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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

日本三大花街・夜の丸山界隈(丸山花街)、高島秋帆旧宅など

夜の丸山~ぁ たずねぇ~ても 冷たい風ぇが 身に染ぃ~みる♪♪

長崎丸山の芸者置屋「長崎検番」

長崎丸山の芸者置屋「長崎検番」


夜の丸山公園(長崎市寄合町)

夜の丸山公園(長崎市寄合町)


高島秋帆旧家

高島秋帆旧宅


高島秋帆旧家から見えた稲佐山

高島秋帆旧宅から見えた稲佐山



柳小路とか思案橋を見たからって、まだ夜の長崎ぶらぶら散策は終わりません。そうです、日本三大花街のひとつ・丸山花街界隈を見てみましょう~!



石造りでレトロな感じの丸山町交番


横から見た丸山町交番


丸山町交番の赤ランプ

丸山町交番の赤ランプ


丸山公園の桜


肥前長崎丸山廓中之風景


肥前長崎丸山廓中之風景

この絵は江戸時代後期に歌川貞秀によって書かれた花街丸山の様子です。左下の門は花街の入口にあたる二重門(現在の丸山交番付近)で、この門を抜けていよいよ丸山に入るわけです。中央の一角は現在の丸山公園で、上のほうには妓楼花月楼(引田屋)の建物が描かれています。右の通りは寄合町通りで、当時に丸山、寄合両町の隆盛をうかがい知ることができます。格子をのぞく大勢の登楼客の姿や芸妓、行商人のほか、酔っぱらいまでも描かれ、さらには唐人やオランダ人などの姿があるところから丸山は国際的な花街だったことが読み取れます。



「この門を抜けていよいよ丸山に入るわけです。」だって~(笑)
うらやましい~w 当時の男どもの興奮が伝わってきますね!


長崎丸山町遊郭

丸山花街(長崎丸山町遊郭)


「江戸に吉原、京に島原、長崎に丸山。」
長崎ぶらぶら節の如く、日本三大花街のひとつ・丸山花街をぶらぶら散策している自分が妙にうれしいです。


丸山花街(まるやまはなまち)

日本三大花街のひとつと言われた丸山は、寛永19年(1642年)市内に散在していた遊女屋を官命により一箇所に集めたのが始まりです。丸山は江戸時代、海外貿易の発展とともに栄華を極め、上方などから多くの貿易商や知名士が集まり、元禄時代に全盛期を迎えました。丸山の遊女の数は、元禄5年(1692年)には 1,443人を数えるほどでした。また、江戸時代後期には、日本を代表する漢学者で歴史家の頼山陽や幕末の志士・坂本龍馬等も訪れています。手彩色の絵葉書は明治後期から大正期のもので、史跡料亭「花月」付近から長崎検番方面を眺望したものです。



県指定史跡 花月


寛永19年(1642年)、それまで市中に散在していた遊女屋が一ヶ所に集められ、官許の遊里として丸山町、寄合町が形成された。引田屋もこの頃の創立といわれる。花月は、文政元年(1818年)頃にこの引田屋の庭園内につくられた茶屋の名称であり、長崎奉行の巡視の際には、休憩所となった。


この地は、向井去来や太田蜀山人、頼山陽といった文人墨客や、多くの志士などが訪れたことが知られ、また、端唄春雨もここで生まれた。


明治12年(1879年)の丸山の大火で花月は類焼したが、花月の名称は、引田屋の建物の一部に移され、庭園、建物とともに料亭「花月」として継承されている。


花月かぁ~


血気盛んな幕末の志士たちがこの料亭に集まったと思うと、今こんなにもこの場所が静かなのが不思議に感じられます。


すわ!遊女か!?


芸者置屋「長崎検番」


山崎屋の坂(森崎の坂)。丸山本通り突き当たりの石段


坂道とか石段とか、とにかく長崎の街には風情があふれています!!


尾崎(森崎)と山崎屋の坂の説明文

尾崎(森崎)と山崎屋の坂の説明文


丸山本通り


丸山本通りを望む

明治・大正時代の丸山本通りのようす。今とは想像もつかない風景ですが、電柱の本数や道幅、坂道の傾斜は今とほとんど変わっていません。また、坂道の石畳は写真のように斜めに敷くのが一般的で、雨水などは自然に溝に流れ込むように考えられていました。つきあたりに見える建物は寄合町の遊郭で、建物は昭和18年(1943年)の俗にいう「丸山の火事」で焼失。その後、空き地となり、昭和32年(1957年)に道路と公園に変わりました。

長崎丸山華街(花街)跡


この場所は江戸時代、丸山遊郭の東端に位置し、背後の石垣は遊郭が塀や石垣で囲まれ隔離されていたことを物語る。又この石垣の下の通りを岸の下と称す。


丸山は長崎開港後の慶長年間(1596年~)、初めはこの付近に三軒家と呼ばれる遊女屋が建っていて太夫町と称していた。(その頃の遊女「音羽」「高尾」が諏訪神社に踊りを奉納したのが、くんちの初めと言われる)。その後、官令により改めて丸山を開き市中の遊郭を 1ヶ所に集めたのが寛永19年(1642年)、今から 360年前のことである。


