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"昭和の大ブロガー" 八王子人・橋本義夫の名著「ふだん記の大道」の志の高さに感服!

文章を書いてみんなで人生讃歌をうたおう(橋本義夫)

ブログを書いてみんなで人生讃歌をうたおう(村内伸弘)



ふだん記新書 70 ふだん記の大道 -その道標-  橋本義夫

ふだん記新書 70 ふだん記の大道 -その道標-
編者: 橋本義夫
発行: ふだん記全国グループ
1978年(昭和53年)9月15日 発行
※ふだん=ふだん



「橋本義夫」と「ふだん記の人々」を八王子市民は誇りにしてほしいと思う(色川大吉) 
というブログ記事を先日書きましたが、その続きです。



万人(みんな)の文章、万人自身の本!


ふだん記新書 70 ふだん記の大道 -その道標-



ふだん記(ぎ)とは
万人(みんな)が書き、万人が読む文の略称です。



ふだん記運動は僕が住み、僕が暮らす東京都八王子市で僕が生まれるちょうど 1ヵ月前の昭和43年(1968年)1月に誕生した「みんなで文を書き みんな本を出そう」という運動です。明治35年に東京府南多摩郡川口村楢原に百姓の倅として生まれた橋本義夫さんが八王子で始め、昭和40年代~50年代、日本全国に広がったムーブメントです。



ふだん記運動創始者&理論的指導者 橋本義夫さん

ふだん記運動 創始者&理論的指導者
橋本義夫さん(1902-1985)


橋本義夫さん直筆のサイン

本の見返しに書かれていた橋本義夫さん直筆のサイン


ふだん記の大道 - 日本青年館図書室蔵書(昭和61年8月13日)の蔵書印

以前中古で買ったんですが財団法人日本青年館図書室蔵書(昭和61年8月13日)の蔵書印がありました。



このふだん記の本をなぜ、今、僕が読んだのかと言いますと、この日本最大の庶民文章運動、自分史運動、気軽に飾らないで文を書こうという運動がまさに今のブログと同じ思いや考えで巻き起こったからです。にほんブログ村や muragonで僕や僕の仲間たちが日々実践している行動がこの「文を書こう」という運動とまさに同じだからです。


橋本さんがもし今生きていたら、100%の確率で「みんなでブログを書こう」と老若男女に説いて回るはずです。この本を読んで僕にはよーく分かりました。


読書感想を一言で言うと、
僕や僕たちの会社・ムラウチドットコムはこのふだん記運動の創始者である橋本義夫さんの遺志を継がなければならないと思いました。



同じ八王子に生を受けたのは何かの偶然なのか?神様のいたずらなのか?


僕はこの郷土の大先輩・橋本義夫さんの精神を引き継ぎ、ブログ界やブロガーの皆さんのためにがんばろうと思いました!!



以下、この本の自序やあとがきに書かれていた橋本先輩の言葉の数々です。
ブロガーのみなさん、約40年前、昭和50年代の文章ですがどうぞご覧ください。平成が終わろうとしている今も充分通用する名文です!!!!



<自序>

名文美文家、国文の先生、そういう類の人の言うことなどを気にせず、気軽に、ハガキや文を書き出すのが最も近道、筆まめに回数を重ねれば、誰でも普通のことは普通に書ける。実行、実行。


本書にある『万人可能宣言』が略々文になった時は、本当にホッとした。そして「これで死んでもいい」と思った。私が晩年まで劣等感の淵に沈んでいた時、文を書くことによっていくらかの救いとなった。私と同じように劣等的地位に追い込まれている庶民に、ペンを持たせ、文を書かせるならば、いくらかでも劣等感の救いとなり、生れて来たことをいくらかでも喜び、つまり『人生讃歌』が口に出る、口にさせたい、といった悲願が『ふだん記』を生んだ。


