"生命力あふれる"「中世の非人と遊女」 網野善彦 - 講談社学術文庫

「中世の非人と遊女」 網野善彦 - 講談社学術文庫

「中世の非人と遊女」 網野善彦 - 講談社学術文庫


「非人」と「遊女」というキーワードに惹かれて買った本ですが、読破しました!



「中世の非人と遊女」 網野善彦

カバーの采女(うねめ)が最高にイカしてます!!「風姿花伝」や「東北の神武たち」もそうでしたが、文庫本のカバーは大切です!ぶっちゃけ、カバーの善し悪しで読もうという気分が変わってきますよね~ 正直っ!


「中世の非人と遊女」

このお顔見ちゃったら、読むしかないっしょっ(笑)


「歌舞伎図巻」 采女(うねめ) - 徳川美術館所蔵

カバー写真: 采女(うねめ)「歌舞伎図巻」 - 徳川美術館所蔵


カバーデザイン: 蟹江 征治

カバーデザイン: 蟹江征治


非人や芸能民、商工民など多くの職能民が神人(じにん)、寄人(よりうど)等の称号を与えられ、天皇や神仏の直属民として特権を保証された中世。彼らの多くは関所料を免除されて遍歴し、生業を営んだ。各地を遊行し活動した遊女、白拍子(しらびょうし)の生命力あふれる実態も明らかにし、南北朝の動乱を境に非人や遊女がなぜ賤視されるに至ったかを解明する。網野史学「職人論」の代表作。



学術文庫というだけあって、この本は知らない単語がバンバン出てくるかなり学術的な本でした。歴史学者による歴史学のための本といえるでしょう。まあ、僕は歴史学者や民俗学者になるつもりはまったくないので、学術的過ぎる部分や注釈、資料などは飛ばし読みにして、「人間を知る」ためにプラスになるような記述にだけ集中しピンク色のマーカーを引いて読んでいきました。


日本の中世前期までの社会が、異民族をとりたてて強調することなく、宋人-唐人も、傀儡師(くぐつし)・遊女も、そして博奕(ばくち)打ちも非人も、また「知識人」も、荘官や鍛冶・番匠(ばんじょう)などの手工業者・商人とともに、「職人」身分として、なんらの区別なくうけいれる一面を持つ、開放的な世界であったことを、われわれは銘記しておかなくてはならない。(網野善彦)


「非人」とか、「遊女」とかいうと現代の僕らの感覚だと、ギョッとしてしまうんですが、この本を読み進めていくと、中世前期まではみんな平等だったみたいです。中世は誰も賤視しないし、誰からも賤視されない非常にイコールな世界だったようなのです。穢(けが)れが畏怖ではなくなり、神との関わりがなくなり、聖性を剥ぎ取られ、聖なるものとの結びつきがなくなり始めてから彼・彼女らは差別され始めてしまったのです。でも、みんな施しや恵みを受けているわけではないし、打ちひしがれていたわけでもなく、むろん穢れているわけでも何でもありません。社会の中で各自の役割を果しながら頑張っていたんです。


冷静に見ればやはり彼・彼女らはみんなおんなじごく普通の人間なんですよね。まさに、人間そのものなんです。「非人」とか、「遊女」とか、人間を職業や役割でジャンル分けすること自体がそもそも間違っていて、馬鹿げているんだということをこの本を読んですぐに感じました。中世でも、平成でも、人間にレッテルや身分は必要ありません。


なぜならば、網野さんの考証によれば「非人」や「遊女」の社会的地位や定義などが時代や社会制度の変遷、エポックメーキングな出来事の発生と共にどんどん変わっていくからなんです。人間は変わっていない、外から見る目が変わっていくだけなんです。まったくこれは先入観や偏見そのものだと思います。


古来、遊女や傀儡(くぐつ)、白拍子(しらびょうし)たちは女性の「性」自体の持つ「聖なる」特質などゆえに決して社会的地位が低くなかったということなども記述されていましたが、僕は社会的地位うんぬんよりも、"女性の「性」自体の持つ「聖なる」特質"という表現に唸(うな)らされました。平塚らいてうの「元始、女性は実に太陽であった」という青踏発刊に際しての言葉と同じことを言っています。僕も女性は太陽だと感じています。昔、高千穂の夜神楽でもそう感じました。男女差別(性差別)なんて実におかしな話です!もちろん、職業差別や部落差別も!僕のブログを見ている皆さん、ぜひ、よろず生きとし生けるものに温かい眼差しを!!



それと個人的にはやっぱりこの章が一番面白く役に立ったのですが、第三章の「『一遍聖絵』の非人と童形の人々」は網野さんが一遍聖絵に出てくる非人や童形を細かく一人一人、巻や段ごとに追いかけて聖絵の中に隠れていた中世の感動的でドラマチックなシーンを浮かび上がらせていました。こんな聖絵の見方があるんだ!!「一遍聖絵」展に行く前に知っておけば良かった〜、大失敗です(涙)


でも、座右の書になっている「捨ててこそ生きる」の聖絵を横に置いて合わせて見ながら読んだら、網野さんの指摘通り、非人や童形たちが一遍上人に帰依し、救われていたことがわかりました!大発見です!!一遍上人による犬神人(いぬじにん)や非人の救済は実に劇的でした!!この絵巻はこれを描き上げたかったようなんです!この章だけでもこの本を買った意味がありました!


僕らはついつい聖絵を前にすると、主役の一遍上人を見てしまうのですが、網野さんは本当に丁寧に絵中の一人一人の人間の存在を解説してくれていました。間違いなく、一遍上人その人もその場にいた一人一人を大切にしていたと思います。上人と人々はお互いに精神的に深く結ばれていたんだと思います。だから、一遍聖絵の主人公は上人その人ではなく、この絵巻に登場する一人一人の人間、ホモ・サピエンスたちなんです。一遍上人は聖絵の脇役なんです。名も知れぬ老若男女一人一人が等しく主役なのです。僕は一遍聖絵の見方を完全に間違えていたんです。第三章を読んでそう思いました。


『一遍聖絵』の作者が、「童形」の人々、「犬神人」「非人」と一遍、時衆との深い結びつき、一遍の教えによる「非人」の救済を、絵巻全体を通じて、ひとつの重要なテーマとして語ろうとしたことは確実、と私は考える。(網野善彦)

現代人の目から見て、それがいかにみじめに見えようと、そこに描かれたきわめて多数の「非人」及び「童形」の人々は、一人として同じ姿はないといってよいほどさまざまに、しかもそれなりに、死にいたるまで生活する人々として、生き生きとしていると私には見える。(網野善彦)




講談社学術文庫 - 学術をポケットに! 学術は少年の心を養い 成年の心を満たす

学術をポケットに! 学術は少年の心を養い 成年の心を満たす 講談社学術文庫


講談社学術文庫のシンボルマークはトキを図案化したものです。トキはその長いくちばしで勤勉に水中の虫魚を漁るので、その連想から古代エジプトでは、勤勉努力の成果である知識・学問・文字・言葉・知恵・記録などの象徴とされていました。


確か、前にも書いたと思うんですが講談社学術文庫とか岩波文庫とかはホント "日本の誇り"ですね。とにかく素晴らしい本が沢山ラインナップされていると思います。仕事もプライベートも充実してますのでなかなか乱読というわけにはいかないので厳選してこれからも折に触れて読んでいきたいと思います(ちくま学芸文庫とか、角川ソフィア文庫なども含め)。


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