ムラウチドットコム社長・村内伸弘のブログが好き

ブログ三昧♪♪ ムラゴン、にほんブログ村、スポリート、ムラウチドットコム運営の CEO(調子イイおじさん)がブログに恋し、ブログに狂う☆

muragon(ムラゴン) にほんブログ村 スポリート ムラウチドットコム  決意50才

村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

日本三大花街・夜の丸山界隈(丸山花街)、高島秋帆旧宅など

夜の丸山~ぁ たずねぇ~ても 冷たい風ぇが 身に染ぃ~みる♪♪


長崎丸山の芸者置屋「長崎検番」

長崎丸山の芸者置屋「長崎検番」


夜の丸山公園(長崎市寄合町)

夜の丸山公園(長崎市寄合町)


高島秋帆旧家

高島秋帆旧家


高島秋帆旧家から見えた稲佐山

高島秋帆旧家から見えた稲佐山



柳小路とか思案橋を見たからって、まだ夜の長崎ぶらぶら散策は終わりません。そうです、日本三大花街のひとつ・丸山花街界隈を見てみましょう~!



石造りでレトロな感じの丸山町交番


横から見た丸山町交番


丸山町交番の赤ランプ

丸山町交番の赤ランプ


丸山公園の桜


肥前長崎丸山廓中之風景


肥前長崎丸山廓中之風景

この絵は江戸時代後期に歌川貞秀によって書かれた花街丸山の様子です。左下の門は花街の入口にあたる二重門(現在の丸山交番付近)で、この門を抜けていよいよ丸山に入るわけです。中央の一角は現在の丸山公園で、上のほうには妓楼花月楼(引田屋)の建物が描かれています。右の通りは寄合町通りで、当時に丸山、寄合両町の隆盛をうかがい知ることができます。格子をのぞく大勢の登楼客の姿や芸妓、行商人のほか、酔っぱらいまでも描かれ、さらには唐人やオランダ人などの姿があるところから丸山は国際的な花街だったことが読み取れます。



「この門を抜けていよいよ丸山に入るわけです。」だって~(笑)
うらやましい~w 当時の男どもの興奮が伝わってきますね!


長崎丸山町遊郭

丸山花街(長崎丸山町遊郭)


「江戸に吉原、京に島原、長崎に丸山。」
長崎ぶらぶら節の如く、日本三大花街のひとつ・丸山花街をぶらぶら散策している自分が妙にうれしいです。



県指定史跡 花月


すわ!遊女か!?


芸者置屋「長崎検番」


山崎屋の坂(森崎の坂)。丸山本通り突き当たりの石段


坂道とか石段とか、とにかく長崎の街には風情があふれています!!


尾崎(森崎)と山崎屋の坂の説明文

尾崎(森崎)と山崎屋の坂の説明文


丸山本通り


丸山本通りを望む

明治・大正時代の丸山本通りのようす。今とは想像もつかない風景ですが、電柱の本数や道幅、坂道の傾斜は今とほとんど変わっていません。また、坂道の石畳は写真のように斜めに敷くのが一般的で、雨水などは自然に溝に流れ込むように考えられていました。つきあたりに見える建物は寄合町の遊郭で、建物は昭和18年(1943年)の俗にいう「丸山の火事」で焼失。その後、空き地となり、昭和32年(1957年)に道路と公園に変わりました。

長崎丸山華街(花街)跡


この場所は江戸時代、丸山遊郭の東端に位置し、背後の石垣は遊郭が塀や石垣で囲まれ隔離されていたことを物語る。又この石垣の下の通りを岸の下と称す。


丸山は長崎開港後の慶長年間(1596年~)、初めはこの付近に三軒家と呼ばれる遊女屋が建っていて太夫町と称していた。(その頃の遊女「音羽」「高尾」が諏訪神社に踊りを奉納したのが、くんちの初めと言われる)。その後、官令により改めて丸山を開き市中の遊郭を 1ヶ所に集めたのが寛永19年(1642年)、今から 360年前のことである。


当時丸山は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊郭「三場所」の一つであり、大変な賑わいであったことは言うまでもない。江戸の文学者井原西鶴は、実際長崎へは訪れていないが「長崎に丸山といふ所なくば、上方の金銀無事に帰宅すべし」と唄う程であった。


