銀座・交詢社レストランでモナコグランプリ優勝 F1レーサーの久保田克昭選手(プラネックス社長)と会食

銀座の夜景 左:和光 右:銀座三越

銀座の夜景 左:銀座和光 右:銀座三越


銀座和光本店 銀座の象徴的な存在の時計塔

銀座の象徴的な存在の銀座和光本店時計塔



昨夜、東京銀座の交詢社ビル 9階のレストランでモナコグランプリ優勝F1レーサー!の久保田克昭選手(プラネックスコミュニケーションズ社長)とお食事をご一緒させていただきました。


 1. 銀座というモダンな街
 2. 交詢社というハイソな空間
 3. モナコグランプリ優勝の F1レーサー


という 3つのとんでもないシチュエーションでしたが、刺激的で意義深い一時を過ごすことができました。雰囲気も食事も会話もすばらしかったです。明るくて楽しくて博学な久保田社長に感謝です!そして、レストラン内に大きな肖像画が飾られていましたが福澤諭吉先生に感謝です!ありがとうございました!!


交詢社(こうじゅんしゃ)のプレートをバックに
左: "F1レーサー" 久保田克昭社長  右:僕・村内のぶひろ




銀座については皆さんよく知っていると思うので、「F1レーサー・久保田克昭選手」と「交詢社」についてぜひご覧ください。


久保田克昭選手とチーム・ロータスの面々

喜びの久保田選手とチーム・ロータスの面々


モナコに日章旗の快挙!!


2014年5月9日から11日に行なわれた第9回モナコ・ヒストリック・グランプリで、ロイヤルボックス横の国旗掲揚ポール中央に日の丸が掲げられた。


伝統のモナコGPと同じ公道コースで行なわれるヒストリックF1の『9e Grand Prix de Monaco Historique』、1966年から1972年までのF1マシンで競われるセリエE部門で優勝したのは、JPSカラーのロータス72E駆る久保田克昭選手。F1を中心とするヒストリックフォーミュラや、スポーツカーで活躍する日本を代表するジェントルマンレーサーだ。


久保田選手の優勝は、モナコの歴史上初の日本人ウィナーであり、スタートフィニッシュライン沿いに特設されたロイヤルボックスに招かれた初の日本人となった。


F1 NEWSホームページより引用)


久保田克昭 - モナコグランプリ優勝


久保田克昭のコメント

皆様応援ありがとうございました!無事モナコで君が代と日の丸掲揚できました。武運という言葉が示すとおり勝負に絶対はございません。運が入ります。運は皆に平等にあるものですが、すごく今回の勝利で実感いたした次第です。これからも、社員、仲間、家族、ご先祖様、氏神様、生沢徹様、尊敬できる先輩を大切に笑顔で明るく一層奮励努力いたします!


PLANEX CARSホームページより引用)


9e Grand Prix de Monaco Historique

9e Grand Prix Historique  Monaco



東京 銀座・交詢社(こうじゅんしゃ)

交詢社の沿革


「交詢社」は明治初期の頃、当時まだ「社交」という言葉が十分に使われていなかった時代 に、福澤諭吉先生の主唱により、銀座の地に創られた日本最古の社交機関です。また同時に公益に関する事業を行うことをも目的とした財団法人として永年事業を展開し、平成23年(2011年)7月より公益法人制度改革に沿い一般財団法人に移行しました。


学校教育を終えて社会人となった人たちが、めざましく変化する実社会に対応するため、各人が互いの知識を交換し合って、流動する社会の実務に対処する機会を提供しようとの主旨で、「知識を交換し、世務を諮詢する」ことを目的に明治13年(1880年)に設けられました。


創設当初から社員(メンバーのこと)数は1,800名ほどもあり、職業の内訳は官吏・学者・商業・農業等が大部分であり、しかもその過半数は地方在住の人たちでしたから、交詢社が職業や学歴、居住の地域に偏ることなく、広く社会で活躍する人材を網羅した組織だったことがわかります。


ことにその活動の場所が創設当時から、銀座にあって社員相互の交歓の場を提供したことは、交詢社の活動に大きな便宜を与え、他方多くの地方在住社員のために、質疑応答を中心とした機関誌『交詢雑誌』を発行して「知識交換」を実践していました。


交詢社はめぐまれた立地条件と、完備した施設を十二分に活用して、毎週金曜日に開催される常例午餐会や月刊の機関誌『交詢雑誌』の発行をはじめ、同好会等社員の啓蒙親睦の活動は多彩であり、また公開講座の開催等公益に資することを行うことを通し社会貢献に努めています。


交詢社ホームページより引用)


慶應義塾(けいおうぎじゅく)

[慶應義塾豆百科]  No.38 交詢社


世に福澤先生の3大事業と称するものがある。慶應義塾と交詢社、それに時事新報の3つである。明治15年(1882)に創刊された「時事新報」は、政党色の濃かった当時の新聞界において、不偏不党の立場を堅持して隆盛を示し、一時は「日本一の時事新報」と自ら称していたほどであるが、昭和10年代のはじめ経営的に行詰り廃刊してしまった。残りの2つは教育機関あるいは社交機関として、それぞれ斯界の最古のものとして指導的位置にあることは周知のことである。しかし交詢社は東京に設けられた会員制のメンズ・クラブであるため、慶應義塾に比べるとその知名度は幾分落ちるので、福澤先生と交詢社との関係について、簡単に述べることにする。


先生は慶應義塾の教育の目的は、学者を養成するのではなく、実社会に出て実技をみがき、社会の先導者となるべき人物の育成にあるとされていたから、慶應義塾を卒業した後の若者がどのように成長して行くか、非常な関心を持っておられた。学校を離れ教科書との接触が少なくなった者の勉学の手段として、本を読むのではなく人と接して談笑する間に、互いに知識を交換しあう社会教育の場を考えつかれた。


それは明治9年に三田山上に万來舎という小屋を構えて、教職員・塾生をはじめ外来者でも自由に出入りできるようにしたのが始まりで、この方式を世間一般に拡大したのが、ここに言う交詢社である。


交詢社は明治13年(1880)福澤先生の主唱のもとに「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」ことを目的として結成された日本最古の社交機関である。創立の当初から1700余名の会員を擁していたが、これらは慶應義塾の卒業生に限らず、広く世間一般にその加入を勧誘したから、社員の職業で一番多いのは学者・官吏であり、続いて商業・農業の順となっていて、役員である常議員も24名中慶應義塾関係者は12名に過ぎなかった。このように交詢社は確かに福澤先生によって設立された社交機関であるが、これを慶應義塾の卒業生だけのクラブとしなかったところに、先生の大きな視野が感じられ、それがまた交詢社の隆盛を約束している原因の1つである。


銀座6丁目の現在地は創立以来、関東大震災によって一時立ち退いた以外は移っておらず、昭和4年に立てられた現社屋は、周囲の喧燥さをたしなめるように落ち着いて建っている。


東京大空襲を生き抜いた歴史的建造物も70年の時を経て老朽化が進み、修繕し維持するためには膨大な経費が掛かることから、2004年9月建て替えとなりました。地上10階、地下2階の新しい交詢ビルディングは、旧建築の正面玄関をそのまま保存しており、談話室や中庭も一度解体し復元・移設。伝統を保ちながら先進性を兼ね備えています。


慶應義塾ホームページより引用)



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