ならまち散策は情緒タップリ!奈良県奈良市、都が奈良にあった時代の道筋を探検
奈良町観光は散策に限る。そぞろ歩きに限る。この古い街並みを見ながらブラブラブラブラ歩き回るに限る。
ならまちの古い街並み
献燈 阿字万字町(あぜまめちょう)
身代わり申(みがわりさる)
平成30年(2018年)10月12日 村内伸弘撮影
ならまち格子の家を見たので、あとはならまちの中を散策しながらさまよってみたいと思います。いつも書いてますが、街ってさまようためにあるんです。特にならまちのように古い街や狭い路地はなおさらです。
奈良町とは?
奈良の旧市街地は京都・金沢と並び、太平洋戦争の戦災をまぬがれ、古き良き日本人の生活風景を残す、全国でも希少な町です。
その歴史は奈良時代(710年~)に平城京の外京として整備されたことに始まります。794年の平安京遷都の後、平城京の多くは風化しましたが、外京は国家鎮護の仏教寺院を多く有していたため、町を維持することができました。
その旧市街地の南側4分の1程度が、元興寺の旧境内を中心とした「ならまち」界隈です。
江戸中期には猿沢池界隈が「お伊勢参り」の宿場町として栄え、明治~昭和時代には奈良の商業の中心地となります。しかし戦後になると、近鉄奈良駅周辺の発展とともに地域は徐々に落ち着いていきます。
閑静な住宅地に変貌した1980年代に、当時の20代の若者が中心となって「まちづくり」が始まり、現在の訪客の絶えない町に至ります。
ならまち情報サイトより引用
さあ、さまよいますよー 皆さんもご一緒にー(^^)
重要文化財 藤岡家住宅
これ郵便受けですよね!?味があり過ぎるw
藤岡家住宅は江戸時代後期の建築のようです。戦災で焼けなかったというのは本当にすごいことなんですね!僕が住む東京都八王子市は空襲で丸焼けになりましたからなおさらそう感じます。
ならまち散策たのしいです!
今日はどこかでお祭りもあるようです
平成の世とは思えないタイムスリップ感!ならまち、さすが!!
砂糖傳増尾商店(奈良市元興寺町)
安政元年の創業!
ってことは創業 160年以上経ってるぅー!
砂糖傳増尾商店の名前の由来
安政元年、増尾傳次郎は現在の元興寺町に大和茶の店を開きました。
大和名産の茶の味を、少しでも多くの人々に知っていただきたいと、木津から船に積んで大阪や堺等へ卸に行くうち、戻り船が空で帰るのは勿体無いと、当時貴重品であった沖縄の黒糖、阿波の白下や和三盆を積んで帰って商うようになりました。
砂糖がまだ珍しい時代でしたので、誰言うことなく、「砂糖屋の傳次郎で砂糖傳だ」 と呼ばれ、可愛がって頂く様になりました。そこで安政5年に屋号も正式に「砂糖傳」と定めました。
奈良は社寺仏閣が多く、貴賓の訪れも多かったので、お菓子屋さんは腕を磨き研讚を重ねておられました。ですので良質の砂糖は大変喜ばれ、また一般消費者からも「砂糖傳」と可愛がって頂き、今日に至っております。
砂糖傅ホームページより引用
砂糖屋の傳次郎!で「砂糖傳」、微笑ましいネーミングですね
わらべうたフェスタ、奈良クロスオーバー、奈良クラブなどの貼り紙
元興寺郵便局
奈良の地酒が勢揃い
この健康美人酒「乳華(にゅうか)」ってうまそう!!
シルクロードロマン香るミルクの御酒だって、100円で利き酒できるって~
古代大和はミルク文化発祥の地
古代酪農は、シルクロードを通じここに伝来しました。仏典「涅槃教(ねはんきょう)」に「牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥(しょうそ)を出し、生酥より熟味を出し、熟味より醍醐を出す・・」とあります。
大和の地に今、白いミルクのお酒誕生
1階の屋根の上にご注目!