記録によると、延宝時代(1673年~)には遊女屋 74軒、遊女766人、全盛期の元禄時代(1688~)には 1443人の遊女がいた。


丸山の特徴として、遊女には主に長崎の町民や上方の商人たちが多く出入りしていたが、丸山の遊女が唐人屋敷や、阿蘭陀屋敷(出島)の出入を許されていた為、唐人や阿蘭陀人(紅毛人)との交流があったことが他の遊女と異なる点である。そのため遊女を日本行き、唐人行き、阿蘭陀行きとあえて区別をしていた。この丸山だけは日本はおろか海外にまで名の知れた国際的な遊里であった。遠く祖国を離れ長崎にきた外国人にとって丸山の遊女たちは淋しさを癒す何よりのものであったであろう。まさに国際コンパニオンである。彼女らなしでは長崎の繁栄はなかったといっても過言ではないだろう。遊女について「丸山の恋は一萬三千里」と唄われた。


しかし、丸山は昭和33年(1958年)の売春防止法により、その火が消えた。そこから 40余年時が流れ今ではその歴史さえ消えつつあります。今回長崎の歴史上、出島と並ぶ由緒あるこの丸山の地を多くの人に再認識してもらいたいために、この「解説板」と「華街跡」の碑を建立しました。これは「花街丸山」から「歴史の街丸山」への転換点であり、また陰の日蘭交流400年記念でもあります。」


平成12年(2000年)4月

長崎史談会幹事  山口 広助



面白い形の塀


お墓の横の道


超狭い路地!


丸山にもこういう路地がありました!
長崎、ワンダフル過ぎます!!


旧・福屋跡


坂の上と坂の下の店
意味分かりますか?左の坂が下り坂、右の坂が上り坂ということです


中小島地蔵堂

中小島地蔵堂


普通の民家がコレ!


ヤバ過ぎます、丸山探索!!
感動の連続です。
こういう街が僕は大好きです。
こういう路地が僕は楽しいです。


レンガの塀と石畳の下り坂。坂道を生い茂った木が覆っています。


この写真見て、あなたもここを歩きたいと思いませんか!?
歩きたいと思った人はここ長崎・丸山に来てください。



歩きたいでしょ!?最高の気分でしたよ、僕は!!!!


逆から見た最高の坂道。


ネコちゃんがいました。尾道もそうでしたけど、坂の町にはネコちゃんが多いですよね。


規則正しくない道は最高です。曲がりくねったり、道幅が増えたり減ったりする丸山の道はすばらしいです!


厳密にいうと、もうこの辺りは丸山(丸山町、寄合町)ではないのですが"丸山界隈"という意味で引き続き"丸山"とさせて頂きますね。


昼間も良さそうですが、夜に来て良かったです。


写真で十分にここ長崎・丸山の良さが伝わっているか心配です。どうでしょうか?


中の茶屋

中の茶屋の説明板


中の茶屋

中の茶屋


電灯の白い光りやバックの空の色。芸術的な光景が僕の目の前に広がっています。


ただただすばらしいの一言!


見えますか?坂の町・長崎ならではの階段


ビューティフル!丸山で咲く真っ赤な椿(ツバキ)


もうワンダフル以外の何ものでもないです。
魅惑の路地の連続、感無量です。



高島秋帆 旧宅

国指定史跡 高島秋帆 旧宅


高島秋帆の旧宅の敷地に入ってみます。


高島秋帆旧宅から見えた景色


高島秋帆旧宅から稲佐山も見えましたっ!


あーーん、こんな道歩けるなんて~
丸山に来てよかった~~


こういう坂道が長崎にはいくらでもあります。
時間さえあればすべての坂道を上り下りしてみたいです。春夏秋冬、朝昼晩、自分一人で、友達と、彼女とw。


長崎の夜景

これもまた長崎の夜景!


長崎の夜景

正覚寺に到着


夜の正覚寺

正覚寺(長崎市東小島町)


江戸時代の日浦海岸

江戸時代の日浦海岸


江戸時代はこの道が海岸通りだったんですね~


あーーーっ!
もう本当にやばい!!
長崎の夜の徘徊楽しすぎるぅ!!!!!