文章だの、本だのも、誰でも気軽につくれる時代になった。すべての人が各々の道に意義を見出して生き、「讃歌」をうたえる時になった。同じものをみんなで奪い取り競争したり、悪罵のあびせ競争をしたりせず我が道をゆき記録を世に残し、友を全国に得ることができる。みんなで人生讃歌をうたおう。著者は七十数年生きてきたが、この本一冊を出せたことを、大きな幸運だったと思っている。私はこの本一冊を出せたことに『人生讃歌』をうたう。

1978.8.20 猛暑つづく



<あとがき>

今時は誰でも普通の飲食はできる。旅行もでき、芸術も鑑賞でき、普通文化は誰も我がものとできる。以前は、偉い系統の人々以外には殆ど無縁だった。平民は、警護がなくても安全に道を歩き、どこの劇場にも大手をふって行ける。平民がこんなに恵まれた時代はない。


約20年前『平凡人の文章』を発表した頃は、ひやひやして小さくなっていたものだ。僅か20年足らずで『大道』という書名さえもつけられるようになった。みんな前を向いて『ふだん記』で行こう。


私は講釈は好きではない。実行の人をつくるのは好きだが、唯もの知りや「あゝそうか」という人をつくる気はない。自序の書き出しと後書の結びも「実行」である。



<ふだん記新書 発行の言葉>

1974年は、初頭から、人類史的規模に於ける、エネルギー及び食糧危機の年を迎えた。殊にわれわれの日本は、この危機の最前線の経験となった。


日本の長い過去には、いつも模範国があった。此度の危機は模範国の無い経験であり、然もスピード時代だけに「待ったなし」の遭遇であった。


翻訳、解釈、模倣、暗記、打算、免状などといったものが大きくまかり通り、学校及び官僚機構でがっちりと百年間も堅められ、諸多も是にならって肥大してマンモスになった。がこの危機にはこの連中にはなす術を知らぬのが今の日本であろう。


つんぼさじきを半永久的に温めていた一般国民もここらで板じきの腰かけから出て、知力、実力を発揮すべきであろう。


『ふだん記』は「万人の文章」「万人自身の言論」を目標としてきたが、この大きな情勢下には地平線上に出るべき時であろう。この事情を受けて「新書」を刊行することにした。グループ及び多くの人々の協力を待つ。

1974




ふだん記の大道 -その道標- 1978年(昭和53年)9月15日 発行

ふだん記の大道 -その道標- 1978年(昭和53年)9月15日 発行



この本の中に掲載されていた写真

ふだん記の 1977年 逢う日話す日

ふだん記の 1977年 逢う日話す日の集い
「逢う日話す日」 ふだん記 10年集会
1977年12月 八王子商工会議所にて
前から2列目写真中央がふだん記運動創始者 橋本義夫さん



僕のおばあちゃん家の倉庫に眠っていた写真

ふだん記の 1974年 逢う日話す日の集い
最前列写真中央がふだん記運動創始者 橋本義夫さん
写真一番左が僕の祖父 村内村雄


みんなで書き みんな本を出そう

日本中に友を持てば 日本中を心が旅行する


ふだんぎ全国グループ



僕のおじいちゃんは 37番目にふだん記を出版しています。
ふだん記 37 麦秋旅情 - 北欧と東欧  村内村雄

37 麦秋旅情 - 北欧と東欧  村内村雄 ← 僕・村内伸弘のおじいちゃん




ふだん記(ぎ)

ふだんぎは飾らずふだん着でおしゃべりをするように、みんなの身近な生活記録や思い出などを文にし、発表しあう場です。「ふだん記(ぎ)」を刊行する同好のグループです。各地にグループがあり、交流しております



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村内 村雄(むらうち むらお)

村内 村雄 - 陸軍 輜重兵(しちょうへい)少尉時代


ふだん記 1974年 逢う日話す日の集い

「橋本義夫」と「ふだん記の人々」を八王子市民は誇りにしてほしいと思う(色川大吉)


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