当時丸山は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊郭「三場所」の一つであり、大変な賑わいであったことは言うまでもない。江戸の文学者井原西鶴は、実際長崎へは訪れていないが「長崎に丸山といふ所なくば、上方の金銀無事に帰宅すべし」と唄う程であった。


記録によると、延宝時代(1673年~)には遊女屋 74軒、遊女766人、全盛期の元禄時代(1688~)には 1443人の遊女がいた。


丸山の特徴として、遊女には主に長崎の町民や上方の商人たちが多く出入りしていたが、丸山の遊女が唐人屋敷や、阿蘭陀屋敷(出島)の出入を許されていた為、唐人や阿蘭陀人(紅毛人)との交流があったことが他の遊女と異なる点である。そのため遊女を日本行き、唐人行き、阿蘭陀行きとあえて区別をしていた。この丸山だけは日本はおろか海外にまで名の知れた国際的な遊里であった。遠く祖国を離れ長崎にきた外国人にとって丸山の遊女たちは淋しさを癒す何よりのものであったであろう。まさに国際コンパニオンである。彼女らなしでは長崎の繁栄はなかったといっても過言ではないだろう。遊女について「丸山の恋は一萬三千里」と唄われた。


しかし、丸山は昭和33年(1958年)の売春防止法により、その火が消えた。そこから 40余年時が流れ今ではその歴史さえ消えつつあります。今回長崎の歴史上、出島と並ぶ由緒あるこの丸山の地を多くの人に再認識してもらいたいために、この「解説板」と「華街跡」の碑を建立しました。これは「花街丸山」から「歴史の街丸山」への転換点であり、また陰の日蘭交流400年記念でもあります。」


平成12年(2000年)4月

長崎史談会幹事  山口 広助



面白い形の塀


お墓の横の道


超狭い路地!


丸山にもこういう路地がありました!
長崎、ワンダフル過ぎます!!


旧・福屋跡


坂の上と坂の下の店
意味分かりますか?左の坂が下り坂、右の坂が上り坂ということです


中小島地蔵堂

中小島地蔵堂


普通の民家がコレ!


ヤバ過ぎます、丸山探索!!
感動の連続です。
こういう街が僕は大好きです。
こういう路地が僕は楽しいです。


レンガの塀と石畳の下り坂。坂道を生い茂った木が覆っています。


この写真見て、あなたもここを歩きたいと思いませんか!?
歩きたいと思った人はここ長崎・丸山に来てください。



歩きたいでしょ!?最高の気分でしたよ、僕は!!!!


逆から見た最高の坂道。


ネコちゃんがいました。尾道もそうでしたけど、坂の町にはネコちゃんが多いですよね。


規則正しくない道は最高です。曲がりくねったり、道幅が増えたり減ったりする丸山の道はすばらしいです!


厳密にいうと、もうこの辺りは丸山(丸山町、寄合町)ではないのですが"丸山界隈"という意味で引き続き"丸山"とさせて頂きますね。


昼間も良さそうですが、夜に来て良かったです。


写真で十分にここ長崎・丸山の良さが伝わっているか心配です。どうでしょうか?


中の茶屋

中の茶屋の説明板


中の茶屋

中の茶屋


電灯の白い光りやバックの空の色。芸術的な光景が僕の目の前に広がっています。


ただただすばらしいの一言!


見えますか?坂の町・長崎ならではの階段


ビューティフル!丸山で咲く真っ赤な椿(ツバキ)


もうワンダフル以外の何ものでもないです。
魅惑の路地の連続、感無量です。



高島秋帆 旧宅

国指定史跡 高島秋帆 旧宅


高島秋帆の旧宅の敷地に入ってみます。


高島秋帆旧宅から見えた景色


高島秋帆旧宅から稲佐山も見えましたっ!


あーーん、こんな道歩けるなんて~
丸山に来てよかった~~


こういう坂道が長崎にはいくらでもあります。
時間さえあればすべての坂道を上り下りしてみたいです。春夏秋冬、朝昼晩、自分一人で、友達と、彼女とw。


長崎の夜景

これもまた長崎の夜景!


長崎の夜景

正覚寺に到着


夜の正覚寺

正覚寺(長崎市東小島町)


江戸時代の日浦海岸

江戸時代の日浦海岸


江戸時代はこの道が海岸通りだったんですね~


あーーーっ!
もう本当にやばい!!
長崎の夜の徘徊楽しすぎるぅ!!!!!


うつくしいです(^^)


長崎カステラ 元亀堂本舗

長崎カステラ 元亀堂本舗


新地中華街に帰還しました。


さすがにもう寝ます。



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