだね
わかった!わかった!!
50代半ばで突然僕に訪れた観仏ブーム、これで完全に終わりました
残り数十年、世間のただ中にあって何千人、何万人という人間たちを合掌礼拝していきます
人間は神様や仏様を拝む存在である以上に、神様や仏様から拝まれる存在なのです
肉体こそ浄く、真っ赤な血潮流れる生身こそが尊いのです!
皆さん、仏像よりも生身の肉体ですよ
仏さまなんですよ、生きているあなたこそが
あなたは宝物なんですよ!
僕もあなたも宝物なんです!!
常不軽菩薩について知れば知るほど、そう思えます
人間ってすばらしい!
僕もあなたもすばらしい!!
この世は百花繚乱のすばらしい世界♪♪
みんな人間、あなた宝物~☆
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