うつくしいです(^^)


長崎カステラ 元亀堂本舗

長崎カステラ 元亀堂本舗


新地中華街に帰還しました。


さすがにもう寝ます。



▼あわせて読みたい関連記事

京都 - 置屋建築の輪違屋(わちがいや)

京都: 江戸時代の花街の風情残る島原大門と置屋「輪違屋」


旧五条楽園/五條楽園(京都市下京区)

ディープな京都・菊浜地区: 五条楽園(遊廓跡、旧赤線地帯)を探索


八王子の旧赤線地帯 田町遊郭跡(妓楼跡)

八王子の旧赤線地帯 田町遊郭跡(妓楼跡)をぷらぷら歩く


「曾根崎心中」 著者: 角田光代 原作: 近松門左衛門 リトルモア

しあわせな結末!「曾根崎心中」 著者:角田光代(原作:近松門左衛門)を読みました


「飛田で生きる」 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白 杉坂圭介(徳間書店)

人間の本性や人間心理を学ぶ本 - 「飛田で生きる」 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白


東北の神武(ズンム)たち 深沢七郎

東北の神武たち 深沢七郎 - おかね婆あさんは救世観音



▼今回の長崎旅行


空の上から見た笠雲の富士山とディズニーランド。長崎空港到着


長崎港の豪華客船、長崎新地中華街、湊公園、唐人屋敷跡、皿うどん


長崎は鎖国時代の西洋に開かれた唯一の窓口!夜の出島和蘭商館跡と出島橋


夜の長崎柳小路通り、夜の思案橋。福砂屋前でシャボン玉を吹くおねえさん


日本三大花街・夜の丸山界隈(丸山花街)、高島秋帆旧宅など


長崎電鉄(路面電車)の写真撮影会と停留場名称変更情報


死者73,884人 - 長崎平和公園で世界平和を願う。平和祈念像とチリンチリンアイス


浦上天主堂(カトリック浦上教会)は「神の家」、魂のよりどころ


祈りのゾーン。長崎の原子爆弾落下中心地と鉄輪樹の木と折り鶴 - 1945 8.9 11:02


ナガサキ: 長崎原爆資料館で涙しました 悲しき別れ-荼毘(A sad farwell)と永井隆博士の如己愛人


ナガサキ: 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で永遠の平和を祈りました


学びのゾーン。長崎市歴史民俗資料館(原爆殉難教え子と教師の像・長崎古賀人形)


キリシタン墓地の聖母マリア像に心打たれる。浦上天主堂を望む風渡る丘の上の経の峰共同墓地で


長崎山王神社の一本柱鳥居(原爆で片方が吹っ飛んだ二の鳥居)


被爆クスノキ 原爆の爆風と熱線に耐えた長崎山王神社の大クス


長崎・浜市アーケードを「浜ぶら」、岩崎本舗の長崎角煮まんじゅうを一気に飲み込む!うまい!!


長崎の坂 7大有名坂の地図と写真 + 長崎喧嘩騒動の天満坂


【長崎世界遺産の美しい動画】必見!祝・世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」



▼前回の長崎旅行


シーボルト先生の長崎へ シーボルト宅跡(鳴滝塾跡)&シーボルト記念館


長崎の昼景 360度パノラマの稲佐山展望台から望んだ長崎市内の様子


長崎 南山手の国宝・大浦天主堂 ブルーアワー、ライトアップされた日本最古の教会(世界遺産候補)が美しく煌めく!


長崎は港街&斜面都市 1000万ドルの長崎の夜景!グラバースカイロードから見た世界新三大夜景


長崎 東山手の領事館の丘 石橋電停からオランダ坂を登り、長崎外国人居留地時代の石畳の坂道と石垣へ


長崎レトロ!夜の長崎の街 鉄道発祥の地、長崎新地中華街、浜町アーケード


長崎の眼鏡橋は日本三名橋!ライトアップされた美しい石造り二連アーチ橋


長崎の風情 チンチン電車・長崎電気軌道、和華蘭文化、APAホテルで全額返金に当選~ん!


長崎から諫早へバスの旅、夏の大村湾(琴の海)、長崎ちゃんぽん



▼長崎関連の記事


「島原街道と天草路」長崎くんちに行きた~い!天草殉教祭も~☆


まぶしい映画「坂道のアポロン」 数々の美しい涙!あんな青春が僕も良かったな~


玉之浦 - 白覆輪の五島の銘椿、紅白に咲きました!



×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。