鍾馗(しょうき)さん
京町屋で見かけた鍾馗さん、奈良にもいらっしゃいました。
ちょっと歩くと面白い建築、ちょっと歩くと面白いモノ。ならまち散歩は歩けば歩くほどたのしくなってきます。
絶対、昭和。平成じゃない 笑
でも、すっごいステキ☆
御霊神社到着~ぅ
御霊神社(ごりょうじんじゃ)- 奈良県奈良市薬師堂町24番地
御霊神社(ごりょうじんじゃ)御由緒
当神社は延暦19年(800年)人皇第五十代 桓武天皇の勅命により御創祀された社であります。
宝亀6年(775年)聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后井上内親王は政権争いに巻き込まれ、無実の罪により、御子他戸親王とともに宇智郷(五倏市)に幽閉されたのち薨去されました。その後、都や桓武天皇東宮に怪しき事が度々あり、絵企業が流行したことから諸国の国分寺に金剛般若経の読経をさせ、墳墓を改葬して山陵とし、吉野皇太后の追号を贈られて霊を篤く慰められた。
悲運のうちに亡くなった人の霊魂に対し畏怖の念を抱き、その霊を祀り、その威力によって災厄をのがれようとする御霊信仰が生まれました。当時、奈良の町に通じる 3つの街道があり、上つ道に早良親王、中つ道に井上皇后、下つ道に他戸親王の御霊を祀り、疫病を封じ平穏を祈る御霊会が営まれ、町の守護神として五條本宮より遷祀されたのが当社のはじまりであります。
すごい古いです!
約1250年前のできごとがサラっと書かれています。
すごいですね、奈良町は!!!!
めちゃくちゃ古いですよ、この神社!!
ちょうど御霊神社は秋祭り(例大祭)のようでした。
こじんまりした縁日も準備されていました。
実にいい感じです(^^)
1200年以上も人々を守ってきた神社、1200年以上も人々に守られてきた神社。奈良はうつくしいです。本当にうつくしいです。
宮司さんも忙しそうです(^^)
灯明に書かれた町名、それぞれ味がありますよっ
阿字万字町とか読めないでしょ 笑
阿字万字町は「あぜまめちょう」って読むようです!
福引き抽選会もあるようです♪♪
天岩戸開之図 江戸期 版本 神宮文庫所蔵
御霊神社 例大祭
稚児行列も明日 10月13日にあるようです。
見たいな~
でも、明日はもう八王子に帰ってますから、また次回!
ああ、奈良に住みたいな~~
奈良に住んでこういう街に溶け込んでみたいな~
はっはっはっ、桓武天皇勅願所ですからね!最澄とか空海の頃の天皇陛下です!古い~ 笑
そろそろ宵宮祭が始まるようです。
残念ですが、僕はならまち散策を続け、そして八王子へ今晩帰りますのでこの由緒ある古い神社とお別れです。
ならまち観光案内図
こういう青果店が残っているのも嬉しいです♪♪
格子戸と犬矢来
焼杉板
ならまちはホント古い。情緒たっぷり。風情たっぷり。
寧屋工房(奈良市芝新屋町)
外人さん、絶対僕より興奮してますよ。こんな街並み世界中見渡してもほとんどないですから!
赤膚焼
陶芸家の武田高明さんという方のお店のようです
裏千家の茶道教室
中嶋商店というお米屋さん
素敵過ぎる入れ物!!
(左)北海道産 新大正金時豆 (中)北海道産 新鶴の子大豆 (右)北海道産 新大納言小豆
吉田蚊帳(よしだかや/奈良市芝新屋町) 大正10年創業の蚊帳屋さん
吉田蚊帳
奈良特産の蚊帳生地で1枚ずつ作ってるカラフルな「ならまちふきん」というふきんや蚊帳生地が人気らしいです。さすがに今の日本じゃ蚊帳(かや)そのものは売れないですもんネ~ 笑
上の写真の細い道を進むと世界遺産の元興寺(がんごうじ)ですが、今回は反対の道を進みます。
右から文字が書かれた看板を発見~ん
昔、薬局を営んでいたようです
角の窓が街角のたばこ屋さんみたいか感じですよね。やっぱりここは薬局だったんです!
