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二十一回猛士!吉田松陰先生終焉の地 - 十思公園の吉田松陰辞世の句(留魂録)の碑

東京都中央区日本橋小伝馬町にある十思(じゅっし)公園は吉田松陰が斬首された江戸伝馬町処刑場跡です。

吉田松陰 辞世の碑 十思公園
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂 」


二十一回猛士


江戸伝馬町処刑場跡
平成31年(2019年)4月13日 村内伸弘撮影



二十一回猛士!
生涯に 21回の猛挙を行うと宣言した幕末明治維新の精神的指導者・吉田松陰!


僕が心から尊敬するその吉田松陰先生が処刑された場所に今、向かっています。先生の首が落ちた十思公園(江戸伝馬町処刑場跡)に近づいています。


十思公園が見えてきました!


身延別院の前を通過します


十思(じゅっし)公園 - 東京都中央区日本橋小伝馬町


緑が目にまぶしいです!男女の外人さんがイスに腰掛けてなにやら話をしています


十思(じゅっし)公園ご案内


吉田松陰先生に関する碑がたくさんあります。


久しぶりにやってきました。
平成が終わる前に、一度訪ねたいと思っていたのです!!


ここは炎の教師・吉田松陰先生の聖地なのです!

吉田松陰先生終焉之地

吉田松陰先生終焉之地


吉田松陰先生は天保元年(西暦1830年)8月4日、長州萩の東郊松本村で杉家の二男として生まれた。幼い頃に吉田家をついだ。成人しての名を寅次郎という。吉田家は代々山鹿流兵学師範の家であったので、早くから山鹿流兵学その他の学問を修め、その道を究めて、子弟の教育につとめた偉人である。


安政元年3月、師の佐久間象山のすすめで海外渡航を計画し、下田から米艦に便乗しようとして失敗、下田の獄につながれたが伝馬町獄送りとなって途中、高輪泉岳寺の前で詠んだのが有名な次の歌である。


「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」


同年9月まで約6ヶ月間伝馬町獄に留置されていたが、国元萩に謹慎の身となって帰って後の松下村塾での教育が最も偉大な事業であろう。薫陶を受けた中から有爵者 6名、贈位者 17名、有位者 14名等多くの著名名の士が出て、中でも伊藤博文、山県有朋、木戸孝允等は、明治維新の大業に勲功のあった人物である。


わが国歴史の上での三大変革といえば大化の改新、鎌倉幕府の創立、明治維新の三であるが、その明治維新にこれら松下村塾生の働きが大きな力となったことを深く考えたいのである。


後、松陰は安政の大獄に連座して再び伝馬町獄に入牢となった。安政6年7月9日、江戸の長州藩邸から初めて評定所に召出されたが、その時


「まち得たる 時は今とて 武蔵野よ いさましくも鳴く くつわ虫かな」


と決心を歌にのべている。


しかし、幕府の役人を動かすことが出来ず、その後の 3回の取調べで死刑を覚悟した 10月22日に父、叔父、兄へ宛て永訣の書を送っているがその中にあるのが


「親思ふ 心にまさる 親ごころ けふのおとづれ 何と聞くらん」


の一首である。


また処刑の時の近づいたのを知って 10月25日より 26日の黄昏までかかって書きあげたのが留魂録でその冒頭に


「身はたとひ 武さしの野辺に 朽ちぬとも とどめ置かまし 大和魂」


十月念五日 二十一回猛士


と記してある。


松陰はこれを同囚で八丈島に遠島になった沼崎吉五郎に托したが 20年後、当時神奈川県令で塾生であった野村靖に手渡したものが現在残っている留魂録である。それによって当時の法廷の模様、訊問応答の次第、獄中の志士の消息等がわかり、自己の心境と塾生の行くべき道を示したもので崇高な松陰魂の指南書ともいえるものである。



安政6年10月27日は処刑の日であった。揚屋を出る松陰は次の詩を高らかに朗吟して同囚の士に訣れを告げたのである。


「今吾れ国の為に死す 死して君親に背かず 悠々たり天地の事 鑑照明神に在り」


次いで刑場では「身はたとひ」の歌を朗誦して従容として刑についた。行年30歳、明治22年2月11日、正四位を贈位され、昭和14年6月、十思小学校校庭に留魂碑が建設された。


そうです!そうなんです!吉田松陰先生の崇高な魂が残る場所がここ十思公園なのです!!

