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美濃部達吉と吉野作造 大正デモクラシーを導いた帝大教授(古川江里子)

美濃部達吉と吉野作造 大正デモクラシーを導いた帝大教授

美濃部達吉と吉野作造

日本史リブレット 人 095 (山川出版社)
美濃部達吉と吉野作造 大正デモクラシーを導いた帝大教授
著者: 古川江里子



今年の僕の勉強テーマの中で一番最初に記載されているのが「憲法 / 民主主義 / 社会運動」です。1月に町田の自由民権運動資料館で"自由民権運動"の勉強をしてきたのですが、その後は人権や仏教関係の勉強に偏っていたので、ここで再びデモクラシー(民主主義)や社会運動の勉強に比重を移していきたいと思います。


今回は"大正デモクラシー"について上記の本を読みました。美濃部達吉と吉野作造という大正デモクラシーを主導した二人の帝大教授を考察して、当時の日本の動きを活写した内容です。


もくじ: 

美濃部と吉野を考察する意味


1. 大正デモクラシーと美濃部、吉野

美濃部の生涯/吉野の生涯/大正デモクラシーとは/大正デモクラシーの背景


2. 帝大教授としての美濃部と吉野

東京帝大法科大学/帝大教授の社会的位置/帝大法科教授、美濃部と吉野の自己意識


3. 美濃部の天皇機関説

明治憲法と明治憲法体制/美濃部以前の帝大法科大学の憲法学説/美濃部の天皇機関説/明治期の天皇機関説論争


4. 吉野作造の民本主義

民本主義とはなにか/上からの民本主義/民本主義論争


5. 大正デモクラシーの展開と挫折

第一次護憲運動から原敬内閣/第二次護憲運動以後/浜口雄幸内閣から五・一五事件前後/天皇機関説事件


今日への遺産


美濃部達吉と吉野作造

美濃部達吉(右上)と吉野作造(左下)


美濃部達吉(みのべ たつきち)

美濃部達吉(みのべ たつきち) 1873-1948  天皇機関説


吉野作造(よしの さくぞう)吉野作造(よしの さくぞう) 1878-1933  民本主義


大正デモクラシーを先導した美濃部と吉野

大正デモクラシーを先導し、議会・政党政治危機の時代には軍部に敢然と異を唱え、議会・政党政治の擁護と対外膨張阻止に全力をそそいだ美濃部と吉野。彼らの提言に従っていたら、戦争は起こらなかったはずである。なぜ、彼らの主張が危機の時代、その真価を問われるときに影響力をおよぼせなかったのか。それを問うことは,民主主義時代の私たちが、よりよき選択を行うために不可欠である。その答えを、当時の政治社会と彼らの言動から模索していきたい。


94ページの教科書のような本だったのですぐに読破できましたが、ズバリ僕が感じたことは美濃部達吉も吉野作造もあくまでも学者であって、政治家や社会運動家ではなかったということです。ましてや革命家でも扇動家でもなかったということです。


著者の古川江里子さんがカバーのそでの部分で「なぜ、彼らの主張が危機の時代、その真価を問われるときに影響力をおよぼせなかったのか?」と問題提起をしていますが、その答えはシンプルに「彼らが学者だったから」だと僕は強く感じました。


革命にしろ、国民運動にしろ、学者の理論を一般大衆や社会の中に激烈に溶け込ませていく役者(政治家や社会運動家)が必要なのですが、大正デモクラシーでは尾崎行雄、犬養毅、加藤高明らが一時的にはそれに成功したように見えるのですが、結果として彼らは国民や一般大衆から遊離してしまい軍部の台頭を許してしまいました。大正デモクラシーによる民主化が日本に根付かず、"民主の名のもとの独裁(軍部独走)というモンスター"を生み出してしまい、日本を亡国の憂き目に遭わせてしまったのは政党内閣や政党政治家たちなんだと思います。美濃部や吉野にその役を演じろというのはちょっと酷な話ではないでしょうか?


本の裏表紙の顔写真を見てもすぐに気づきますしが美濃部達吉や吉野作造は学問に生きる学者なので、その思想を国家の血や肉にし、鮮烈で活き活きとしたものにする媒介役を演じる役者が力不足だったんだと思います。それが戦前の日本にとって最大の悲劇だったと僕は結論づけました。


民主主義や議院内閣制、議会政治がまだ未成熟だったという言い方もできますし、君権的な性格が強い明治憲法(大日本帝国憲法)の制約があったという言い方もできるのですが、すばらしい理念や概念を持っていたにもかかわらず、また政党内閣や普選(普通選挙)を実現したにもかかわらず大正デモクラシーが挫折してしまったことは疑いようがありません。あの大戦争を阻むことができなかったのですから。



自由、平等、国際協調、人類発展。今の日本はそれらを中心とした国家運営を行っていると思いますが、いつまた何時モンスターが復活するかわかりません。デモクラシー(民主主義)をさらに深く根付かせ、デモクラシーの価値を国民と真に共有できる芯の通った指導者を多数出現させることが大切です。政治家や社会運動家に対する僕たち民衆一人一人の態度や意識が政治の堕落を防ぎ、両者の緊張感を高めます。


この正常に機能しているかのように見える日本の民主主義が、実は非常に脆弱なものだということを肝に銘じていきたいと思います。危機感を持って、主権者として考え、行動していきたいと思います。


この本に詳細に書かれていた大正デモクラシーの発展とその後の凋落ぶりを見ていくと、民主主義の危うさや脆(もろ)さに体が震えます。国家や社会が雪崩を打って暴走し始める怖さに身ぶるいがします。民主主義は与えられるものではありません。民主主義は僕たち自身が日々努力を重ねて守り育てていくものなのです。



天皇機関説問題

天皇機関説(国家法人説)は、明治憲法体制を法的に説明する理論として広く認知されていた。昭和10(1935)年2月18日、貴族院本会議で菊池武夫が、憲法学者美濃部達吉らの著作を挙げて天皇機関説を排撃した。これに対して貴族院議員でもあった美濃部が、2月25日に貴族院本会議で「一身上の弁明」を行ったことを契機に、国家主義団体などが天皇機関説排撃のキャンペーンを展開した。軍部や在郷軍人会、さらに倒閣を目論む政友会もこの動きに加わり、排撃運動は激化した。


陸軍教育総監の真崎甚三郎は、林銑十郎陸相が、美濃部説は承認できず、学説としても消失を希望するが、その処置については他の関係と共に慎重に考究する、と述べたことを3月12日の備忘録に記している。この問題が単なる学説論争を超えて、様々な思惑の絡む政治問題に発展していたことが窺われる。


排撃運動には、一木喜徳郎枢密院議長の辞職要求などにより、宮中グループをはじめとする現状維持勢力を打倒する目論見もあった。政府は、4月に美濃部の著書『憲法撮要』などの発売頒布禁止処分・改版修正処分を決定し、岡田啓介首相が天皇機関説を否定する「国体明徴声明」を8月と10月の2度にわたって出すことで事態を沈静化させたが、これにより明治憲法下における立憲主義の統治理念が公然と否定されることとなった。


国立国会図書館ホームページより引用


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