地元の中学生(高校生)たちが通りました
菊岡漢方薬局(奈良市中新屋町)
ここもスゴイ!元暦元年(1184年)頃から薬を扱っているようです!!!!
菊岡家の起源
菊岡家は、もと藤原氏の系。
800年程前、平安時代の末、清和源氏権勢最も盛んであった朝日将軍木曽義仲公の室 栄松院殿は、世の多くの病人を憐れみ妙薬を求められました。当時、学徳の誉高い唐馬騰氏に薬学を学び、特に伝授された漢方薬を当家に伝えられました。
元暦元年正月、義仲公は江州栗津ヶ原に討たれ、栄松院殿は、淨源、叡尊の二子をつれて、大和国白土に居城した白土家に逃れ、淨源は白土家の名跡を継ぎました。
室町時代永正年間に、白土法眼胤英は、菊花を愛し、後柏原天皇に献上いたしましたところ、御感非常に深く、その賞として菊岡の姓と裏菊の紋を賜り、以後白土を菊岡と改めました。
それより前文明12年に三条通りに居を移し、朝廷より都官府衆徒の重職に任ぜられ、代々春日大社、興福寺の守護と、奈良の町の治安とに当たってきました。その傍ら薬学を研究し、多くの病人に施薬しては、難病に苦しむ人達を救い、大変喜ばれました。
特に戦国時代、永禄年間に、菊岡宰相宗政は、強弓の達人として天下に聞こえておりましたが、感ずるところあって仏門に入り、禅照庵という一寺を建立し、多くの病人を救いましたので、善誉上人として世の人から仰がれました。それで、この寺は朝廷から、紫雲山西照寺という山号寺号を賜り、徳川家康公からは、家康院という院号を贈られました。
やがて、明治維新になって、漢方薬を商売とすることになりましたが、代々祖先の精神を受け継ぎ、漢方薬の研究に品質の吟味に、励んできましたので、その評判は口から口へと伝わり、難病の治った方々から、丁寧な感謝状を沢山よせられております。
平成14年秋に、520年間親しんだ三条通りから、奈良で一番古い町「ならまち」に移り、現在に至っております。
ここにその起源を略記いたしまして、安心してご服用くださいますよう、希望する次第でございます。
ホームページより引用
奈良の神社とか老舗って、時間のスケールが僕たちの感覚と全然違います。ホントすばらしいです!こういう薬屋さんがこれからもズッとズッと末永く続いて行くことを願ってやみません。
菊岡漢方薬局さん、ガンバレー☆
菊岡漢方薬局さんの真横にお地蔵さんたちがいました。
総本家菊岡 きくをか御くすり 養血湯 って右から書いてあります
地蔵菩薩真言「オンカカカビサンマエイソワカ」
こういう曲がり角も嬉しいです!クルマで通るのが楽しそう 笑
この一見、不合理なカーブの連続がホントうれしい!!
この先に奈良町資料館があるはずですが、元興寺同様今回は時間がないので次回にします。世界遺産三社寺の興福寺も、春日大社も、昼の東大寺も次回です。奈良国立博物館も次回です、若草山も斑鳩(いかるが)も山の辺も明日香も次次~♪♪
奈良町にぎわいの家
百年の町家 奈良町にぎわいの家
もうお腹いっぱい。。。
昨日の夜の奈良きたまちもそうだし、ここならまちもそうだし、美しい街並みや建物が次々と姿を現す奈良という町に僕は完全にノックアウトされました!!
写真右上の「涼を誘う」というポスターは奈良市杉岡華邨書道美術館のポスターです
大和工房ならまち店(奈良市中新屋町)
雪駄屋さんです。奈良の職人手作りの日本製雪駄だそうです。
大和工房さんの真ん前にあったネパールの伝統的飾窓
ネパールの伝統的飾窓(1970年/昭和45年の大阪万博でネパール館に使用されていた者)
ネパールの窓も奈良町にしっくり溶け込んでいます。不思議な感覚です!奈良はネパールをも飲み込んでしまうのかもしれません!