時の鐘


日曜日、公園内には子供たちやお母さん方がたくさんいました


松陰先生の魂はニッポンを、そしてニッポンの子供たちを見守っています




ありました!これが松陰先生の記念碑群です!!

子供たちが遊んでいていいね!松陰先生、絶対喜んでいると思います(^^)


大和魂を留め置いた松陰先生の記念碑です!!


(左)吉田松陰顕彰碑
(中央)吉田松陰辞世の碑
(右)吉田松陰先生終焉之地


吉田松陰先生終焉之地

男爵・荒木貞夫の書のようです


萩城址の東麓 宮崎八幡宮の附近より掘り出したる石
昭和14年6月 萩市有志者寄贈



吉田松陰辞世の碑

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂 」
十月念五日 二十一回猛士


吉田松陰先生の辞世です!!!!!!!!!!



身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂!!


松陰先生はまぶしいです!
いくつになってもまぶしいです!!


いや、僕が歳をとればとるほど、よりまぶしく感じる存在なのです。


碑に刻まれた松陰先生の辞世の句は死後160年を経た平成の終わりでも、多くの人々に激烈に響いてきます。烈火の如く心に迫ってきます。



大和魂!


二十一回猛士!


この和歌は松陰先生自筆の留魂録冒頭の一句を拡大せるものなり


昭和14年6月24日 除幕式
吉田松陰先生 留魂之碑 建設会
松井亀太郎   *木清蔵 刻




吉田松陰顕彰碑

吉田松陰顕彰碑

吉田松陰顕彰碑


吉田松陰先生は、天保元年、長門の国萩の町はづれ松本村に生まれました。兄弟思い、親思い、忠義の志の厚かった人です。


小さい時、父や叔父の教を受け、熱心に勉強して兵法の先生になりました。それから日本中を旅行したり、多くの書物を読んだりして、一層修業を積み、ある時はアメリカの軍艦に乗って外国を研究に行こうとしたこともありました。のち郷里の松下村塾で多くの人を教えましたが、その門人の中から木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋をはじめ、忠義でえらい人がたくさん出ました。


先生は天子様に忠義をするために幕府をあなどったというので安政6年伝馬町の牢屋に入れられましたが、その年の秋、この地でりっぱな最期をとげました。時に 30歳でした。


先生のまごころは永くこの土地この世に留まって忠義な人が次々に出るのを願っています。






りっぱな最期!



誰もこの碑のことを気にしていないようでしたので、大人たちも子供たちもこの場所で松陰先生が立派な最期を遂げたことを知る由もないのかもしれません。


松陰先生の留魂の碑から空を見上げます


平成が終わる前に、訪れることができて良かったです。




十思公園内には他にもいくつか碑がありました

枡屋勝三郎 歴代記念碑





旧十思小学校 「十思之疏」の由来



伝馬町牢屋敷の石垣の石


伝馬町牢屋敷跡出土石垣説明版



忠魂碑 明治丙午夏 希典書


乃木将軍(乃木希典)書です!




あと、十思公園の目の前になんと「一誠」という店がありました!!

歴史好きならピンとくると思いますが、あの萩の乱の「前原一誠」と関係があるのでしょうか!?「前原一誠」はもちろん、吉田松陰先生の松下村塾の門下生です。


十思公園の目の前の大安楽寺


江戸伝馬町処刑場跡という赤文字の碑がありました


江戸伝馬町処刑場跡


安政の大獄で知られる吉田松陰等、当地で処刑された勤王の志士の霊を慰め・・・


日本橋小伝馬町


小伝馬町交差点




吉田松陰先生はいつもまぶしいです。
吉田松陰先生は常にまぶしいです。
吉田松陰先生はいつまでもまぶしいです。


二十一回猛士はいらだたしいほどまぶしいです!!



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