世田谷のボロ市は日本最大級のフリマ&蚤の市!まさに「市」でした
天正6年/1578年から続く東京都無形民俗文化財 世田谷ボロ市のレポート
祝 ようこそボロ市へ
伝統、天正6年(1578年)より せたがやボロ市保存会
東京都無形民俗文化財 世田谷のボロ市
ボロ市で買った昭和初期の大原女の絵はがき
令和2年(2020年) 1月15日 村内伸弘撮影
「ボロ市」という長い歴史を持つ市があるという情報をムラゴンで得て、僕も行ってきました!
東京の世田谷のボロ市です!
八王子からですと京王線に乗って、下高井戸駅で下車。下高井戸駅から東急世田谷線で向かう形です。
それでは出発~☆
下高井戸駅に入ってきた東急世田谷線(三軒茶屋行き)
「ボロ市」会場近くの上町駅に向かって出発進行~♪♪
ラッキー!招き猫の顔した世田谷線とすれ違いました(^^)/
世田谷線はボロ市開催に伴い臨時ダイヤで運転します
臨時ダイヤです。ボロ市会場が近くなるにつれて気分がグングン盛り上がりますっ
ボロ市に行くには上町駅か世田谷駅で下車します
僕は上町(かみまち)で下ります
車内の世田谷線の路線図の一部
あの松陰神社という駅名も左側に見えます
世田谷線車内の駒澤大学の宣伝
築地本願寺 和田堀廟所の宣伝
世田谷のボロ市は毎年 12月15日、16日、1月15日、16日の 4日間と開催の日にちが決まっています。
都会でも下町でもない、居心地のいい東京です。
東京のふるさと、世田谷線
玉電のデザイン
玉電=玉川電車、東急玉川線
あっ!さっき見かけた招き猫電車はこれだ~
玉電110周年記念 幸福の招き猫電車のポスター
上町駅で下車し、徒歩でボロ市に向かいます
ボロ市のエリアにすぐに入ったようです
小雨が降ったりやんだりなのに、そしてまだ朝早いのにすでにこんな人出です
ボロ市通りの両脇にいろいろな出店が出ています
おそば屋さんもボロ市特別メニューでがんばっているみたいです(^^)
まずはメインストリートの第1会場ではなく、世田谷通り沿いの場末の第2会場に向かってみます
ボロ市の提灯
ボロ市 第2会場
430年の伝統のボロ市だって~
第2会場 世田谷通り沿いのエリアもこんな感じの混み具合
でもお店の人に聞いたら、これじゃあ人出少ないよって言ってました。ぜんぜんいないとも言ってました(笑)
雨が降っていなかったら、この 2倍とか 3倍の人でこの狭い通りは身動きがとれなくなるそうですw
ある意味、雨でよかったのかもしれません。はっはっは
骨董品や雑貨などとにかくいろんなモノが売ってます
うわーっ!この電子野球盤!!昔、僕持ってた!!!!!!
LSIスタジアム!!再会めちゃくちゃうれしいです!!
3000円なので、衝動買いしようと思いましたがなんとか我慢しましたw
僕が持っていたやつはいつどうやって手放したんだろう。。。
もう40年も前の話なので思い出せない。
でも、この野球ゲームで遊んだことはハッキリと覚えています!!
味わいのある街角の木
ようこそボロ市へ(世田谷通り側から第2会場を見た様子)
天正6年(1578年)よりだって
天正6年(1578年)って織田信長がまだ生きていた年ですーーっ
上杉謙信が死んだ年~~(笑)
ボロ市、すごい歴史と伝統ですね!
それにしても所狭しといろいろなモノが売ってます。見ているだけで楽しいです!!
ショッピングって本来こういう楽しいモノなんですよね。ネット通販でポチって購入ボタンを押すのとはまた違った買い物の楽しさを感じます。
ボロ市バンザ~イ☆
第1会場(ボロ市通りのメインエリア)に戻ります
おしゃれなグリーンの壁
ボロ市の記念切手も売ってました
ビビビビビビ・・・!
僕のアンテナはこの古い絵葉書に反応しました!!
京都名物 大原女(おはらめ)の姿
めっちゃかわいいです♪♪
この娘(こ) 令和に生まれ変わったら、間違いなくアイドルです!
はい!衝動買いしちゃいました(笑)
僕がボロ市で衝動買いした昭和初期の絵葉書
京都から山形県東田川郡押切村に宛てたはがきで昭和10年(1935年)2月17日の消印がありました。
この元祖中国おやきにも僕のアンテナは反応~~w
元祖中国おやき シャーピン
シャーピン、おいしー!
ボロ市通りを歩きます
ボロ市通りの脇道
雨がまだ降ってたのですが軒先で焼いていたチヂミにも僕は反応~
韓国チヂミもおいしかった~
神棚や仏壇も売ってます
ほんといろんなモノが売っています
ここは屋台よりも後ろの「ハイウルソ顆粒」という屋根の上の看板が目に入りました
この出店も気になりました
さりげなく咲いている写真右上のさざんかもキレイです!