元興寺(がんごうじ)と奈良町
まぶちすみお再誕!馬淵澄夫さん、前回の衆院選で落選して浪人中みたいです。
喫茶工房まほろば(奈良市中新屋町)
太い道を横切って渡りました。
和菓子の樫舎(かしや/奈良市中院町)
狭い道を引き続きまっすぐに進みます。
粟 ならまち店(勝南院町)
MIA'S BREAD 本店
この店はならまちっぽくないけど、違和感なかったです。奈良は寛容です。
住吉神社(奈良市勝南院町)
ならまち意外と広いです。まだまだ道が続きます。まあ、写真をバチバチ撮りながらだから、それほど歩いていないのかもしれませんが 笑
写真左の門がおもしろい!
田村青芳園茶舗(たむらせいほうえんちゃほ/奈良市勝南院町)
築150年以上の町家
ああ、もうさすがに満腹~
うつくしい建物、うつくしい景色、お腹いっぱいです。
あーん!もうすごすぎ~☆
このお家も登録有形文化財のようです 笑
このお店はモダン
猿田彦神社(奈良市東寺林町)
奈良町通り(今御門)商店街案内図
道祖神で別名道祖神社とも呼ばれているようです
四つ角も面白い
味わい深い四つ角です。
何て言うんだろう、規則性がなくって狭くって、奈良町界隈はワンダーランドです!驚きと感動の連続です!!
ブティック?セレクトショップ?オシャレな洋服屋さんもありました
まだまだ奈良町のアートは続きます!
すごいでしょ!古い建物だけじゃなくって、最近の建物も景観に溶け込みつつもアートしちゃってます!!奈良町は街歩きのテーマパークだったのです!!!!!
本当のお腹も空きました。
帰りの新幹線の中で食べる食糧「柿の葉寿し」にしました。
柿の葉ずし総本家平宗 奈良店(奈良市今御門町)
このお店でとうとう念願の柿の葉寿司を食べました。
※詳細は次のブログ記事で
玄関の幅が狭いすだれが印象的
この店は木が斜めってます!!
オブジェのようですが、ならまちっぽいですよね!
この店ののれんもいいな~
写真左の赤い布の吊るし飾りは身代わり申
写真左は身代わり申(みがわりさる)
身代わり申(みがわりさる)
ならまちの軒先では赤い布でできた飾りをよく見かけます。これは「庚申さん」のお使いの申を型どったお守り。災いを代わりに受けてくださることから「身代わり申」とよばれています。民家や商家の軒先に吊るされ、ならまちの風物となっています。
もう一旦何枚写真撮ってるんだろう~ このならまちのブログ記事、史上最長かもw
だんだん写真を説明するボキャブラリーが不足してきた。もはや形容のしようがない。。。皆さん、ぜひ写真をどんどん見ていって下さい。
道端にまたもやお地蔵さん
なんと!
なんと!!
八王子四之室神社(はちおうじよのむろじんじゃ/奈良市元林院町)
八王子~!!
八王子市民の僕、狂喜乱舞っ!!!!
八王子社の祭神は素戔嗚尊(スサノオ)の八人の御子神様だそうです。
八王子四之室神社の鈴
八王子四之室神社に真心からお参りしました
八王子四之室神社の横の民家
ははははっ!プラハが街全体が美術館と言われてますが、奈良町も街全体が美術館で間違いないでしょ!?皆さん、そう思いますよね!!
色彩がうつくしいです。本当にうつくしいです。
行基さん 1350歳 2018大感謝祭
そうなんです!唐招提寺の鑑真和上もエラいけど、行基(ぎょうき)もエラいんです。行基菩薩は一言でいうと奈良時代に難民救済を行い、当時の民衆から圧倒的に支持された高僧です。近鉄奈良駅の真ん前に銅像が建ってます。
絹谷家(きぬたにけ/奈良市元林院町)
絹谷家はもとは芸妓置屋「萬玉楼」だったと書いてあります。
梅鉢
この辺りは明治時代は遊郭だったようです。
歴史が積み重なった奈良って、非常に奥深いです。奥深すぎて、歴史が深すぎてつかみ所がありません。そうです!奈良は京都よりも古い都(みやこ)なのです!!
▼公式サイト
ならまち情報サイト
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