負ける価値 - 叩かれて 叩かれて成る 日本刀 若き武者にぞ 負ける価値あり
昭和60年7月16日、祖父・村内村雄が "若武者" 村内伸弘に贈った励ましの色紙、励ましの短歌。
為伸弘
叩(たた)かれて
叩かれて成る
日本刀
若き武者にぞ
負ける価値あり
昭和六十年七月十六日
村内村雄
昭和60年(1985年)7月、僕が高校野球の西東京大会初戦であっけなく負けた時、おじいちゃんが僕にくれた色紙です。
"負ける価値"
あんまり聞いたことがない言葉ですけど、あれから 35年が過ぎ、この色紙を見ると確かに "負け"から学んだことも多いし、あの"負け"の悔しさやみじめさが自分の生きる糧になっているんだな~とも感じるので、この歌は 35年もの間、僕を鼓舞し続けてくれたんだと思います。
僕も齢 52を数え、そろそろ切れ味鋭い日本刀になれたのでしょうか?
それともまだ叩かれ叩かれが続くんでしょうか? 笑
うーーん、まだまだズッと叩かれ続けそうですねぇー
人生は厳しいです!
わっはっはw
創立100周年記念誌「湧水万古」 / 東京都立南多摩高等学校
「何ものにも代えがたい宝物 昭和61年卒 村内 伸弘」
「雲は湧き光あふれて 天高く純白の球 今日ぞ飛ぶ 若人よいざ まなじりは歓呼にこたえ いさぎよし微笑む希望 ああ栄冠は君に輝く♪」
最近、白球を追いかけていたあの頃が妙に懐かしく思えます。目を閉じると仲間といっしょに甲子園を目指したあの頃がほろ苦く、そしてうつくしく思い出されるのです。
母校・南多摩高校の創立100周年に寄せて、野球一色だった僕の南高時代を振り返ってみたいと思います。
昭和58年4月、南高は満開のさくらで僕たちを迎えてくれました。ただただ野球がやりたい気持ちでいっぱいだった僕は、憧れの高校球児になるため、すぐに野球部へ入りました。夏の甲子園予選で十数年連続初戦敗退を記録していた当時の野球部は「出ると負け」の状態。それでも僕たちは先輩や仲間と一緒に練習に明け暮れました。
中学でサッカーをやっていた僕は本格的な野球の経験がなかったために最初は戸惑いもありましたが、練習を重ねだんだんと野球がうまくなっていくことに喜びもあり、なによりも大好きな野球を毎日やれることが本当にうれしく、充実した楽しい日々を送ることができました。
春、さくら舞う中でのキャッチボール。
夏、練習で乾ききった喉を潤してくれる水のおいしさ。
秋、銀杏(ぎんなん)の匂い漂う中でのうさぎ跳び。
冬、凍てつく寒さの中、多摩御陵までのランニング。
今は取り壊されてしまった部室でみんなと一緒に騒いだり、笑いあったりもしました。
時はまたたく間に過ぎ、3年の夏の大会。
運命の昭和60(1985)年 7月16日、八王子市民球場。
南多摩高 2対12 国分寺高。
5回コールドゲーム。
ストライクがなかなか入りませんでした。
先発した僕のせいでなんと初回に 9点を取られてしまいアッという間に試合が終わりました、僕たちの高校野球も終わり、甲子園は夢の彼方へと消えていきました。
真剣に打ち込んできた分だけ、この負け方には悔しさや情けなさ、これですべてが終わったという開放感とが混じり合って泣けてきました。試合終了後、市民球場の裏で泣きじゃくりました。輪になってみんなで男泣きに泣きました。
人生も半ばを迎えつつある今振り返ると、あんなにも純粋で清らかな涙を流せたことが
僕たちの一生にとって何ものにも代えがたい宝物なんだったんだと実感しています。
初戦突破や甲子園出場という夢が叶ってしまうよりは人生が思う通りにいかないということを 17の時に知ったほうが良かった? 17才には栄光よりも挫折が似合うのかも・・・
そんな風にも思っています。
夏の大会のあと、祖父・村雄と父・壽一がくれた色紙が今もこころに残っています。
為伸弘
叩かれて叩かれて成る日本刀
若き武者にぞ 負ける価値あり 村雄
先発で投げる伸弘ガンバレと
球場の空 仰ぎて言わん 父
小沢監督、藤田、菅原、井島、工藤、権藤、山添、斉藤、亀井、矢吹、梅沢マネージャー。
昭和61年卒の野球部仲間とは毎年12月30日に横関先輩の小料理屋に集まります、このたった 3年間のことを肴に酒を酌み交わします。僕たちにとって、南高野球部での 3年間はキラキラと輝いて、いつまでもみずみずしいまま色褪せないたいせつな思い出なのです。
そんな僕たち野球部を温かく見守ってくれた母校・南多摩。そして尊敬する先生たち、信じあえる同級生たち。
南高生でよかった!
ありがとう南高、ありがとう南高野球部!!
美わしき八王子、わが産土。
創立100周年、本当におめでとうございました。
(おまけ)昭和58年(1983年)4月29日
八十二才の 天皇の 参賀にいゆくとふ 十五才男子の 背高し
伸弘午前4時半に起してくれと祖母なる我が妻に云えりと。即ち定刻に起す。天皇誕生日の参賀は 8時30分よりとか、伸弘の自発的願望に われ 大和民族の血を憶ゆ
僕が生まれて初めて天皇誕生日(当時は昭和天皇)に皇居の一般参賀に行った時のことが、原稿用紙に書かれて残っていました。
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