法務省主唱 社会を明るくする運動 防ごう非行・助けよう立直り
ブルースティック・刑務作業品 世田谷区保護司会
売上げの一部は受刑者の立ち直りと地域の更生保護理解に使用させていただきます
上町天祖神社(かみまちてんそじんじゃ)
ボロ市通りからつながる神社の境内にも市が立っていました
植木や盆栽など植物たちが多いようです
小鳥たちを呼び寄せるためのモノみたいです
上町天祖神社の境内
おーーっ
大行列を発見~~~ん
ボロ市名物代官餅の行列でした
ボロ市名物代官餅
「代官餅」のこれまで
94年の歴史ある「桜栄会商店会」の第7代商店会長が、昭和48年(1972年)にボロ市に出店できないお店、例えば、畳屋、床屋、治療院などの店主に 「お餅を売るので集まれ」と声をかけ、代宮屋敷内の駐車場で販売をはじめたことがきっかけとなり、 「代官餅」が誕生しました。
今でも実際に臼と杵で 20回以上つくことで、のびのいい美味しいお餅に仕上げています。
近年ではテレビなどでも取り上げられ、多くのお客様が朝から行列を作っています。
「代官餅」が誕生して 46年、ボロ市では多くのお客様に愛されています。
ふれあいひろばより引用
代官餅ってこんな感じみたいです
からみ、あんこ、キナコ
うおーーっ、食べたい~
でも、雨の中並ぶのはいやなので、今回はパスします。
境内の出店の人によると、晴れている日はこの 3倍は並ぶそうです(爆笑)
来た道を戻って、メインストリートに戻ります
途中、柿星人の僕はこの自家製市田柿につかまりました
1袋購入~
自宅で食べたらメチャクチャ甘くっておいしかったです!市田柿最高~☆
参道脇はもはや宝探し状態w ヘップバーンもびっくり~(^^)
ボロ市通りに戻ってもほらこの通り、いろいろなモノが並んでいます
ボロ市のパンフレットをもらいました
ボロ市のはじまり
ボロ市のはじまりは、遠く四百四十年の昔に開かれた楽市にさかのぼります。当時関東地方を支配していた小田原城主北条氏政は、世田谷城主吉良氏朝の城下町である世田谷新宿に、天正6年(1578年)に楽市を開きました。楽市というのは、市場税を一切免除して自由な行商販売をみとめるというもので、毎月 1の日と6の日に月6回開いていたので六斎市ともいいました。当時世田谷は江戸と小田原を結ぶ相州街道の重要な地点として栄えていました。この市により、これらの地方の物資の交流はいっそう活発になり、江戸と南関東を結ぶ中間市場としてかなり繁栄したであろうと思われます。
ところがこのような賑わいも、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、徳川家康が江戸に幕府を開くにおよんで急速に衰えていきました。世田谷城が廃止され、世田谷新宿が城下町としての存在意義を失い、楽市はなくなりましたが、その伝統は根強くつづけられ、近郷の農村の需要をみたす農具市・古着市・正月用品市として毎年 12月15日に開かれる歳の市として長く保たれたのです。明治の世になって新暦が使われてから正月15日にも開かれ、やがて 12月15日、16日の両日、正月にも15、16日両日開かれるようになり現在に至っています。
ボロ市の名の由来
戦国時代に楽市として世田谷新宿に開かれた市は、徳川時代になって市町という名のもとに開かれていましたが、後に農家の作業者のつくろいや、草鞋(わらじ)に編みこむボロが安く売られるようになって、いつとはなしにボロ市の名が生まれました。
ふるさと物産展
岩手県産ふじの山積み!
いちご大福
これも買って食べました。ボロ市に来ているんですが、結局いつものようにグルメツアーに。。。笑
世田谷代官屋敷
入りたかったんですが、ボロ市の品々が面白すぎて見切れない感じだったので、今回はパスして露店まわりを続けます。
復興支援ということで銚子など千葉の方々も来ていました
銚電(銚子電鉄)のまずい棒が売ってました!!
30数年前僕が高校の時、うまい棒のことをみんなで「まずい棒」とか言いながら食べていたんですが、まさか本当に商品化されるとは~www
代官餅の行列、最後尾
もう何でもあり
歩いているだけで心がウキウキしてきます
すごい数のまな板!
「長崎発」という言葉に僕のアンテナまたまた反応ーっ
あつあっつ 長崎発 元祖鰯のげんこつ
行列ができていて、有名店っぽい感じです
長崎LOVEな僕はもちろんこの行列に並びました
いただきま~す
うまいうまい!コレ最高にうまい!!!!
ボロ市すばらしいです!!
12月15日、16日、1月15日、16日の 4日間、
来年はあなたもぜひボロ市へ~~
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ボロ市の由来。世田谷のボロ市から楽天本社がある二子玉川へ
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